75.ベンチの下で
果てしなく続く赤いカーペット。
俺は今、その上を全力で駆け抜けていた。
「待ちやがれえええええええッ!!」
背中に複数の足音と激しい怒号を受けながら。
……どうしてこうなったんだっけ?
走りながら、数分前の出来事を思い返してみる。
そう、オカマ怪物さんから距離を置いた後のこと。
俺は笑顔に囲まれながら、次の遊びを始めた。
プレイヤーさんたちに『頼む』と多大なコインを手渡され、ルールを教えてもらった通りに挑み、
……見事に、全敗した。
「「金返せーッ!!」」
「さ、さっきどんな結果でも怒らないって!」
「「それは順番が他人の時だけだ!」」
「人でなしーっ!」
叫びながらコーナーを曲がり、見つけた扉に入る。
先の景色は小さな一室。
そこにもまた、娯楽用品が設けられていた。
俺はそれらに目もくれず、ベランダに飛び出す。そこはプレイヤーたちの憩い場になっているようで、中々に広く飲食店やベンチなどが見られた。
とにかく時間がない俺は端に設けられていたベンチに目をつけ、駆けていく。
部屋にプレイヤーたちが入ってきたと同時にスライディング。視界から消え去ると同時に、ベンチの下に潜り込む!
「ぶ、ほぎゅッ!?」
あれ? 足先に柔らかい感触。
変な声も聞こえたような。
「何すんのよアンタぁ!」
「おわあッ!?」
べ、ベンチの下から顔が出てきたあッ!
顔面にくっきりと俺のブーツの跡をつけて登場したのは、同い年くらいの少女だった。
桃色の長い髪を左右で纏め、ツインテールを作った彼女は、ギロリとしばらく俺を睨みつけていたが、
「!」
やがて、二つの目を見開いて、
「……かわぃぃ……」
ダラダラと空いた口から唾液をこぼし始めた。
「わあっ!?」
「い、いや。何揺れ動いてんのよ! あたしにはサユリ様っていう心に決めた人がいるんだから……! いや、でも可愛いい……そ、そうだ。愛人枠ってことなら……」
何か呻くように呟き、ツインテールを強く握って苦しむような表情を見せる少女。何かデジャヴを感じるのは気のせいかな。
これはアレだ、触れちゃいけないタイプの人だ。
どこか別の場所に――いや、時間がない!
「入って!」
急に表情を戻した少女が俺の襟を掴んだ。
強制的にベンチの下に引きずり込まれ、同時に大量のプレイヤーがベランダになだれ込んでくる。
「追い詰めた……って、あれ?」
「何だぁ!? どこにもいねえじゃんか!」
「そこらへんに隠れてんだろ! 探せ!」
散らばり、辺りの確認を始めるプレイヤーたち。
ま、マズい……このままじゃ見つかるのは時間の問題だ。何か手を……ここじゃ身動きが取れない。
「――はぁログアウトはぁ」
背中から、荒い息とともに声がかかる。
「え?」
「追われているんでしょ? はぁ、だったらログアウトしたらいいわ。はぁはぁ」
「で、でも外でログアウトしたら次にログインした時、街の入り口からスタートになっちゃうよ?」
このゲームでは宿屋以外の場所でゲームを終了した場合、自動的に街の入り口からリスタートになる。
つまり、待ち伏せされたらおしまいだ……。
ちなみにフィールドで終了した場合は、最後に訪れた街の入り口前に戻されてしまう……い、いや考えている時間はない!
「でぇじょぶ、でぇじょぶ」
何で訛ったの?
「これ……あげるぅん、からぁ……」
急に表示されるウィンドウ。
それは、トレードの画面だった。
【帰郷の羽】ランク:S
効果
次の場合、記憶した地点からリスタートができる。
①ログアウトをした際。
②HPがゼロになった際。
ら、ランクS!?
表示されたアイテムに、思わず叫びそうになった口を噤む。
そ、それにしても始めて見たなぁ……。
効果は、瞬間移動できる、か。確かにこの世界は広いし、あったら凄く便利だ。ランクSも頷ける。
でもこんな高価なものを……。
「でぇじょぶ。これはランクは高いけ、どぉ……誰でも複数ゲットでき、るアイテムだからぁん……」
なるほど、レア度は高いけど高価ではないのか。
それも複数。俺もいつかゲットできるのかな。
「――ん、そのベンチ誰か調べたか?」
びくり、と。体を震わせるしかなかった。
声がすぐ側から聞こえる……つまり対象は、俺たちが隠れている場所で間違いない。
もう躊躇している時間はない!
俺はトレードを同意させるとすぐにアイテムポーチを開き、帰郷の羽を見つけるとタップ。
登録しますか? という問いに『YES』マークを選び、間髪入れずメニュー画面に戻す。そしてログアウトのマークをタップ。
ザッ、ザッ、と。足音が迫ってくる。
少々お待ちください、といういつもは短く感じる手続きの時間が妙に長く感じる……早く、早く!
だが、不幸にも足音が直前で止まった。
目と鼻の先に迫った脚が曲がっていき、上体が段々と降下していく。やがて顎が見え、
そこで、視界がブラックアウトされた。
意識を取り戻し目を開けると、部屋の天井が目に入った。
……よかった、ギリギリセーフ。
「うへぇ、汗ぐっしょり」
室内は涼しくしていたのに、びしょ濡れだった。
それほどに危機を感じていたみたい。
「シャワー浴びよ……」
VRマシンを外して、ベッドから立ち上がる。
後は着替えを用意……
「……あ、そういえばさっきの子……」
頭がハッキリしてくると、疑問が浮かんできた。
色々と忙しかったから今まで気にしていなかったけど……何であの子はベンチの下にいたんだろう?
まさか、俺と同じようなことを仕出かしたのかな。
「……うん、きっとそうだよね」
そう納得して、準備を整える。
だって、まさか自分から好んでベンチの下に潜む人なんていないもんね。そんなことはあり得ない。
それはそれとして、次に会った時にちゃんとお礼をしなきゃ。




