189 デォフナハ
「お久しゅうございます、エーギノミーア公爵閣下。情勢厳しい時節にありながら、躍進を保ち続けられていると聞き及んでおります。」
開けられた扉の前に跪き挨拶の口上を述べるのはデォフナハ男爵だ。そのすぐ後ろには娘のハネシテゼも付き従い、跪いている。
「久しいな、デォフナハ卿よ。そちらこそ他者の追随を許さぬともっぱらの噂だろう。中へ入れ、今日はそこが最も重要な話題だ。」
父は挨拶を早めに切り上げて、デォフナハ親子に席を勧める。二人が立ち上がり、テーブルを挟んで私たちの向かい側に座ると早速本題が始まる。
「まず、確認したい。卿はどこまで話を聞いている? そして内情を話している?」
「私が王都に来たのは一週間ほど前ですが、こちらに来ていることはお知らせしてもいませんでしたから、何も話はしていません。」
一週間もの間何をしていたかというと王都の街の方の情報収集らしい。都下の大商人と話をするのは分からなくもないが、実際に市場を見に行ったりということもしているというのはデォフナハらしいと言うべきだろうか。
「それで、どんな情報が得られたのだ?」
「イモとマメは潤沢にあるけれど、麦と肉がすくないそうです。多少の偏りはあるけれど、冬支度そのものには支障がないようで、特に混乱も見られません。」
王都では飢える者もなく、治安が良好なのは良い事だとは思うが、そんなことをデォフナハ男爵が気にすることなのだろうか? 目的や理由が分からず首を傾げていると、ハネシテゼがさらに続ける。
「ただし、お茶や花油、木綿といった西方で多く取れるものはほとんど入ってきていないか、品質が極端に落ちています。話を聞くと、農業の体制を変更しているのだそうです。」
西方の領地では、戦力の維持に必要な物を特に優先するために、お茶などの必需品ではない作物に割く人員を減らしているらしい。さすがにお茶の木を畑から引き抜いてしまっては来年以降の産業に困ることになるので、そこまではしていないらしいが、維持する最低限しか人を配置していないということだ。
この邸でも、春までとお茶の種類が変わっていたことからある程度は想像していたが、実際にそのような話を聞くとショックである。西方では貴族も平民も、かなり苦しい思いをしているのではないだろうか。
「その話は商人から聞いたものか? 本当に事実なのか?」
「少なくとも彼らはそれが事実だと信じているようです。」
「そんな嘘を吐く理由などあるのですか?」
父が疑うように聞く理由がよく分からない。話の筋は通っているはずだし、お茶や花油を隠す意味がない。採ってから時間が経てば、悪くなってしまうはずだ。
「二つ考えられる。一つは見栄、生産に携わる町が敵に落ちているのに隠している場合だ。もう一つは、西方貴族が既に敵に寝返っている場合だ。」
「まさか! そんなことあるはずがない!」
父の言葉にフィエルが目を見張り否定の言葉を叫ぶが、父はゆっくりと首を横に振る。
「そんなことがあってほしくはない。それは願望だ。」
そう諭すように言う。それに対し、デォフナハ男爵も何の反論もなく、ただ静かにお茶を口に運ぶだけだ。
父の言うことは理屈では分かるが、気持ちとしては納得できない。いや、納得したくない。
しかし、父の言葉を否定できる情報は入っていないことだけは確かだ。
「かなり情勢が悪い可能性があるというだけのことです。そう決まったわけではありません。」
動揺を抑えられない私たちに、ハネシテゼが指を立てて言葉を付け加える。
私は以前より、考えが楽観的過ぎるとよく言われている。つまり、悪い場合の想定が不足しているということなのだが、自分では随分と改善したつもりでいた。
だが、全く足りていないのだということなのだろう。今後のことを考えると、肝に銘じなくてはならない。
その後は、提供した食料の量を種類別に確認し、領内の情勢を他の貴族や王族にどう説明するのかを話し合っていく。
特に、以前より余剰食料の処分に困っていると言っていたデォフナハの言葉には気を付ける必要がある。他領でも少しは生産力が向上しているだろうが、消費しきれないほどの収穫量があるのはエーギノミーアとデォフナハだけだろう。
「食べ物であちこち塞がっていたお城の中がすっきりしました。」
「そういうことを絶対に口にするなと言っているのだ。」
提供した食料は、あくまでも善意に基づくものであり、邪魔だから丁度いい機会に押し付けたなどと取られるような発言は慎むように父は厳に言う。
「でも、それが事実なのではありませんか?」
「そこは何とか上手く誤魔化してくれ。」
不安そうに言うハネシテゼだが、父は取りあいもしない。一つひとつ質疑を予測して、返答の仕方を共有する。これは全て私たちも覚えなければならないことだ。
明日、王宮に行けば聞かれるだろうし、学院でも話題にならないはずがない。そこで変な受け答えをしてしまったら台無しである。
「しかし、デォフナハは、本当に信じがたい地力の高さだな。とても男爵とは思えぬぞ。」
「何度も陞爵の話があるのだ。低いはずがなかろう。」
話をしていると、デォフナハは特別なことを何もしていないことが伝わってくる。「馬車と人足を手配しただけだ」と苦笑しながら言うが、まるで冗談には聞こえないくらいだ。
そして、父の話によると、歴代のデォフナハ男爵は陞爵を断り続けているらしい。
「そんなことがあったなんて、存じませんでした。」
ハネシテゼは驚いたように言うが、デォフナハ男爵は逆に気落ちした表情を見せる。
「べつに言うことでもないでしょう?」
「とても大事でございます。わたくしも男爵への陞爵の話があったらお断りして良いのですね?」
なるほど。男爵の表情は、ハネシテゼがそう言うのが分かり切っていたからだろう。そこで「構いません」と断言できるほど簡単な問題ではないということだ。
「何故、お断りしたいのですか?」
念のためにと質問するが、答えは分かり切っているという顔である。
「わたくしはデォフナハをもっともっと豊かで平和な土地にしたいのです!」
そして、その気持ちは私もよく分かる。他の土地へ行き、そこでやれと言われても、なかなかそんな気持ちにはなれないものだ。それが愛着というものなのだろう、自領の仕事に携われば携わるほど、その気持ちは強くなる。
デォフナハ男爵だって、土地と領民を娘に譲り他の土地へ異動するなんて考えはないだろう。
「ハネシテゼ・ツァールよ。」
父がもったいぶった言い方をする。
「其方は国王となれ。デォフナハから手を引けとは言わぬ。デォフナハ含めてバランキル王国全体を平和で豊かにすればよかろう。」
思わぬところから思わぬ話になるものである。




