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トカトントン考

作者: 目賀刈雄

 40歳を越えたあたりからときどき、トカトントンに悩まされていた。トカトントンとは太宰治の同名小説に出てくる奇妙な音のことである。その音が聞こえると急に物事にやる気がなくなってしまい虚しさに占拠された気分に陥るのだ。僕の場合、最初これは鬱なのか?と思ったりもしたが、生きる気力は普通にあるからどうも鬱とは違うようである。

 僕は趣味で山に登ったり写真を撮ったりするが、この音がすると、わざわざそんなことをして何になる?といったような不思議な虚無感に襲われ、これまでワクワクと高揚していた気分が一気に白けてどうでも良くなってしまう。趣味の範囲ならまだいいがこれが仕事にまで及ぶと大問題である。ひいては人生の意味などを考えてしまうと生きていること自体が虚しくなってしまう。

 これまでの人生で少ないながら色んな事を経験してきたが、ある程度経験を積むと先のことが予測できるようになる。これは良いことである一方で、悪い側面も持っている。つまり山登りをする目的が山頂からの景色だとしたら、過去に登ったことのある山はもう登る意味がないということになる。これが重症化すると登ったことのない山でも、「多分こんな感じだろう」と過去の経験をもとに勝手に完結してしまい挑戦することすら虚しくなってしまう。実際には一緒に登る人だったり季節だったり毎回違う新鮮味があるのにも関わらずだ。

何かしらの行動をする前にその意味を考えることは、生きる上での効率化には役立つかも知れないが、考えすぎると行動すること自体が虚しくなってしまう。山があるから登る。美しい景色があるから写真を撮る。マラソン大会があるから出る。これでいいのだ。理由を考える前にコミットした対象に向けて行動し続けることが、結果的に充実した生き方につながるんだと思う。

 こんな風に捉えるようになってからもうトカトントンの音はしなくなった。人生まだ半分、これからも色んなことに挑戦するぞ。

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