178 敵と山ともふもふ
薄暗いなか山を登り、バッテオの町を見下ろしてみると、明かりがあちらこちらに動き回っている。町の周囲には篝火がいくつも並んでいるし、見張りもそれなりに立っているのだろう。
「なかなか警戒が厳重だな。」
「そうですね。あれでは奇襲は難しいでしょう。」
戻っていったウンガス兵には特に何かをしろとは言っていない。何か事を起せば命懸けになるはずだ。こちらが攻撃を仕掛けたら、全員で逃げてくれればいい。
平民が騎士を倒すのは不可能ではないとはいえ、かなり周到に計画を立てねば失敗する可能性の方が高いし、実際に叛乱を起こせば、少なくない犠牲が出るだろう。
私たちのために急いて事を起こせば、ほぼ間違いなく命を落とす。いくらウンガスの兵とはいえ、平民を使い捨てにするようなやり方はしたくないのだ。そんなことをしていれば、平民を虐げるウンガス騎士を責めることなんてできはしない。
「東側に向かうしかなさそうだな。合流して作戦を立てねば、あの数を相手に二人だけでできることはないだろう。」
フィエルの意見に反対する理由がない。食料が心許ないが、だからこそ時間を無駄にすることはできない。
馬に跨り、稜線の少し外側を東に向かって進んでいく。
何故か白い獣も後をついてくるが、挨拶を交わしたらしばらく一緒に行動しなければならないという決まりでもあるのだろうか。
一日ちかくかけて山の中を移動して、太陽が西に傾いてきた頃にようやくイゾフィン街道を見下ろすところまで着く。
「ここで間違いないはず、だよな?」
「他に街道があるなんて聞いていませんよ。どこかの村に通じる道にしては大きすぎるでしょう。」
目を凝らして見渡してみても騎士団らしき影もない。戦闘があったならば、何らかの痕跡が残っていても良さそうなのだが、それも見当たらない。
山を町の側に回ってみても特に変わった様子もなく、バランキルの騎士団がここに来たようには見えなかった。
どういうことだと考えていても埒があかないので、道を東に向かうことにした。何らかの理由で騎士たちの到着が遅れているにしても、ここで待っていては食料が尽きてしまいかねない。
ただし、街道に下りるのはもう少し東に行ってからだ。町に近すぎると敵の哨戒に見つかりかねないし、伏兵も潜んでいるかもしれない。
日が暮れるまで東へと馬を進めるが、山の中ではどうしても進みが遅い。街道を歩けば一時間で済む距離を進むのに二時間も三時間もかかってしまう。
それでも、今は敵に見つからないように進むしかない。私とフィエルの二人だけでは作戦の立てようもないし、戦闘は可能な限り避ける方針だ。いくらなんでもここで単独行動は危険すぎる。応援に駆けつけるのが一人だけでは不安しかない。
山の中で再び夜を明かし、翌朝は朝早くから街道へと下りていく。白い獣が一緒にいてくれるお陰で夜は十分に眠れたのは思いがけない幸運だ。
しかし、その幸運も続きはしない。森の道を抜けて先に見えてきたフュゼーラの町に陣取っているのはバランキルの騎士団には見えなかった。
「ウンガスがここまで来ていたのか?」
「これでは騎士たちが来れないはずですね。」
フィエルとそんな言葉を交わしている間もなく、鐘が激しく鳴らされ町から数十の騎士たちがこちらに向かってくる。
「退くぞ、ティア!」
とてもではないが、何の策もなく二人だけで迎撃できるとは思えない。フィエルはすぐに馬を返す。
「私の馬も連れて行ってください!」
「ティアはどうするつもりだ⁉」
「目くらましです!」
それだけで何をするつもりなのか伝わったのだろう。私が下りた馬の手綱を握り、急いできた道を駆け戻っていく。白い獣たちもそれに続き、私は一人、敵の迫る道に取り残される。
馬で迫ってくる騎士たちが矢を射かけてくることは想定済みだ。暴風を巻き上げてまとめて吹き飛ばせば良い。ゆっくりと敵に向かって歩き、射程内まで引き付けてから力いっぱいの雷光を放つ。
何度やっても、自分まで倒れてしまいそうな光と音を放ち、ウンガスの騎士は大混乱に陥る。見張りの者もこちらを見ていたならば視覚を失っている可能性が高い。今ならば敵の目を抜けて進めるだろう。
道を全速力で走って戻っていくと、再び方向転換したフィエルがやってくる。
「無茶をするな!」
「文句や説教は後にしてください!」
ごちゃごちゃ言い合っている暇なんてない。大急ぎで畑の端を北に向かっていく。私たちの後ろを白い獣はついてくるが、それ以外は追いかけてきている者はない。振り返って見てみると、混乱して大騒ぎしている騎士たちのところに続々と敵が集まっている。
あれに見つかるわけにはいかない。どこに向かって走れば良いのかと周囲を見回していると、白い獣がひょいと森の中に入っていく。
「ティア! 続くぞ!」
「そうしてみましょう!」
どこに逃げるのが正解かなんて分からない。どこに向かうにしても運任せのあて推量ならば、山の獣が逃げられる道を行くと信じてついていくのが一番確実に思える。
木の間を縫って斜面を駆け上がっていくのを追いかけていくと沢に出た。背後を振り返ってみるが、ここからは町が見えない。つまり、向こうからも今の私たちの居場所は分からなくなっているということだ。
馬もいい加減に息が上がっているし、一息入れて水を飲ませるが、いつまでものんびりと足を止めているわけにもいかない。
「ここからどこへ向かえば良いでしょう。足跡を消す暇なんてないですから、本気で追跡されたら追いつかれてしまいます……」
「消せないなら増やせば良い。幸い、魔物の気配ならそこら中にある。」
背後に魔力を撒いてやれば、集まってくる魔物はいっぱいいる。何十、何百も魔物が集まれば、私たちの足取りは誤魔化せるだろうということだ。早速、実践に移して沢を登っていく。
だが、上から見て地形を把握しているわけでもない山を進んでいくのはとても困難だ。二股に分かれた沢を前に、どこを行けば良いのかも分からない。
「北へ行きたいのですが、どう行けば良いか分かりますか?」
こんなときは白い獣に聞いてみるしかない。黄豹や白狐、それに青鬣狼もなんとなく言いたいことは伝わっていた。この白い獣は知っている〝守り手〟の中で最も小型の部類だが、もしかしたら分かってくれるかもしれない。
北の方角を指して「あちらに行きたい」と言うと、周囲を見回してから分かれた沢の左の方に進んでいく。
「そちらはむしろ南側ではないのか?」
「意図は分かりませんが、信じるしかありません。」
私にもフィエルにも正解の経路などまったく見当もつかないのだ。獣を信じてついていったなどと聞けば、父はまた酷く呆れるかもしれないが、それでも私たちには他に信頼できる手段が残されていない。
一時間ほど沢を登っていくと、獣たちは沢を渡って右側の斜面を登っていく。沢は南西方向に伸びているので、北に行くならば当然そう行かなければならないのだが、ここから登るというのが全く分からない。
しかし、それも登りきって地形を見下ろしてみると、その理由もはっきりわかる。沢の右側を行けば、崖に突き当たった挙句に、大きめの谷川に出るのだ。それを越えようとしたら、最終的に町の方まで戻らざるを得なくなる。
つまり白い獣は、山の上から川や崖を回り込む形で進む経路を取ってくれたということになる。私たちの意図がどこまで伝わっているのか不安があったが、随分と理解していてくれたようだ。
山の中を歩いていると、時折、獣たちは地面を掘り返して木の根を齧る。彼らだって食事を摂らなければ生きていけないだろうと私たちも馬に餌を与えていたが、何度か休憩してやっと気づいた。
彼らが食しているのは全て魔物の植物だ。〝守り手〟は魔物を退治して森を守っているというが、彼らが魔物退治をしている様子もなく不思議に思っていたのだが、そういえば植物にも魔物はある。道理で、戦っている姿を見たことがないはずだ。
それから山の中で二泊して、ようやく中央の街道が見えてくる。その先にいるのは、今度こそ間違いなくバランキルの騎士たちだ。
「ようやく合流できますね。本当に助かりました。」
「うむ。其方ら、私も心から感謝する。」
フィエルと二人で白い獣に礼を言うと、彼らはこれで役目は終わったとばかりにくるりと振り返る。
もしかしたら彼らは私たちが子どもだと分かっていて、大人の所まで連れてきてくれたのだろうか。
山に戻っていく白い獣に対し、馬から下りて深く礼をして見送る。




