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五里霧中

 ワニとウサギ。


 笠乃屋の与えてくれたヒントから、連想されるもの。


 それはやはり、今は無き神話の国、日本の「因幡の白兎伝説」だろう。




 「因幡の白兎伝説」では、陸と陸の間を渡ろうとした白兎が、和邇わにという怪物たちに「どちらの同族が多いか比べるために、お前たちの数を数えてやろう」と言って、海の上に一列に並ばせた。


 白兎は、その背中の上を数えるふりをして渡っていったのだが、降りる間際に「お前たちは騙されたのだ」と言ってしまい、怒った和邇に毛を剥がれてしまう。


 白兎が泣いていると、そこに大国主おおくにぬしの兄弟である八十神やそがみが通りがかった。


 事情を聞いた八十神は「海水に浸かってから日に当たって乾かせばよい」と、嘘を教えてやった。


 実際にやってみた白兎だったが、逆に傷が酷くなってしまった。


 そこにやってきた大国主は「すぐに身体を水で洗い、がまの穂の花粉をつけておけばよくなるだろう」と教えた。


 大国主の言葉に従った白兎は、たちまち傷が癒えたと言われている。




 この神話に出てくる和邇とはサメのことであると一般的には解釈されているが、読み通りワニであるとも言われており、確かなことは分からない。


 実はアフリカや中国にも同様の話が存在しており、そこではサメではなくワニが登場人物だ。


 それらの話の中では、ウサギの尻尾が短いのは、怒ったワニに食われてしまったからだと説明されている。


 そもそも日本にはワニは生息していないが、インドから東南アジアにはイリエワニが生息している。


 因幡の白兎が載っている古事記は八世紀初頭に書かれている。それ以前から日本は遣隋使を通して大陸の情報が入ってきていた。


 特に仏教はインドを源流としているため、インドに滞在したことのある仏僧から伝え聞いたワニの情報が日本に入ってきた可能性は否定できない。




 閑話休題。


 ちょうどワニと同じ頃には、大陸からライオンのことも伝わってきていたという。


 しかし日本には存在しなかったことから、犬だと勘違いされたとも言われている。


 それが、例の狛犬なのだ。


 インドやエジプトで守護神とされていたライオンの像が、日本では狛犬として定着したのである。




 どうしてこんなに詳しいのかと言えば、私は説話や民話に興味があって調べていたことがあるのである。


 複数の古くから伝わる話の類似度を元に、系統樹を作成することでルーツを探るという解析手法は、とても面白いものだった。




 何はともあれ、ワニとウサギというヒントは、これらの説話を指している可能性がある。


 そしてこれまでの質問から、答えは”形の無い概念”であることが分かっている。


 では、どんな答えが考えられるのだろうか。


 これらの説話の主題に共通するのは、「他人を騙すと痛い目に遭う」という警句である。


 また因幡の白兎に関しては、騙した人にも優しくする寛大さについても描かれている。


 まずはその辺りを探ってみればよいだろうか。




 とはいえ、確信がある訳ではない。


 あの探偵たちがヒントを出しているというのは、私の勘違いであるかもしれない。


 私の推理が間違っているかもしれない。


 自らの思考を反芻はんすうすればするほど、スフィンクスへの問いが、なかなか口から出てこようとしない。


 と同時に、私の心臓がエンジンのように拍動しているのを感じた。




 この感覚は、まるで厚い雲の中へ飛び込んでいく複葉戦闘機のようだ。


 雲の中を通れば、暴風雨に晒され続け、前方も目視できない。だが最短ルートを通ることで、敵が油断している隙をつくことができる。


 そのためには、風と雨を操る悪魔の手から、鉄の翼と赤い心臓を守ることのできるパイロット・テクニックが求められる。


 自分にそれができるという確信は、ナルシズムと紙一重だ。


 ナルシストの両手は、完璧主義者の描く不安から私の眼を覆ってくれる。


 無意識の看過ほど心地良いものはない。




 自己愛の快感から私を現実につないでいてくれるのは、この手で握りしめた操縦桿だけだ。


 操縦桿を通して、飛行機の胴に当たる雨粒の量や、吹き付ける風の強さや、プロペラの回転数が、私の体の一部であるかのように分かる。


 計量したそれらを瞬間的に天秤にかけて、この目で目盛りを読み取ることで、私はナルシストに眼を塞がれることなく、雲の中へ突撃することができる。




 私の眼は、見えているか?


 私の問いには、誰も答えてくれない。




「第五の質問。答えは、説話に基づいていますか?」


 するとスフィンクスは返答を躊躇っているようだった。


 しばらくしてスフィンクスの口が開いた。


「どちらかといえば、イエス」




 

 ”どちらかといえば”とは、どういうことだろうか。


 考えてみると、ウサギとワニの話は説話とも言えるが、伝説とも言えるし、物語とも言える。


 それは、どの地域の話を基準とするかで異なるものだ。


 その曖昧さを、スフィンクスは”どちらかといえば”と表現したのではないだろうか。


 裏を返せば、私の推理、そして笠乃屋のヒントは正しい可能性があるということである。




「第六の質問。答えは、警句ですか?」


「ノー」


 警句ではないならば、答えは何だろうか。


 他に概念として当てはまりそうなもの。


 そこで私は一つ、気が付いた。


 因幡の白兎伝説に出てくる和邇わには、伝説上の怪物である。


 そして、目の前にいるスフィンクスもまた、伝説上の怪物である。


 もしかしたら、そういうつながりを意図しているのかもしれない。


 ”答えは動物か?”という質問に”ノー”と答えたのも、怪物は動物の定義から外れているから正しい。


 それに怪物は、人間の生み出した概念だ。


 これまでの問答に合致している。




「第七の質問。答えは、伝説上の怪物ですか?」


「ノー」


 怪物の冷たい返答に、私は頭を抱えることしかできなかった。


 他に何か答えになりそうなものはないだろうか。


 考えても考えても、私に天啓は降ってこなかった。




 はっとした私は、情けないことに、また笠乃屋たちの方へ視線を向けてしまっていた。


 そこに見えた光景に、私は衝撃を受けた。


 エフが、また動物の真似をしている。


 腕を前に出して伸びをして、それから丸めた手で顔を洗う。


 それはどう見ても、ネコの所作だった。


 言うまでもなく、ワニとウサギの話に、ネコは全く関係ない。




 五里霧中の私は、いつの間にか操縦桿から手を離してしまっていた。


 手探りで手を伸ばすが、操縦桿は見つからない。


 私は、今どこを飛んでいるのだろうか。


 もしかしたら高山地帯にいて、今にも山肌に正面衝突するかもしれない。


 もしかしたら海の真っただ中にいて、燃料切れで海中に没するしかないのかもしれない。


 恐怖が私の心を侵食し始めていた。




 私は冷静に、燃料ゲージに目をやる。


 残りの質問数は、十三。


 半分以上はある。


 まだ希望はある。


 だが無駄にすることは許されない。




 残りの質問を何に費やすべきだろう。


 笠乃屋たちのヒントを再考するべきか?


 いや、冷静に考えれば、エフが好き勝手に動物の真似をして遊んでいる可能性が高い。


 そもそもさっき出会ったばかりの連中である。


 信頼に足るとも思えない。


 もう無視するべきだ。




 では私は、答えを見つけるために、何をしなければならないのだろう。


 これまでの問答の中に答えにつながるヒントが無いか、見直すべきだろうか。


 いや、そこから答えにつながる確率は低い。答えの範囲が狭まっていることと、答えが分かることは違う。


 魚が池の中にいることが分かっていても、魚を釣るためにはそれがどんな場所を好み、いつどんな行動をするかを熟知しなければ、釣り上げる確率を上げることができないのと同じだ。


 私は、私の知らない答えのことを知らなければならない。


 酷いパラドックスだな、と自分で自分を笑いたくなる。




 その時、頭の中に閃くものがあった。


 答えを教えてくれるのは、答えを知っている者しかいない。


 つまりスフィンクス自身である。


 答えを作ったスフィンクスのことを知ることで、私は答えに近づくことができる。


 そのことに、私は気付いていたじゃないか。


 答えが概念であると判明した時、私はこう考えていた。


 スフィンクスの眼で世界を捉え直すべきかもしれない、と。




 そう考えると、目の前のスフィンクスも私と同じように見えてくる。


 スフィンクスもまた、自分と戦っているのだ。


 出題した問題が私に簡単に解かれてしまったら、面目は丸潰れである。


 どんな奴とも分からない人間に、どんな答えを出せば解けないだろうか。


 それを判断しているスフィンクスも、先の見えない雲の中へと突き進んでいるのだ。


 だから私はスフィンクスになって、スフィンクスの眼でスフィンクス自身の天秤の目盛りを見なければならない。




 幸いなことに、このゲームにおいてスフィンクスは嘘をつくことを許されていない。


 ルールとは、活用するためにあるものだ。


「第八の質問。あなたは、この問題の答えが私に解けると思いますか?」


「……」


 スフィンクスの美しい顔が固まった。


 聴衆たちも、私の突拍子もない問いにざわめき出した。


「あの学芸員はもう諦めたのか、この問題を!」


「真面目にやれ!」


 嵐のように轟く罵声の中で、スフィンクスはおもむろに口を開いた。


「イエス」


 雨風に打たれる嵐の夜の中で、一筋の光明が見えた気がした。




 一方、笠乃屋はスフィンクスに対峙するココの顔を凝視していた。


 エフがネコのように笠乃屋の顔を覗きこむ。


「どうしたんだニャア」


「あいつは気付くかもしれない」


「もう僕らのヒントには、気付いているんじゃないのかニャ?」


 笠乃屋はエフの言葉が耳に入っていないようだった。


 彼の眼差しは、ココの一挙手一投足に注がれていた。


 その心の動きを逃さぬように。


「次のヒントが必要だ。まだ迷いがある」


「まだやるのかニャー?」


「きっとこれで最後だ。俺の眼が正しければな」


「で、次は何の真似をすればいいんだい?」


「次は真似じゃない」


 そう言いながら、笠乃屋は唐笠イロハを手に取ると、広げて地面に置いた。


 笠乃屋がイロハに何かを囁く。


「承知しました」


 そう答えたイロハの笠の中が、淡い青白い光を出し始めた。


「こんなところで3Dプリンターなんか使って、何を作るんだニャ?」


「楽しいゲームをしようじゃないか」


 笠乃屋は悪戯っぽく笑った。


 そして笠乃屋はちらりと、離れたところに立っている学芸員ミダスの顔を窺った。


 ミダスは、あの”レオーネ氏は正解できる”というスフィンクスの答えに、苛立ちを隠せていなかった。

お読み頂きありがとうございます。


ワニの語源のルーツについては、諸説あるみたいですね。


本作では、独自の解釈も含めて書かせて頂きました。


ワニ、ウサギ、そしてネコ。


こんなヒントで当てられるかよ、と思いますが、答えを知っている筆者としては、悪くはないヒントなのかなと思っています。


早く答えが知りたい方は、明後日にタイムスリップしてください。


それでは。


2018/12/27 初稿

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