07 初めての外回り
夜の街中を私たちは歩いている。
ネオンの光は写真以外では初めて見たけれど、かなりまぶしい。
若い男女から中年までの年齢層で賑わっていた。
「ねぇ、お兄さんたち。今夜はうちで飲んでかない?」
少し歩いていて声をかけられた。
それをクリスが軽く断りながら真っ直ぐ進んでいく。
所謂大人の年齢層の店ばかりが建ち並ぶ。
華やかすぎて怖さを感じる。
女子高生が中年男性に声をかけられていた。
和気藹々と話が弾み、中年男性は女子高生と共に街のホテル街へと消えていく。
「うっ……まさかテレビの中だけの光景を間近で見ることになるとは」
「こういうのはここでは日常茶飯事ですよ」
辺りには酒を飲みすぎて気分を悪くしている者や呼び込みの男性に連れられて店に入って行くものなど様々だ。
中には警察により職務質問されてる者もいる。
ここに何の用事があるのだろう。
ちら、とクリスを見ると、彼は私の肩を抱いた。
「ちょっ……!」
「失礼。歩きながら説明します。今は恋人同士として歩いてください。わたしでは役不足かもしれませんが」
飲み屋とホテル街が建ち並ぶ場所で迂闊に声をかけられるのは阻止したい。
私はそのまま寄り添うようにして歩いた。
「今夜は満月です。血を与えられたばかりのヴァンパイアは……」
その時、男性の叫び声が聞こえてきた。
「説明は後です」
クリスは私の腰に手を回し、少しバランス崩したところで横抱きにして高く跳んだ。
不安定でだんだんと体が浮く事については恐怖を覚え、思わず叫んでしまったけれども。
「きゃあぁぁぁ」
……が、しばらくすればそれも慣れた。
それ以上に夜景がきれいだったからだ。
ヴァンパイアは蝙蝠になって空を飛ぶ、とか、霧のように身体を変化させるは迷信だったようだ。
屋根を移って現場へと向かうと、そこはホテルの中の一室だった。
窓の外から見えるのは女性が男性に近づいていた。
首に手をかけられるところで私達は開いていた窓から侵入する。
「涼香さん。取り押さえてください」
私を下ろしたかと思いきや、無茶な要求をされ、とりあえず女性の方を引き離すことにした。
「血……血が欲しい…………」
グガァァ、と呻く女性が抵抗しようとバタバタする。
素人なりに腕ごと抱きつくように捕まえている。
すごい抵抗。もう駄目……。
「ちょっと……! 早くしてっ」
思わず叫ぶと、クリスは抵抗する女性の首に注射器を刺していた。
「グ、グァァァ…………ァ、……あ」
女性は大人しくなり、目許がとろんとしながらぐったりとした。
抵抗しなくなったのを確認して私は腕を離した。
近くの襲われていた男性を確認しようと視線を走らせると、既に男性の姿はなかった。
私とクリスのやり取りの間に逃げてしまったらしい。
「ヴァンパイアって血を飲まないんじゃなかったの……?」
「本来なら血を必要とはしていません。ただ満月の日は暴走が起こります」
「暴走?」
「主に暴走するのは契約者です。徒らにヴァンパイアが契約者を作ってそのまま捨ててしまった場合、行き場のなくなった契約者は食事の摂りかたは知りません。その時、血を欲しそのまま肉を喰らいます。満月は彼らの飢餓に対しての欲求が強くなります」
食べないと生きていけない。
それは人間もヴァンパイアも同じだ。
私もクリスに拾われなければ暴走していたのだろうか。
想像すると気持ち悪くなった。
胃袋に何もないから出すことはできないけれど。
「ねえ、クリス。今彼女に打ったのは何? これから彼女はどうなるの?」
私はクリスのスーツの下襟を掴んだ。
「それは強力な栄養剤です。涼香さんが今飲んでいる錠剤の3倍以上の効果があります。もうすぐ彼女が目を覚ましますよ」
ぱち、と女性が目を覚ました。
「…………」
ゆっくり上半身だけ起き上がり、辺りを見回す。
男性はいないものの乱雑に散らかった部屋で状況を把握したのか、取り乱すように叫び出した。
「わっ、私……人を、人を…………っ!」
ぶるぶる震えながら両腕を抱えている。
以前人だった以上、人を襲うのは恐怖でしかない。
私も同じ立場だったらと思うとぞっとしてくる。
「大丈夫! その人は貴女を止めてるうちに逃げたから」
私が言うと、女性と目があった。
「ほんと……?」
「本当よ。貴女を止めている最中に逃げたわ」
「よかった……」
女性はホッと瞳を和らげた。
「これから貴女は施設に行ってもらうことになります。欲を抑えられるようになれば戻る事も可能になるでしょう」
「はい……」
力無い女性の声を横に、私は迎えの車を頼んだ。
これから彼女はどういうところに連れて行かれるのだろう。
私とクリスは彼女を挟むようにして後ろの席に乗りこんだ。
無言には耐えられない私だけれど、正直ヴァンパイアの暴走を初めて見てしまった事実がきつくて会話をする気になれない。
渡会コーポレーションとは反対の海沿いへと向かって行く。湾岸通りをさらに走ると先端の方に船が停まっていた。
そこに男性が2人。
「こちらの方をお願いします」
「了解しました」
女性は男性の間に挟まれるようにして船に乗り込んだ。
時折不安そうに何度も振り返る様子に私の胸がちくりと痛んだ。
船はだんだん遠くなっていく。
彼女が戻れる事を祈ろう。そう思った。
「さて、帰りましょうか」
クリスが振り返る。
あ、そういえば上司なのにずっと敬語を忘れてた。
咄嗟の事だったのでまあいいかと開き直ってみる。
「はい。クリス」
私はこれから少しでも体力をつけようと密かに決意を固めた。