クレール村のカイン
「よぉ! 今日も精が出るなぁカイン! 少しは様になってきたじゃねぇか!」
無精髭に大柄な体躯、日に焼けた褐色肌の中年農夫が木陰で木剣を振るう青年に話しかける。作業後だからか、服は土で汚れていた。
「グランさん」
素振りを中断し額の汗を拭きつつ、カインと呼ばれた青年は農夫の方を見る。
「この前修理した獣避けの柵はどうですか?」
「ああ! お陰で野菜が荒らされることはなくなったよ。助かった! これで一安心さ! 一段落したら野菜を持って行ってやるよ! 良い出来だぜ?」
「ありがとうグランさん! 母さんも喜ぶよ!」
「なぁにお互い様さ。それよりも聞いたか? コカドリーユが出やがったらしい。隣村がヤられたって話で村中大騒ぎだ。」
グランが曇った表情でモンスターの出現を告げる。
その事を聞きカインの表情は一瞬で曇る。
「コカドリーユが? さっき狩りから戻って直接ここへ来たので今初めて聞きました。被害は?」
コカドリーユ、地域によってはコカトリスとも呼ばれる蛇尾を持つ巨大な鳥の怪物だ。
その名を聞いてカインの表情も一変し、まずは被害状況を確認する。
「俺もちらっとしか聞いてねぇからどんだけの被害かは分からないな。物騒な話だぜ……ったくよ」
「ええ。僕達の村にも現れるのでしょうか……」
「さぁどうだろうな。何にせよ警戒しとくに越したことはねぇな」
カインの暮らすクレール村では狼による家畜の被害や害獣による農作物の被害は日常茶飯事だ。
しかし今回はそんな事とかけ離れた騒動である。兵が常駐しているわけでない小さな村にモンスターが出現したとなると死活問題だ。
「俺もここでの生活は随分長いが、モンスターが出たなんて事ぁ一度もなかった。何やらとんでもねぇ事が起こってやがるのかもしれねぇ…」
「モンスターが現れたとなると……討伐隊を組むか、それとも依頼するんでしょうか?」
眉を潜め舌打ちするグランを見てカインが尋ねる。
「そいつぁ……」
グランが何か言おうと口を開いた矢先、誰かが大声を挙げて走り寄って来る。
「カイン! ここに居たか! グランさんも丁度良かった!」
着崩した紫色のシャツに少し色褪せた原色のレザーベスト、焦げ茶色のズボンを履いた青年が2人の元へと近付く。
体型に合わせたかのような細身のシャツは痩せ型であることを強調しており、大きく開いた胸元には汗が光っていた。
「そんなに慌ててどうしたんだローベルト?」
カインは汗だくになっている青年、ローベルトに話しかける。
「またフラれでもしたか?」
慌てるローベルトの顔を見るとグランは一瞬気を緩め、いつものように笑いながらからかおうとした。
そんなグランを横目にソバカス顔の青年、ローベルトは息を整えつつ話し出した。茶色の髪は走ったことによる汗と風で乱れたままだ。
「ふぅ……そんなことより! グランさんとカインを村長が探してたんだ! 話があるって!」
その話にグランとカインは冗談を言っている場合ではないと真剣な表情で目を合わせる。
「討伐がなんとかって言ってたけど……とにかく伝えたからな! 走って来たから俺は休むよ」
ローベルトはそう言うとカインが素振りをしていた木陰に座り込み休憩を始めた。
「グランさん、急ぎましょう。モンスターの件でしょう」
「ああ、間違いねぇ」
カインは木剣と荷物を急いで手に取り、二人は頷き合うと一斉に走り出す。
道中カインは思っていた。
グランは農夫にしては眼光鋭く、鍛え抜かれた筋肉は服の上からでも確認できるほど隆起している。普段は温厚で気の良い農夫だが、コカドリーユの名を発した瞬間から農夫の目付きではなくなった。
それはまるで戦士のような雰囲気であると。
村の舗装されていない土埃舞う道を走ること数分、奥に位置する長の家に到着した。
長距離を走りカインは肩で息をしているが、グランは息も乱さず汗ひとつ掻いていない。日頃剣を振り、毎日のように山へ狩りに出掛けているカインは体力に自信があった。
しかしこのグランの体力は何なのだろうか。
「村長! グランとカイン到着しました!」
貧しい村の中でも比較的大きく、塀に囲まれた屋敷のドアをグランがノックする。
程なくして中から眼鏡を掛けた黒髪の若い女が出てきた。肩まで伸びる髪、少し長めの前髪は左側だけ蝶を模した髪止めで上げている。蒼い瞳と眼鏡は知的な印象を抱かせる。
「グランさん、カイン、お待ちしてました。どうぞ中へ、丁度父も帰ったところです」
藍色のワンピースを翻し、女は2人を屋敷の中へと招き入れる。
彼女の名はアニエス、カインの幼馴染みだ。
産まれた時より母と2人、幼少の頃に母を亡くし父と2人。似た境遇同士、自然と仲良くなった。
そこへいつの間にかローベルトも参加し、よく3人で野山を駆け回ったり読み書きの勉強をした。
アニエスが姉の様な存在、ローベルトが一緒に悪巧みをしてはアニエスに怒られて笑い合う兄弟の様にカインは思っていた。
2人はアニエスに案内され応接間へと入る。
そこには白髪の男が座っていた。机に肘をつき、髪と同色の顎髭に右手を添えつつ男は口を開く。
「グラン、カイン急に呼び立ててすまないな」
初老の割にはっきりとした低い声で男は軽く挨拶し、2人の顔を見る。
「2人とも何の用か大体分かっておると思うが、コカドリーユの事だ。隣村に出たことは知っておるな?」
カインとグランが静かに頷いたことを確認し村長は更に続ける。
「まずは被害状況だが、隣村からの伝達によると女子供が10人ばかり犠牲になったそうだ。そしてこの村の方角へ消えて行った、と聞いておる。間違いなく近い内にここへも現れるだろう……」
カインは村長の話を固唾を飲みながら聞いている。対するグランはただただ冷静に話を聞いていた。
「現れたのは1匹、その場で4人ほど喰って残りは拐って行ったという話だ」
「拐われた人達を助けることは出来ないのでしょうか?」
生存している可能性がないかカインは口を挟むが、村長は目頭を押さえながら首を横に降った。
「いや、残念だが全員死んでおる。奴はまず好物の目玉を抉り頭を喰らう。残りは拐い数日掛けて平らげるんだ。首無しの死体を運び消えて行ったと聞いている」
「そうですか……」
カインは悔しそうな表情で拳を握りしめた。
グランはそんなカインの肩へそっと手を置き、村長へ話を続けるよう目で促した。
「持ち帰った餌は6人程、おそらく食い終わるのに3日は掛かるだろう。現れるならば4、5日後。その間に急ぎ討伐隊を組み、村の防護準備をせねばならん。2人には志願者を集めて時間は無いが多少で良い、訓練をしておいて欲しい」
「「承知しました」」
二人は声を揃えて返事した。
「しかし俺は良いが、村の志願者だけで対処出来るとは思えねぇんですがね村長。いや、出来るだけのことはしますがね……」
グランが頭を掻きながら、申し訳なさそうに話す。
確かに人口100数人程度のクレール村では志願者を募ったところで10数人集まれば良い方である。
それに殆どが農業を生業としているため、狩猟の為の弓の心得はあるとしても戦闘訓練は受けていない村人ばかりだ。
「そこは心配せずとも良い。昔馴染みの傭兵に伝令を送っている。昨日の今日だが明日には到着するだろう。あくまで村人たちはサポートとして討伐に参加してもらいたい」
「昔馴染みってこたぁ……ギルドの? それなら安心だ」
グランは村長の話を聞き、先程までの不安な表情が消えた。
2人の会話を不思議そうに見ていたカインに村長が話しかける。
「カイン、何歳になった?」
「はい、17になりました」
唐突な質問に答えることは出来たが、カインは目を見開いている。
「そうか、もう17になったか。鍛練は私が言ったやり方で毎日続けているな?」
村長は確認するようにカインに尋ねた。
「はい。続けています」
5年前から村長より指導を受けて雨の日も嵐の日も鍛練を続けているため、村長に武の心得があることは知っている。
大雑把な性格のカインは彼の過去を気にすることはなかったが、グランと村長のやり取りを見て今日初めてこの二人が何者なのか気になり始めた。
「アニエス、アレを持ってきてくれ」
ドアの前に立って話を聞いていたアニエスに何かを持って来るよう村長が声を掛ける。
「はい、父さん」
アニエスは返事をすると部屋を出ていった。
間も無くアニエスが戻り、その手には細長い袋が握られている。
その袋を村長に渡し父の隣にそっと佇んで、カインを少し淋しそうな目で見ていた。
村長が袋を開けると、その中から1振りの美しい剣が姿を見せた。
「カイン。これは私が若い頃、傭兵ギルドに席を置いていた頃に使っていた剣だ。銘はクレア。これをお前に授ける」
そう言ってカインに近くに来るよう手招きし、クレアと呼ぶその剣を渡した。
「有り難いのですが村長……大事な剣を何故僕なんかに?」
カインは少し戸惑いつつ口を開く。
「大事な剣だからこそお前に託すのだ。理由はいずれ知ることになるだろう。だが今はその剣を手にモンスター討伐に力を貸して欲しい」
「分かりました。その話はまた後日お聞きしたいと思います。それと、討伐はお役に立てるか正直不安ですが僕に出来ることは何でもします」
カインはクレアを手に取り、鞘から剣を抜きその美しい細身の刀身を確認するように軽く振るう。鞘と鍔には花の模様が施され、柄には何かの紋章が彫刻されている。
傭兵のシンボルなのか家紋なのかは分からない。
刀身を鞘に納め、カインは村長を真っ直ぐな瞳で見る。
カインとグランはコカドリーユ討伐に向けて動き出す。