78.5.その頃、都市では
モーターボートに乗ると、自動でエンジンがかかった。
バウバウ、と足元が揺れ動く。
「運転席にモニターがあるだろう? それをタップすればラクリャンまで連れていってくれる」
「はい」
言われた通り、モニターに触れてみる。
すると、確認事項が刻まれたウィンドウが表示された。下にあるYESマークをタップすれば、すぐに出発を開始してくれるらしい。
「さ、早く向かうといい」
「あの……あなたは?」
そう尋ねると、仮面の男はガレージの入り口に顔を向けた。
「僕はここに残るよ。規則を破ってしまった罰を受けなければならないからね。それに――」
――ドドドドッ!!
言い終える前に、通路から複数の足音が。
「君への追跡をここで遮断しなければならない」
「えっ、そ、それじゃ俺も一緒に……」
「バカなことを言ってはいけないよ。彼らはヨウ・ジョスキーに劣るものの、相当な実力者たちだ。一人一人でも厳しい展開になるはずさ」
そ、そんなプレイヤーが複数も……!?
「さ、早く! やつらがここに来る前に!」
「……分かり、ました……!」
恩人に対して何もできないなんて、情けない……!
貧弱な自分を呪いながら、YESマークをタップ。
「あの!」
でも、これだけは確認しておきたかった。
彼の名前を。いつか、受けた恩を返すために。
けど仮面の男は、プレイヤー名が表示されているはずの頭上を手のひらで覆い隠し、こう言った。
「――『彦星』」
「ふむふむ、ひこぼ」
ドゥッ!!
と、そこでモーターボートが発進を開始した。
一気に外へ放り出された俺は、強制的に仰け反りながら青空を見つめることになった。
何とか首を回し、風で乱れる髪をそのままに振り返る。
もう、仮面の男の姿は見えなくなっていた。
ここで気づいたんだけど、先ほどまで捕らえられていた場所は『島』だったらしい。
辺りを見渡しても、大海原が広がっているだけ。
まるでこの世の理から外れているかのようにぽつりと存在していて……いや、さすがに考えすぎか。
「仮面の……ひこぼしさん、大丈夫かな」
今も戦ってくれている恩人が無事であるよう祈る。
まだ先の見えない綺麗な大海原を疾駆しながら。
▽
ガヤガヤと楽しそうな人の声が止まない娯楽都市。
そんな場所とはかけ離れた場所……中でも巨大な建物であるギルド本部の屋根の上に、
「おほーっ、絶景ねぇ」
クマのような耳を持った、銀髪の美女が寝転がっていた。
双眼鏡を覗いて、うへへ、と楽しみながら。
「「サユリ様」」
その背後から軽やかな足音が二つ。
濃い厚化粧と全身を筋肉で構築させた大男。露出が多いピンクのバニー衣装を身につけたその怪物は、HMという名のプレイヤーだ。
その隣には、桃色のツインテールが特徴的なプレイヤーが立っていた。こちらは名をレーズンという。
「お帰り二人とも〜、最高ねぇこの都市は。みんな笑顔で満ち溢れてて……やっぱり女の子は笑った顔が一番グッと来るわよねー!」
パタパタと脚を振りながら、双眼鏡を覗き続けるクマ耳ことサユリ。
「ほら見てよサユリ、アンタの好きそうな尻がいっぱい並んでるわよ。尻のバーゲンセールよ」
「サユリ様、それよりもお話がありまして」
「そ、それよりも!? アンタどうしちゃったの熱でもあるんじゃないの!? 脳みそが尻でできてるんじゃと思うくらい四六時中、尻のことしか考えてないアンタがそんな! 尻を粗末に扱うような言い方!」
「落ち着いてくださいサユリ様」
冷静にレーズンはそう返し、
「まずはお褒めの言葉、ありがとうございます」
「バカにされてんのよ」
隣のオカマ変態が、呆れたように変態に告げた。
すると、尻の変態はクワッと表情を険しく変えて、
「無礼なこと言うなオカマ! バカなのはアンタのその気持ち悪い格好でしょうが!」
「ふん! この美しさが分からないなんて、やっぱりサユリ様以外の女は目が腐っているわね!」
呆れたようにHMは肩をすくめて、
「ねえサユリ様! アタシの格好をどう思う!?」
「吐き気がするわね」
「ほら見なさいな! 具合が悪くなるくらいアタシが魅力的だと仰られたわ!」
「バカにされてんのよ」
そして再び、悪口がリピートされる。
全員が冷静を取り戻したのは、数分後だった。
「――イレギュラー?」
寝そべりながら尋ねるサユリに、二人は頷いた。
「そうなんです。さっきギルドに侵入があったとメンバーたちから連絡が来まして」
「こっちにも同様の知らせが来たわ」
「ふーん。……それでそれで? その子、女の子?」
「ええ、残念ながら女と連絡があったわ。」
「ほうほう、それでそれでそれで? 可愛いの?」
「そりゃあもう! 天使かと思いました!」
目にハートマークを浮かべて答えるレーズン。
その光景に、へぇ、と。サユリは笑って、
「ずいぶんそのイレギュラーに詳しいのねー?」
「え? ……あ、ええと、その」
「うちのギルドの場所は特定が難しい場所にあるし、プライベート用の船がないとたどり着けないのに、人が外から来るなんて可笑しい話よね? あれ相当な資金がないと買えないし、それ以前にこの世界で持ってるのはわたしたちくらいだしさ」
「サユリ様違うんです、これは」
「その子のお尻どうだった?」
「最高でした」
「白状したわ。事の発端はレーズンよ」
レーズンはその場に正座した。
その直後だった。
ビビっ! と、サユリの脳内に電流が走ったのは。
「……ん、待てよ? ってことは可愛い子が侵入してきたってことじゃん! やったやったー! ねねっHM、その子の特徴は?」
「特徴? ……そういった情報は来なかったわね。何でも確認する暇なく逃げられちゃったみたいなの」
「逃げ……ええっ、逃しちゃったの!? 」
「ええ、駆けつけた時にはもうガレージの船が一つなくなっていたそうなのよ」
そこまで聞いたサユリは、力なく肩を落とした。
「ヨウ・ジョスキーは何やってんのよぉ……」
「やられたわ」
「え」
HMの返しに、サユリは冷静に戻った。
仲間が倒された事実に、次に見せた表情は、
「へぇ……!」
興味津々、と。言いたげだった。
「武器を取り出したもの勝ちのあの子が負けるなんて、運悪く相手が耐性持ちの装備をしていたの?」
「ううん、そうじゃないのよ」
否定するHMの顔は、少し複雑そうだった。
「? どったの」
「実は……新人ちゃんが侵入者に協力したそうで」
「あの子が? ……ふーむ、あの子がねぇ……」
サユリは少し悩んだ素振りを見せて、
「女の子、だったのよね?」
「ええ、残念ながらね」
「ねえレーズン」
「はい、ラッキーなことに美少女でした!」
反省の姿勢をそのままに、レーズンはデレデレとした表情で続けた。
「美しいサユリ様と同じ美しい銀色の髪をしていて、あどけなさがある可愛らしい顔立ち……まるで『ウサギ』のような癒しが」
「!」
とあるワードに、サユリの目が見開かれる。
彼女は難しそうな顔で黙り込んだ。
「さ、サユリ様?」
「……それじゃ仕方ないわね」
「「えっ?」」
戸惑う二人に、サユリは起き上がって答えた。
「そういえば新人は今どうなっているの?」
「一応、拘束しているけど……」
「なら今すぐ解くように伝えて。あと、この件についてはこれ以上広めないように。もうお終い、これで終わり、綺麗さっぱり忘れるように」
「ええ、どうしてですか! あんなに可愛い子は滅多に見かけないのに! メンバー全員で探索に向かわせた方が」
「ふーん? レーズンはわたしじゃ不満なわけ?」
「と、とんだご無礼を! 尻を噛みつきます!」
「舌を噛み切んのよ。迷惑だからやめなさいね」
サユリはそう告げると、深くため息を一つ。
そして、こう続けた。
「……それで、何か用なわけ?」
その言葉は、目の前の二人に対してではなかった。
きょとんと変態たちが首を傾げるのと同時に、軽やかな笑い声が放たれた。
レーズンとHMが驚いて振り返った先には、離れた位置に腰かける銀の鬣……レオの姿があった。
「いや、ははっ、念のため確認をしに来たんだよ。私を嫌うそこの二人がちゃんと伝達してくれたかをね」
「伝達?」
「やはりか、まだ聞いてないみたいだね。……まぁでも、それは後にしよう。それよりも面白そうな話が聞こえてきたんだが――」
そこでHMとレーズンは目を見開くしかなかった。
今の今まで遠くにいたはずのレオが、サユリの目と鼻の先に立っていたからだ。
だが唯一、サユリだけは表情に変化を表さなかった。
「何よ? 面白そうな話って」
余裕そうな彼女に、レオは笑顔を見せた。
それはそれは楽しそうな……不穏で不気味な。
「――ウサギ、さ」
そう告げたレオの瞳は、まるで獲物を見つけた獅子のようにギラついていた。




