77.仮面の男
荒々しい足音や怒号が絶え間なく響き渡ってから、どれくらいの時間が経過しただろうか。
今では騒ぎは大人しくなり、上や下の階では微かに足音が聞こえるものの、俺がいる二階のフロアは静かだった。
そろそろ行動に移ろうか……。
「――ここは!?」
ドガァ! と前方の扉が力強く開け放たれた。
現れた筋肉オカマはキョロキョロと部屋中を見回して、
「いないか……」
すぐに、この場から離れていった。
「ふぅ……」
だから俺は、やっと『そこから』顔を出せた。
【空の宝箱】ランク:F
効果
ーー
俺は今、過去にとあるダンジョンで入手した宝箱の中に身を潜めている。
理由は、ここが宝物庫のような場所だったからだ。
金塊や輝いたコインが床一枚に広がったこの場所には、周囲に家具として宝箱が配置されている。
気づかれなかったのは、それに紛れていたからだ。
ふふん、我ながらナイス判断!
「――なるほど、面白い発想をしているな」
調子に乗った罰が下ったのは、直後だった。
声の方向は、開かれたままの前方の扉。
気がつかなかったけど、そこにはプレイヤーの姿があった。
黒いコートで全身を包み込んでおり、特徴としては顔を覆う不気味なお面と七三分けの髪。声から男性……いや、少年だろう。
「イレギュラー……侵入者よ、貴様はここがハートフルパラダイスと知っての行いか? だとすれば貴様には相応の罰を受けてもらう。『あの方』の作り上げた神聖なるこの地を汚した報いを」
「あ、あのっ、ごめんなさい! 違うんです俺は……むぎゅ!」
慌てて真実を告げようとして、俺は前に倒れた。
た、宝箱の中にいたことを忘れてた……。
「今さら謝罪など聞く耳を持たん」
言いながら、仮面の男はこちらに歩み寄ってくる。
そしてうつ伏せに倒れた俺の前でしゃがみ込み、
「恨むなら、己の行動の軽率さを恨むんだな」
「だから本当に違うんです!」
バッ、と。顔を勢いよく上げる俺。
互いの顔が触れ合うくらいに近づいた。
「俺は自分の力でここに来たわけじゃなくて……」
「ふん、見苦しい言い訳だ。今さら――ッッ!?」
そこで仮面の男は、予想外の反応を取った。
俺の顔を直視すると硬直し、すぐに動いたと思えばダイナミックにバク転を数回。廊下までたどり着き、壁に激突して崩れ落ちる。
真面目な人に見えたけど、どうやらこの人もこのギルドのメンバーで間違いないみたいだ。
とりあえず宝箱を回収して、彼の安否を確認しよう。
「あ、あの〜……大丈夫、ですか?」
恐る恐るそう尋ねると、仮面の男はすぐに立ち上がった。
服についた埃を落とすような動作を見せた後、彼は口を開いた。
「ああ、すまない。何も問題ないよ」
……あれ? 何だか口調が柔らかくなったような。
「さて。つまり君は間違いでこの場所に来てしまった、というわけか」
「えっ? ……は、はい。そうなんです……けど」
さっきまで俺の言葉を信じてくれなかったのに。
一体どうしたんだろう?
「それなら僕について来てくれ。ここから脱出できる場所に案内しよう」
「ほ、本当ですか!? でも……何で急に?」
「…………」
俺の問いに、仮面の男は何も答えなかった。
ただジッとこちらを見つめてくる。
な、何だろう……不思議と寒気がしてきたような。
「……あ、あの?」
「何となく、さ。さあ行こう」
仮面の男はそう答えると、廊下を進み始めた。
……彼を信じていいのか?
という疑念は、どこにもなかった。
それはどうして? と尋ねられたら上手く答えられないけど、不思議と安心感があったのだ。
そのまま俺は彼の背中を追って一階に下り、見えてきた玄関口に背を向けて、階段の下に設けられていた大扉の中に入っていく。そしてまた、その先にあった廊下をゆっくり歩いていく。
「ッ、隠れて」
たまにギルドメンバーが向かい側からやって来て、俺は仮面の男のコートに身を隠すことになるんだけど、
「ほぅふ……ぉっ、ふ……」
その際に、髪に荒い鼻息がかかってきて……この人を信じていいのか心配になってくる。
でも、不思議と懐かしい気持ちが込み上げてくるのは何でだろう? 俺、可笑しくなってきたのかな。
自分自信に不安を抱きながら、先に進んでいく。
やがてたどり着いたのは、広い空間だった。
今までのオシャレな印象は消え去り、特に飾りつけもないガレージだった。
大小疎らな船が水の上に置かれていて、すぐにでも開け放たれたシャッターの先にある大海原に向かうことが可能になっている。
「君は迷い込む前、どこにいたんだい?」
「えと……そう、娯楽都市『ラクリャン』です」
「それは良かった。僕の船はちょうどその街で登録をしていたからね」
仮面の男はそう言うと、中でも小さな船を指差した。……何だか形からモーターボートみたいだけど、登録ってことは帰郷の羽みたいに自動で移動をしてくれるのかな。
「それじゃ早速――」
「――そう簡単にいくと思うのかい?」
美声が、空間に響く。
反射的に振り返った俺たちの目に入ったのは、声に等しく美しい少年だった。
「……ヨウ・ジョスキー……!」
悔しそうな声が、仮面の裏から放たれる。
今まで頼もしかったこの人が初めて見せる狼狽えに、こっちまで不安な気持ちになってくる。
「やあ新入り君。……いや裏切り者かな?」
「規則を破ろうとしたあなたには言われたくない」
「そっちだって今まさに実行中じゃないか。侵入者を調教もせず健康体で逃すような真似……ハートフルパラダイスの一員として恥ずべき行為だよ」
恥ずべき行為ってなんだっけ。
そう悩んでいると、仮面の男が口を開いた。
「必ず手を出さなければいけないのか? ヨウ・ジョスキー、君も彼の魅力に惹かれているんだろう? そんな人物を傷つけて心が痛まないのか?」
「一理ある。だが傷ついた姿も見てみたい!」
ど、堂々と言った! 男らしい……!
内容は最低だけど。
「どうやらあなたとは意見が合わないらしい。悪いが、僕はこの子をここから逃がすよ」
「そうか、それは残念だ」
はぁ、とため息をつくヨウさん。
彼はうつむいたまま指を伸ばし、空中に絵を描く。
――サバイバルモードが起動しました。
直後、ログが更新された。
サバイバル……? 何だろうこれ、初めて見た。
「……『セーフモード』がOFFになったんだ」
「セーフモード?」
「都市などに設けられている、プレイヤーがダメージを受けない、というシステムのことさ。ギルドハウスにも同じものが搭載されているんだが……ギルドマスターや管理を任されているサブリーダーの力があれば、外すことができるんだ」
つまり……ヨウさんはこのギルドで偉い位置にあるってことで、中でも相当な実力者ってことだよね。
今この場所は、フィールドのようなもの。ということは、ヨウさんはこれから……。
「先ほどレーズンに連絡を取ったところ、君は彼女の帰郷の羽でここにやって来たわけだ。なら答えは簡単だ。……君のHPをゼロにすれば良い。そうすれば強制的に部屋に戻されるわけだからね」
シュンっ、と。ヨウさんの側の空間が歪む。
それは物体に変わり、揺れながら形を整えていく。
完成したものは、真っ白のハープだった。
「楽器……?」
「見たことはあるが、まさか武器として使うプレイヤーがいるとは……」
仮面の男も意外だという反応を見せた。けど、狼狽えながらも対抗するように武器を出現させる。
形を作ったのは、小さい杖……スティックだった。
だが、それは彼の手のひらに乗ることはなく、カランと乾いた音を立てて床に落ちた。
理由は、仮面の男もまた床に倒れこんだからだ。
「うぐっ!?」
そしてそれは、俺もだった。
急に体全体に痺れが走り、立てなくなったからだ。
見ればHPゲージの下に雷のマークが出現し、激しく点滅を繰り返している。
「麻痺、か……」
悔しそうに隣の仮面の男が呻き声を上げた。
「悪いね。僕の場合、先に武器を取り出したもの勝ちなんだ。新人君にまだ情報を知らせていなくて正解だったよ」
楽しそうに言うヨウさんは、ハープの弦に触れる。
指先が動くと何やら重苦しい音が奏でられ、
「「…………ッ!!」」
雷のマークの隣に、ドクロのマークが表示された。
同時にHPが減少を始め……毒か!
「それじゃあね、ゆっくり休むといい」
苦しむ俺たちに、ヨウさんはニコリと微笑んだ。




