六根清浄
スフィンクスは、私でも問題に正解できることを保証してくれた。
つまりこの問題は”難しい”問題ではあるが、”解けない”問題ではないということだ。
ここまでのヒントを整理してみよう。
恐らく鍵になるのは、二つ。
一つは、答えが概念であるということ。
もう一つは、それが「どちらかといえば説話に基づいている」ということ。
それを踏まえた上で、私が考えるべきことは一つ。
”なぜスフィンクスはそれを問題の答えとして設定したのか”だ。
それも、私でも正解できなくはないことを想定して。
一体、スフィンクスは、どんなことを考えているのだろうか。
機械の思考とは、どんなものなのだろう。
まずは本人に聞いてみるのが早いかもしれない。
「第九の質問。あなたは、人間と同じように思考しているのですか?」
スフィンクスは、やや考えてから答えた。
「イエスともノーとも言えない。私には人間の思考は分からない。特にお前の思考はな」
私を見下ろすスフィンクスの水晶のように透き通った眼は、私との会話を楽しんでいるように見えた。
そこでふと、少し前の後輩との会話を思い出した。
あれは中世のフィレンツェ展示地区からの帰り道だっただろうか。
私がふと思いついて、機械に詳しい後輩に聞いてみたのだ。
「突拍子も無い話なのだけれど、『サピア=ウォーフ仮説』ってロボットでも同じなのかな?」
「いきなり変なことを言いますね。『サピア=ウォーフ仮説』は、確か言語が思考に影響するって話ですよね」
「そうそう。『青』と『緑』を区別する言葉が無い部族は、『青』と『緑』を見分けにくいって言われてるね」
後輩は、私の話に耳を傾けながらも、その内容を信じてはいない様子だった。
「それが正しいならば、機械はプログラミングされた言語に依存して思考する、ということになりますね。
ま、確かにプログラム言語におけるループ構造の有無によって計算可能な範囲は大きく変わります。
例えば、f(x) = x×f(x-1) となるような関数 f(x)は、自分で自分を参照しています。
いわゆる再帰性というやつですね。
言語が計算を規定するという意味では、当てはまると言えなくもありませんが」
「へー。じゃあある意味、『サピア=ウォーフ仮説』ってロボットにも当てはまる訳か」
感心していた私に、後輩が釘を刺す。
「ただ僕は、『サピア=ウォーフ仮説』は一部の言語学者の生み出した虚像でしかないと思っていますけどね」
「どうして?」
「機械のプログラム言語は不変ですが、人間の言語は時間的かつ空間的に常に変化し続けているじゃないですか。
当たり前ですけど、人間は思考することで言語を変えることができるんですよ。
例えば、日常会話と敬語を使い分けるのは一般的ですし、逆に敬語を使わないという選択すらできます。
長いスパンで見れば、人間は思考を介して新しい言葉や文法を生み出し、あるいは使わなくなるということを繰り返しています。
必要に迫られて、あるいはふとした思い付きによって、言語は生まれ、必要が無ければ廃れていくんです。
ある事を指す言葉が無ければ、それについての思考も必要は無いということですから、思考されなくなっていく。
ただそれだけのことです」
「なるほどね。言語と思考がお互いに作用しながら循環しているって感じか」
後輩が首を大きく縦に振った。
「その通りです。
それなのに、その循環の一部だけを切り取って、面白い事例を片手に『言語が思考を規定している』だのなんだのと、言語学者が無知な人々に熱弁している訳ですよ。
ちょっと考えれば分かることなのに、聴衆はすぐに煽動されるから困ったものです」
後輩の少しむくれた顔を、今でも覚えている。
後輩が毛嫌いしているサピア=ウォーフ仮説はともかくとしても、機械の思考というものは、果たして人間と同じなのだろうか。
それは例えば、古代人と古代語で話していた古代のロボットが、現在に至るまでそれぞれの時代の言語に合わせて言語を少しずつ変えるという思考が可能である、ということである。
不死身の人間ならば、努力次第で不可能ではないだろう。
だが機械なら、ソフトウェアが対応できない言語に直面した場合、人間が修正しない限り新しい形式に対応するのは難しいのではないだろうか。
いや、しかし言語の柔軟性から考えれば、多少の言語の間違いがあっても話さえ通じればコミュニケーションは可能である。
多少のミスはあっても、片言で切り抜けられるかもしれない。
そう考えると、機械の思考というものは人間とは少し異なるが、そこまでかけ離れていないと言ってもいいのだろう。
とはいえスフィンクスの視点に立ってみると、問題が無いとは言えない。
スフィンクスが人間とほぼ同じように思考していたとしても、スフィンクス本人からすれば、人間の思考とのわずかな差異にコンプレックスを感じているかもしれないからだ。
それは片言の外国人がネイティブに対して抱く感情に近いように感じる。
会話は成立しているけれど、どこか伝えきれず、すれ違いの残っている感覚。
それは芽生えたばかりの自信を無情に摘み取り、自己を殻の中に閉じ込めさせてしまうだろう。
理解者のいない孤独は、誰にでも共通する感覚だ。
慣れない異国の地で、足手まといの拙い言葉を振りかざしながら、その日その日をどうにか乗り切っていく。
その繰り返しの中で、自分が生きる意味を自問し、答えを見つけ出そうとすることは、何も間違っちゃいない。
その対価として、人間は寂しさを得る。
だから寂しさは、生きる喜びと言ってよい。
もしもスフィンクスが「生きている」のなら、きっとスフィンクスも寂しいのだ。
そう考えついたとき、私の目の前が急に開けた気がした。
スフィンクスの瞳から世界が見えたかのようだった。
六根清浄という仏教の言葉がある。五感に意識を合わせた六つの点で我欲を捨てることで、清らかな認識を保ち、正しい道を行くことができるという教えだ。
人間の思考というものは、『サピア=ウォーフ仮説』みたいに言葉に縛られているよりも、むしろ我欲に縛られていると考える方が、よほど正しい。
人間は見たいものしか見ようとしないからだ。
私もスフィンクスのことを考えようとしていたが、無意識のうちに我欲が働いて、自分の見たいスフィンクスだけを見ようとしていた。
全てを跳ね返す鋼の心と、風雨に負けない機械の体を持ち、何物にも流されず、自らの意思に純粋に従う存在。
そんな無意識のフィルターで、私はスフィンクスを捉えていた。
でも本当のスフィンクスは違うのだ。
スフィンクスだって、寂しさを感じることもある。
来場者との問答を通して、スフィンクスは人間との思考のギャップを感じていたのではないだろうか。
故障する以前の、簡単なクイズを来場者に出す"アトラクション"だった時も、全ての人間が正解していた訳ではないだろう。
そんな張り合いの無いやり取りしかできない人間たちが博物惑星を楽しそうに見学しているのを見て、スフィンクスが何も感じなかったということは無いだろう。
人間共に難問を出して困らせてやろう、と考えたとしても不思議ではない。
だが、私にはスフィンクスが意地悪をしているようには感じられなかった。
私の前の多くの挑戦者が力尽きていく時、スフィンクスは決して楽しそうには見えなかったのだ。
むしろスフィンクスは、私に正解して欲しがっていると思える節さえある。
私に正解できると思っている、ということだけではない。
私がこの問題に正解すれば、この門を開放すると約束したのは、スフィンクスはこの場所を開放したがっていることの表れとも取れるのである。
それはすなわち、スフィンクス自身は難題を出したい訳ではなく、それを私に止めて欲しいのだ。
ただ、疑問なのはスフィンクス自身が問題を出すことを止められない、ということである。
そういう故障なのだと考えることもできるが、不自然さが残る。
故障を直しに来た技術者に正直に相談すれば済むことだからだ。
そこでついに私は、一つの直感に辿り着いた。
もしやスフィンクスは、望んでいないにも関わらず、何者かによって難題を出すことを強制されているのではないだろうか。
その犯人の目的は明確だ。
テーバイ展示地区の封鎖である。
スフィンクスが故障したことにすれば、不自然には思われないと犯人は考えたのだ。
では犯人はなぜテーバイ展示地区を封鎖したのだろうか?
私のような学芸員であれば、来場者用の入り口以外からでも入場はできるようになっている。
だから犯人は、学芸員以外の人物を中に入れないことだ。
意外なことに、私は心当たりのある人物を知っている。
笠乃屋だ。
彼は自らを探偵だと言っていた。
テーバイ展示地区に用事がある、とも。
犯人が彼を足止めするためにスフィンクスを利用したとみて間違いはなさそうだ。
もしもここまでの私の推理が正しければ、必然的に犯人は笠乃屋の調査対象の人物ということになる訳だが、今はその詮索をしている場合ではない。
私はスフィンクスの声なき声に答えなければならないのだ。
そして私は、最初の問いかけに戻る。
”なぜスフィンクスはそれを問題の答えとして設定したのか”。
もし私がスフィンクスの立場だったなら、どんな答えにするだろうか。
私の推理通り、意に反して難題を出すことを強制されているならば、選択肢は一つだ。
難題に見せかけて、実は簡単な問題を出すのである。
そうすれば難題しか出せない状態でも、正解してもらえる確率は上がる。
難題に見せかけている。
まさかこれは、エキスパートモデルの問題ではないのか。
その時、聴衆の方が少し騒がしくなった。
見遣ると、またエフが遊んでいる。
だが今度は一人ではない。
笠乃屋も一緒だ。
「これでチェックメイトだ! ソウヘイ破れたり!」
エフが赤のナイトを進める。
「甘いな、エフ。甘いよ」
笠乃屋は、表情一つ変えずに白のビショップでナイトを弾いた。
「なんだって! そんな手があったとは」
「いや、気付けよ、こんくらい」
彼らも待ちくたびれて暇そうである。
いや、これもヒントなのか?
ワニ、ウサギ、ネコ、そしてチェス。
一見、何も関係ないように思えるが……。
……ん?
ハハーン、そういうことね。
お読み頂きありがとうございます。
これを書いているのが28日の午前1時でございます。
なんとか朝の更新に間に合いました。
仕事しながらだと流石にキツイですね……。
ま、29日の最終話の更新分は、徹夜すればなんとかなるかな。
何にせよ最後の種明かしを焦らすつもりはありません。
明日の更新をお楽しみに!
2018/12/28 初稿