異動
コンコンコンッ
「失礼します」 ガチャッ
抱えていた段ボールを一度床に置き、ノックをしてから社長室の扉を開ける。
「おう、来たか。入れ入れ」
入口のドアから見て右奥に社長のデスクがある。社長が立ち上がり俺を招き入れて下さった。
社長室と言えば聞こえは良いが、12畳ほどのこじんまりとした部屋。右奥のデスクと左奥の応接セット。あとは書棚くらい。
段ボールを抱えたまま、俺は社長のデスクへと歩み寄る。この部屋に異動と言われても、俺のデスクを置くスペースがないし、そもそもデスクそのものがない。
もしかして、経理課からさっきまで使っていたデスクを運び出すんだろうか。
「今日からこのデスクを使え。私はそちらのソファーに座るとしよう。
何だ、パソコンは持って来たのか。じゃあ今あるパソコンは移動させて、今まで通り私が使うとするか」
社長、デスクなしでいいんですか……?
「まぁ社長という者は常に社長室に詰めているものじゃない。営業と得意先に顔を出したり、銀行主催の経営者セミナーに出席したり、まぁゴルフに行ったり。
デスクが必ずしも必要という訳ではない。特に君という後継者を育てる私のような社長の場合は特にな」
あー、社長ゴルフ好きだもんなぁ。社長が持ってるクレジットカードの請求書を処理するの俺の仕事だったけど、月に2・3回は行ってるもんね。しかも直接取引のない会社の社長とか、個人事業主とか。まぁ単なる友達だな。
「可能な限り毎日会社に顔を出すようにするべきだが、定時の時間中常に社内にいる必要はない。そこらへんは追々教えてやるとしよう。
さ、まずはデスクを片付けてくれ」
デスクを片付けてくれ? 俺のデスクは綺麗にして来たけど。
社長がデスクから離れ、応接用のソファーへ腰を下ろした。あぁ、社長のデスクを片付ろって事ね。はいはい。
まぁね。俺はまだ社長じゃないし、例え社長になったとしてもこの人は先代社長であり会長になる訳だから、俺にあれしろこれしろと指示を出してもおかしくない立場の人だけれども。
何となく釈然としないながらも、テキパキと社長のデスクを片付けていく。
その間、社長はテーブルに足を乗せて雑誌を読んでいた。眉間に皺を寄せ、難しい表情をしている。
もしかして、今みたいな隙間時間で世の中の景気状況や各業界の情報を把握しておられるのかもしれない。そう思って雑誌の表紙をよく見てみると、ただの写真週刊誌だった。
そう言えば、老眼鏡がデスクに置きっぱなしになっている。横着せず眼鏡かければいいのに……。
「社長、社長のパソコンや私物などはどちらへお持ちしたらよろしいですか?」
「ん? あぁ~、……専務の部屋に持って行ってくれ」
「分かりました」
分かりましたと言ったものの、専務に事前にちゃんと伝えてあるんだろうな?
「困るよ、そんなの聞いていないもの」
ですよねー。
社長のパソコンを抱えたままさぁどうするかと考えていると、社長が専務の部屋へ入って来た。
「田沼君、置いとくだけでいいから。たまに使いに来るだけだから」
それ置いとくだけじゃないじゃん。
専務が何やら言いたそうにしておられるが、結局社長に丸め込まれていた。
ここに置くように、と渋々専務が場所を指定されたのは専務のデスクのサイドテーブル。パソコンの本体と液晶モニターとキーボードとマウスを置くには少し狭いくらいか。
「ちょっと小さいな」
置いておくだけでいいと言った割に、文句を言う社長。後はお2人で話し合って下さい。俺は社長に言われた通りこの部屋にパソコンを移動させ、専務に言われた通りサイドテーブルに設置していく。
専務の部屋は社長室の隣だし、1日に何度もパソコンを触りに来るんだろうな。
パソコンの設置完了。失礼しました、と俺は専務の部屋を辞したが、社長は早速専務の部屋でパソコンを起動して自分が投資している会社の株価のチェックを始めた。
俺は1人で社長室へ戻り、自分が持って来たパソコンを置き、ケーブル等を繋いでいく。ノートパソコンだからそんなに時間はかからない。
そう言えば社長、デスクの中身については何も言ってなかったな。引き出しを開けてみると、あまり整理がされているとは言えない雰囲気。これはさすがに俺が片付けていく訳にはいかないよなぁ。
コンコンコンッ
形だけのノックの後、誰も返事していないのにドアが開く。入って来たのはお盆に社長の湯飲みを乗せた営業事務のおばちゃん社員。
「あれ? ……ちょっとあなた、社長の部屋で何してるの!? どういうつもり!? あ、もしかしてドロボー!!?」
「いやいやいや違うんです! 僕がここにいるのはちゃんとした理由があって……」
「泥棒は皆そう言うのよ! 誰かぁ~~~!! 誰かぁぁぁ~~~!!!」
うっわ面倒臭い展開になって来た。
はい。という訳でね、現在大きい方の会議室に幹部を集めてお話し合いをしている訳ですが。
「おかしいでしょう!? 何で平社員が次の社長なんだ!!」
「最近入って来たばかりのペーペーじゃないか!!」
「営業の何たるかも知らん事務屋に偉そうにされたら堪らん!!」
「私と田沼君が決めた事だ。従ってもらおう」
いいからお母さんの言う事を聞きなさい! みたいなノリで言われても、役職持ちの大人達が分かったよママ、みたいに素直に頷く訳がない。
「上條、お前の部下だろう。一体どうなってるんだ!?」
ダンっ! と机を叩きながら課長に食ってかかる営業部長。経理課の事を事務屋だと暗に貶しているのはいつもの事だ。
「部長、落ち着いて下さい。社長と専務がよろしければ、私から皆さんにご説明致しますが……」
意向を確認された2人は、腕を組んで椅子にもたれながら頷いた。何か、自分で説明するのは都合が悪いのかのような印象だ。
課長から専務と名誉顧問の株を俺が買い取る事になり、それに伴って俺がこの会社の筆頭株主になる事、それをもって次期社長として育成するべく今日付けで社長補佐に据える事となったと説明された。
「納得出来ん!!」
営業部長は説明を受けた後も怒ったままだ。そりゃあそうか、説明されてもすんなり受け入れられる話ではないだろう。
自分の子供と同じくらいの年齢である俺が社長になるなんて、想像もしてなかっただろうからな。
「なら鷲田君、君が田沼君と名誉顧問の株を買い取るか? それだけの金を用意出来るのか!?」
だからさー、ここで金の力をちらつかせるとさー、どんどん俺の印象が悪くなっていくと思うんだけどさー……。
「だいたいこいつがそんな大金持ってるとは思えん! おいお前、本当に金持ってるんだろうな!?」
「僕と社長が実際に口座残高を確認したから間違いないよ」
ようやく専務が口を開いた。社長がイライラを隠せなくなってきたからだろうか。もっと早くから間に入ってほしかった。
しかし俺がそれだけの金を持っているからって、幹部の皆さんが納得するかといえばもちろんそんな事はない訳で。でも、しかし、口々に批判の声が上がる。
「何も突然明日から幸坂君が社長になる訳じゃない。社長と僕とでしっかり面倒を見るつもりだ。僕の持ち株がゼロになったからといって、すぐに専務を退任するつもりもない。
とりあえず今は社長補佐として経営について学ばせ、社長が勇退されて会長になられた際に幸坂君が社長になる。そういう流れだ」
理路整然と説明されたとて、幹部達に納得出来る話ではない。感情が受け入れる事を拒否しているのだろうから。分かる、分かるよその気持ち。
「だいたいお前らの中で社長としてやっていく自信のある奴はおるのか?」
社長、ちょっと黙っててー。
「皆いつ自分が指名されても良いように、会社の為に身を粉にして働いていますとも」
営業部長も負けてないな。社長もそろそろ勇退を考えているだろうし、専務も歳だし次の社長は自分かな、なんて思って諸々の心づもりをしていたんだろうか。
「じゃあ鷲田君、君が次の社長になるとして……」
おっと、営業部長の口角がわずかに上がった。
「銀行から融資を受ける際に求められる根保証、サイン出来るかね?」
「根保証、……と仰ると?」
「上條君」
「はい。会社が銀行から融資を受ける際、代表取締役が個人的に会社の保証人になるよう求められます。その際に根保証という契約を交わすのですが、たった一度の契約でその後に発生する債務にまでも保証責任を負う制度の事を言います」
根保証を交わすとお金を借りるたびに保証人契約をする手間が省け、迅速に融資を受ける事が出来る。
「よく分からん。簡単に言うと、会社が金を借りる為の保証人になる必要がある、という事ですか?」
「そうだ。今会社が倒産すると、私が八億円の取り立てを受ける事になる。家も預金も、資産価値のあるものは差し押さえられる。
会社も失い、家も金も失う。そんな覚悟の上で私は社長の椅子に座っている訳だが、……君にその覚悟があるのかね?」
ギロリ、と社長が営業部長と工場長と設計課長を睨む。誰一人目を合わそうとしない。
社長、ちょっと意地の悪い言い方をしたな。確かに現在の会社の借入総額は八億円ある。あるが、資産として定期預金もあるし会社の土地建物、そして工場の設備や営業車など換金出来るものもたくさん持っている。
倒産に至るまでにそういった資産を売却して返済に充てるようにと銀行に勧められるだろうから、倒産の時点で八億円を社長が個人的に取り立てられる事はないはずだ。
「見ろ、彼は私の話を聞いても動揺すら見せない。経理としてその知識を持っているからだ。その上で次期社長として私の後継者に名乗り出たのだ。その覚悟があるという事だ!」
いや、違います。ただ乗せられただけなんですと言い出せる雰囲気ではないので黙っておく。
「まぁ中小企業のネックだね。僕も社長も会社に身内を入れておれば継承はスムーズだったんだけど、今さら言っても仕方ない事だ。
どうだね、ここは幸坂君の事を社長の息子だと思って尽くしてみてはくれないか。そう思えば納得も出来るというものだろう」
コンコンコンッ
ノックの音と共にドアを開けたのはこの騒ぎの原因を作った営業事務のおばちゃん社員。
「部長、GY電機さんがお見えになったのですが……」
「はぁ……、分かった。すぐに行く。
すみません、失礼しますよ。工場長、一緒に来てくれ」
うちの一番のお得意さんがお見えになったようだ。よく抜き打ちで工場の査察に来られるのだ。
営業部長と工場長が席を立った事でこの場はお開きとなった。
次の日、社内では俺が社長の隠し子だったらしいという噂が流れた。あのクソババァ、俺が社長になったらクビにしてやろうか……。
次話投稿は未定です。
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