182 未来を向くために
何の連絡も先触れもなく帰ってきたジョノミディスに門衛が驚き慌てたりしたが、使用人たちに迎えられて城の中に案内される。
「父上は執務室ですか?」
「クレアスター様は騎士たちの指揮に出ております。」
「ならば、今は叔父上か。」
ブェレンザッハの状況は確認したいし、イグスエンの報告も必要だ。休憩もなく領主の執務室に案内されるのはもう諦めるしかない。
扉の前に立つ騎士は驚きの表情でジョノミディスを迎えるが、すぐに中に連絡を取り、扉が開けられる。
「ただいま戻りました、ファイアスラ様。事前に連絡ができなかったことはご容赦ください。」
「ジョノミディス様、イグスエンはもうよろしいのですか?」
「戦闘はまだ続いておりますが、第二王子殿下の率いる王宮騎士団も到着しましたので、戦況の報告と共に戻ることになりました。」
ジョノミディスが答えると、話が長くなりそうだと席を勧めてくる。そこで初めてファイアスラは私たちの存在に気が付いたようで「後ろの者は?」と聞いてくる。
「彼らの名はファイアスラ様も何度も聞いているでしょう。」
ブェレンザッハで私たちの名前がよく語られているというというのは良いことなのだろうか。少々首を傾げながらもジョノミディスから紹介され、貴族らしい挨拶をする。
「お初にお目にかかります、ファイアスラ様。苦難の続く折ではございますが、出会いを喜ぶことをお許し下さいませ。」
正直言って、何と言って挨拶をすれば良いのかが分からない。勝利の報告に沸いているならともかく、ウンガスに攻め込まれて機嫌が麗しいはずもない。
騎士の指揮に出ていった領主も大変だが、城の留守を預かるファイアスラの心労もただごとではないだろう。
私たちにできることは少ないが、情報が少しでも役に立てばと思う。
先日から何度も説明していることの繰り返しになるが、敵の規模や侵攻の意図は報告しないわけにはいかない。
「イグスエンにもそれほどの戦力を差し向けているのか⁉」
ファイアスラは第二王子やイグスエン侯爵らと同じような反応を見せる。
バランキル王国を基準に考えると、国内の守りを完全に無視して戦力に注ぎ込んでいるようにしか思えないのだから、驚き呆れるのは当然のことだろう。
第二陣だけでも、ウンガスの騎士は数千にもなる。第一陣でも同じくらいの騎士がいたし、ブェレンザッハに攻めてきているのも合わせると、万を超える騎士が侵攻に参加していることになる。
「恐らく、魔物を従える術があるのだから、退治のため騎士団は不要という考えなのでしょう。」
色々と話し合ったが、それ以外の理由は考えられないという結論になっている。ウンガス王国の方が国土が大きいため、バランキル王国よりも騎士の数が多いのは確かなのだろうが、それは必要な騎士の数が多いということでもある。
「危険な魔物を従わせてしまえば襲われる民はいなくなる、という理屈か?」
「そうですね。ある程度の大きさの魔物を従えて、小型の魔物を捕食させれば人や畑の被害は十分に抑えられると考えても不思議ではありません。」
「理屈としては成り立っているように思うが、其方らの口ぶりでは、それは上手くいかないというように聞こえるな。」
やはりファイアスラも魔物を害獣と一括りに考えているようで、直接被害を減らせば問題ないという認識があるようだ。
「魔物ではないただの獣ならばそれで上手くいくのですよ。しかし、魔物とはそこにいるだけで土地を汚し蝕むのです。」
檻の中に閉じ込めて魔物を飼っていても、その周辺の畑の収穫量は落ちるのだという。魔物の種類によってその度合いは異なるが、魔物が魔物である以上は、その土地の実りに悪い影響を齎すのは間違いないとハネシテゼは断言する。
「デォフナハではそれを試したのか?」
「ええ、魔物を飼うなどとんでもないと母に叱られましたが、どうしても確認したかったのです。」
魔物は根絶すべきという主張はそういった確認作業をしたうえでのものらしい。親の反対を押し切ってでも試してみるハネシテゼが信じられないとも思うが、そういったことを実際にやってしまうからこそのハネシテゼなのだろう。
魔物が畑の周囲を徘徊していれば、収穫など上がるはずもない。不作はより一層ひどいものになっていき、その抜本的な対策をしなければ最終的には国家として成り立たなくなる可能性が高い。
「仮にバランキル王国から実りや土地を奪ったところで、それで凌げる期間は短いでしょうね。」
「ですが、戦争で騎士を失えば対策することもできなくなるのではありませんか?」
このままではウンガス王国は数年内に滅びるしか道が無いのではないかと思う。
「敵の心配よりも、ブェレンザッハやイグスエンの民や騎士たちの心配の方が先です。殺されてしまっては未来も何もありません。」
ウンガス王国の今後なんて、降伏の意思を示してきた後で考えれば良いことだ。今、私たちが頭を悩ませる問題ではない。
「考えるとしたら、収穫量をどう増やしていくかにしましょうよ。ウンガスから飢えた民が救いを求めてやって来た時に受け入れられるような収穫量がないと、かなり悲惨なことになりますよ。」
攻めてくるのではなく、頭を下げ救いを求めて来た民に「飢えて死んでしまえ」とは言いたくない。ならば、私たちは変わらず収穫量の口上を目標にして頑張っていればいいのだとハネシテゼは言う。
「はやく帰りたいな。エーギノミーアの畑が気になる。」
フィエルの言葉に私も大きく頷く。
兄や姉には私たちが畑で何をしていたのか見せている。同じことをするだけならば、兄姉にできないはずがないのだが、やはり気にはなるものだ。
「気持ちは分かるが、今日はゆっくり休んでいくが良い。ところで、本当に三人だけで行くのか?」
今のブェレンザッハには私たちに同行させるだけの騎士の余裕がない。私たちから護衛を求めるなんてできるはずもない。
「そこなのですが王都かその途中まででも、東に向かう商人はいないでしょうかね。」
「平民と一緒に行くのか?」
「たまには民の話を聞いてみるものですよ。」
ハネシテゼは笑ってそういうが、平民との距離がやたらと近いのは男爵家だからなのだろうか。もしかしたらデォフナハ特有の考えなのかもしれないが、少なくともエーギノミーアやブェレンザッハでは当たり前の感覚ではない。
「平民と貴族では求める未来が異なっています。これは仕方がないことなのですが、あまりにも乖離が激しい場合は演説して聞かせることも必要ですよ。」
デォフナハでは当たり前のようにやっているらしい。一年に一度か二度は男爵が民衆の前で演説をするというのは初耳である。
父が民衆の前で演説をしたなんて話は聞いたことがない。ジョノミディスとファイアスラが顔を見合わせているところをみると、ブェレンザッハでも民に向けて演説なんてしたことがないのだろう。
「状況が落ち着いたら検討してみる。」
「いえ、今こそ必要だと思いますよ。ウンガスが攻めてきていることは平民たちも知っているでしょう。不安や不満を溜めこみすぎると碌なことになりません。」
攻めてきた敵は絶対に許さない、ブェレンザッハの名にかけて必ず打ち倒すと宣言するだけでも全然違うだろうと言う。そんなことは言われなくても当たり前だと思うのだが、平民にとってそれは当たり前ではないらしい。
「そういうものなのか?」
「言ったでしょう。貴族と平民では考え方が根底から違うのです。こちらから何も言わずに理解してくれることはありません。」
「……明日にでもやってみよう。」
さすがに今これからというわけにはいかない。
演説の内容を考えなければならないし、演説をするという触れも出さねば聞きに集まる民もいない。
まずはジョノミディスとファイアスラのどちらがでるのかから話し合いをすることになった。




