74.怪物と猛獣
「騒がしいわね……」
あまりの騒ぎに、瞳の色が戻ったオカマ怪物は、むくりと起き上がる。
見れば少し離れた位置にあるスロットエリアに、たくさんのプレイヤーが集まっていた。普段あの場所にあまり人は見られないはずだけど……と、首を伸ばしていると、
人々の中から一匹、ウサギが飛び出してきた。
彼女はこちらに向かって素早く駆けてくる。
「あの、お兄、おじ、おば、オカ……お姉さん?」
言葉に詰まりながら、正解? を導き出すウサギ。
答えも疑問系だった。
「どーしたの?」
怪物がそう尋ねてみると、ウサギは瞳を輝かせて、
「コイン増えました!」
嬉しそうに、言った。
その反応に怪物は、「そう……」と感情のない笑みを浮かべるしかなかった。
当然だ。ウサギに与えたコインはたったの一枚。
――全然絵柄が揃わない。
――金だけ貪る鬼畜マシン。
――修正しろ!
などとクレームが大量発生しているあのスロットで稼いだコイン数なんて、たかが知れている。
と、そんなことを考えていると怪物の視界にウィンドウが出現した。
「どれどれ……」
どこか退屈そうに怪物は眼前を見つめて、
「ッ!? ッ! ブブ、バッ!?」
見開いた目や鼻、口から液体を吹き出すしかなかった。あまりの驚愕によって。
一桁だった……それも一枚しかなかったはずのコインが、二桁や三桁を上回る数に変貌していたからだ。
「な、何これ、ど、どうやって……」
「? スロットで」
「そんなバカな――」
『ね、ね! お嬢さん、俺と一緒に回ろうよ!』
『おいコラ抜け駆けすんな!』
『こっちだって楽して良い思いしたいんだから!』
怪物の声を遮ったのは、複数の声。
数秒後には、二人の周囲に大量のプレイヤーが集まっていた。
誰もが瞳にギラギラと$マークを宿していて、
「……まさか、本当に?」
怪物は、認めざるを得なかった。
「あの……お兄、おじ、おば」
「お姉さんで定着しなさいよ。……それで?」
「あ、はい! ……これで足りますか? 景品」
「えっ……」
怪物は気づいていなかったが、出現したウィンドウはトレード画面だった。
ウサギはまるで当然とも言えるような様子で指を動かし、なんと全額を怪物に差し出した。
「ちょ、ちょ! ウサギちゃん何やってんの!?」
「ん……あ、そっか!」
何か納得したようなウサギ。
再び指を動かして、コイン一枚だけを引き抜いた。
「これでよし」
「よし、じゃないでしょが! 何で稼いだコインのほとんどをアタシに返しちゃうの!」
「え、だって俺がもらったコインはこの一枚だけだから……」
「??? だ、だからそのコインはアタシが……」
「はい、くれました。そのおかげでスロットでたくさん遊べましたから。これはそのお礼です!」
そして、ウサギは嬉しそうな笑顔を見せた。
表情にはどこにも『偽り』なんて存在しなかった。
「いや、それは、その、でもね……」
それを見た怪物は何か言葉を返そうとして、上手く表現ができずに口どもるしかなかった。
だって金額が金額だ。それをこんな簡単に……。
……この子はよほどの善人なのか、バカなのか。
怪物はしばらく悩んだ素振りを見せた後、はぁ……、と深くため息をついた。
「?」
その意味を、ウサギは理解できていなかった。
首を傾げるそんな人物に、怪物は、
「……分かったわ。ありがとねウサギちゃん」
諦めたように、トレードを同意させた。
「はぁ、本当に現実ってやつは非情よね」
「非情?」
「だってそうでしょう? あなたが女なんだもの。男の子だったらもっと感謝の気持ちを表せたのに」
「な、なるほど」
怪物もまた、なぜウサギが苦笑いを浮かべ始めたのか分からなかった。
「ちなみにですけど……もし俺が男だったら?」
「そうね、まず軽く半日ほどディープキスを」
「俺、女の子ですの」
「? ええ、知ってるけど」
青ざめた顔を作る理由を、やはり怪物は分からなかった。
▽
その後。
なぜか逃げるように距離を取り始めたウサギと別れ入り口まで戻ってきたオカマ怪物は、早速景品交換カウンターまでやって来た。
スタッフNPCに声をかけ、表示されたメニュー上の景品をなぞっていく。
スクロールバーを限界近くまで下ろしーーようやく見つけた。
【バニーガール衣装 一式】
「こちら、黒と白とピンクが用意されていますが」
「全身ピンクで」
「かしこまりました!」
そして、怪物のログが更新された。
『入手』という念願の文字を目にして、その瞳からブワッと感情があふれ出す。
「これでやっと……アタシの色気を解放できる」
「――それは良かったね」
耳元から、急な声。
「ッ!?」
反射的に飛び退く怪物。
その瞳に映り込んだのは、美しい女性だった。
鬣のように盛り上がった銀髪が特徴的な彼女を見て、怪物は一回り巨大な体躯を持っているのにも関わらず、額から冷や汗を垂らしていた。
「……あらぁ? これはこれは百獣のリーダー、レオ様じゃない。一人でこんな場所に何のようかしら?」
何とか強気に返す怪物。
対して余裕そうに、はは、と女性ことレオは笑って、
「そんな緊張しなくていいよ。別に何もしないさ。……ここに来た理由なんて当然だろう? カジノなんだ、遊びに来たんだよ」
「どうだか」
「うーん素っ気ない。なぜ私はこうも嫌われやすいんだろうか。それほど悪いことはしていないと思うんだけどねぇ」
やれやれ、と。肩をすくめるレオ。
周囲のプレイヤーたちはそんな彼女を見てその美しさに見惚れていたが、怪物はやはり違った。
怪物にだけは……いや、怪物だけじゃない。一部のプレイヤーには感じ取れるのだ。
その、何か得体の知れない、という不安さを。
「ところで……HM、だったよね?」
ゆっくりとレオは怪物……HMに歩み寄る。
「この街に今、私のフレンドが来ているみたいなんだ。このシステムはプレイヤーがいる場所を特定できるが、そのエリアのどの位置にいるかなんて細かく調べることはできないだろう?」
「……そうね」
「それで、だ。この街を観光しながら探しているわけなんだが、知らないかな?」
そして、レオは続けた。
「君のように大柄で厚い筋肉に覆われた中年の男なんだが……主な特徴としては、無精髭なことかな」
「へぇ、中々良い男みたいね……」
HMはそんな妄想を膨らませて、
「どうやら知らないみたいだね」
レオの言葉に、ハッと意識を取り戻す。
本当に心当たりはなかったので、HMはただこくりと頷いた。
「うーん残念、きっと今日はツイてないんだな。カジノはまた今度にしよう」
残念そうにカジノの出口に向かうレオ。
だんだん遠ざかっていく背中に、HMは少しだけホッとしていた。
「あ、そうだ」
ぴたり、と。落ち着きが止められる。
レオはゆっくりと、固まるHMに振り返った。
「もう一人、探しているプレイヤーがいるんだ」
そして、彼女は告げる。
「――可愛らしい、ウサギのような子をね」
「ッ!!」
顔に浮き出そうになった感情を、下唇を強く噛んで強引に打ち消す。
……その子を知っている。
だが、HMは必死にその事実を隠した。
理由は本人でも分からなかった。……何となく嫌な予感がしたのだ。
本能が、恩人を守ろうとした。
「黙りか、知らないみたいだね」
その努力が実り、レオには伝わらなかった。
「仕方ない、ボイスチャットでも使おうか」
「お、同じ街にいるんだから自分で見つけなさいよ! その……アレよ、相手に失礼よ! 多分!」
我ながらめちゃくちゃだ、とHMは思った。
「……そ、そういうもの、なのかな」
だが意外にもレオは対人関係に疎いところがあるようで、ウィンドウを開こうとした動作をやめた。
彼女は再び振り返り、扉に向かおうとして、
「そうだ」
「ま、まだ何かあるのかしら……!」
三度見つめられ、HMはさすがに驚愕を隠せなかった。
「ああ、君のリーダーに伝言を頼みたいんだ」
「サユリ様に……?」
「トップギルドの中でも、君たちのギルドとは接点があまりないからね。リーダーとはフレンド同士だけど、チャットを飛ばしても反応ないし。……彼女は女性好きだと聞いたんだけどね。私って魅力もないのかな」
「……むしろあり過ぎるのよ……」
「何か?」
「何でもないわ。それで伝言って?」
素っ気ないように質問するHM。
だが、すぐにその表情は凍りつく。
レオの楽しそうな、不穏さを感じさせる笑顔を見て。
「一つ」
彼女は緩んだ唇を動かしながら、扉を開く。
入り込んでくる鮮やかな空気に対抗して見つめる方角には、ドーム状の建物があった。
巨大なそれを視界に収めながら、レオは告げた。
「――『始まる』とね」




