四角四面
スフィンクスの前で、私はうわついていた心を抑え、冷静になりつつあった。
私はスフィンクスに負けるわけにはいかないのだ。
当てずっぽうに答えるよりも少し遠回りにはなるが、今は四角四面な人間になって、確実な方法を取った方がいいはずだ。
私は、スフィンクスの瞳に視線を向けた。
青く輝くサファイアを、狙撃銃のファインダー越しに狙うかのように。
「第三の質問。答えは有機物ですか?」
「ノー」
「第四の質問。答えは無機物ですか?」
「ノー」
変わらないスフィンクスの表情は、逆に私を嘲笑っているかのようだった。
ここまでに四つも質問を浪費してしまったが、分かったことが一つある。
「第五の質問。答えは、概念に類するものですか?」
「イエス」
やはり、スフィンクスが紙に書いた答えは、物ではなかった。
怒り、喜び、熱い、赤い。
概念には必ず主体が存在する。
言い換えれば、それらは全て人間によって生み出されたものだ。
例えば、『赤』という色がある。
しかし、その正体は波長700nm前後の電磁波だ。
それをヒトが網膜と視覚野を介して知覚した時に得られた神経パルスが、大部分の同種族の間で一致しているから『赤』という概念が生まれたのである。
実際、『赤』とされる光が見えない色覚異常の人は、『赤』という概念を自力で生み出すことは難しいだろう。
概念とは、主体がより生きやすくするための外的世界フィルターなのだ。
もしかしたら、私はスフィンクスというアンドロイドの眼から世界を捉え直さなければならないのかもしれない。
果たしてスフィンクスは、この惑星ミューズをどう見て、何を感じているのか。
そもそも機械は概念を理解しているのか。
難解で奇怪な問題である。
砂漠の乾いた砂のように捉えどころのないその答えを、どうやったらこの手に掴むことができるのだろう。
掴んだと思ったそれを確かめてみれば、砂は石英の乱反射とともに指の隙間から零れ落ちていく。砂時計のように、時間ばかりがただただ過ぎるだけ。
私は無為に時間を過ごしてしまったことに絶望して、その手で何かを掴むことにすら恐怖することになるかもしれない。
そう頭の中では分かっていても、私に義務付けられているのは砂を掴むことであり、そして何より不運なことに、私自身がそれをやりたいと思ってしまっている。
私は、私のわがままにほだされている。
私は、砂場で遊ぶ子供なのだろうか。
そう自問しながら、私は砂塵の海の中に埋没していく。
砂のざらざらとした飛沫が顔に当たり、脚や胴、腕へと徐々に砂がまとわりついてくる。
生きていることの息苦しさと、重さ。それが今、私の全身を支配している。
答えの見えない問題。
答えの見えない生き方。
正解なんて存在しないし、正解なんていくらでもある。
矛盾しているその警句に、私はただ頷いて賛同することしかできない。
私はただの、砂上の楼閣。
問題を面白いと豪語し、答えてやると意気込んで自分から乗り込んできたのに、答えが分からなくなると途端に足が止まってしまう。
私はダメ人間だ。
と、その時。
視界の隅に何やら奇妙な動きをする影が見えた。
視線を向けてみれば、それはまたしてもエフだった。
群衆の前に出てきて、一人うさぎ跳びをしている。
あっちこっちへぴょこぴょこと、エフは飽きもせずに跳ねている。
ワニの次はウサギか。忙しない子だな……。
いや、待てよ。まさか……。
私は自分の考えに半信半疑のまま、群衆の中にあの赤い唐笠を持った男の姿を探した。
着物を着ている笠乃屋は、すぐに見つかった。
私と目が合うと、笠乃屋は企みめいた笑みを浮かべた。
驚きのあまり、私はもう少しのところで声を出してしまうところだった。
やはりそうだ。この男は私に”答え”を伝えようとしている。
ということはつまり、あの男にはこの問題が解けたということだ。
いや、笠乃屋が答えを間違えている可能性もあるにはある。
だがしかし、あの笠乃屋の笑みには、何か確信めいたものを感じたのだった。
それならば、まずはあの男の伝えようとしている”答え”を読み取らねばなるまい。
笠乃屋の答えをスフィンクスに答えるかどうかは、それから考えればよい話だ。
ま、カンニングは良くないのだけど、こんなところから早くおさらばしたいんだから、いいでしょ別に。
兎にも角にも、ワニとウサギという二つのヒントから、一体どんな答えが導き出せるというのだろうか?
お読み頂きありがとうございます。
ワニとウサギ。
このヒントから、スフィンクスの問題の答えを当てられる方はいらっしゃるでしょうか?
できれば当てて欲しくはないのですが……。
本作が完結したときにはスッキリ納得して頂けたらなと思います。
それでは。
2018/12/25 初稿