71.5.動き出す物語
黒い結界から解き放たれた、日の眩しい世界。
カズとシェリーは、背を向け離れていくウサギを見つめていた。
「どうしたんだアイツ?」
「さぁ……」
カチカチ。
「……ん、お前も何やってんだ?」
「写真です。ブログに載せるものを選ぼうかと」
彼女の視界に広がるウィンドウには、海賊船をあらゆる角度から撮った写真がいくつもあった。
その中にはもう姿が見えなくなったウサギの姿もあった。
「考えたんだけどよ、ゼンの写真載せれば」
「稼げるけどダメです。彼は魅力的すぎますから……次の更新から彼が出ないとなればショックと怒りでブログが荒れて、全てが台無しに……」
「……考えすぎだろ。つーか、自分よりゼンを上に見てんのかよ」
「…………」
「わ、悪かったよ。その目やめろ」
たじろぐカズに、シェリーはため息で応えた。
「本当、嫉妬しちゃいますよね。……あ」
「どうした?」
「い、いえ」
珍しく慌てた態度を見せるシェリー。
瞬時に消滅するウィンドウ。
そこには、勇ましい表情で彼女を抱きかかえる誰かの姿が良い角度で撮れた写真が載っていたかもしれない。
「……お前が吃るとか異常だぞ」
「ただのしゃっくりですよ。……あら?」
目を見開き、再びウィンドウを開くシェリー。
「さっきからどうしたってんだ?」
「ちょっと百獣さんからメール来て、ええと……」
シェリーは、そこで口を閉じた。
難しい顔を作り始めたところから、あまり良い内容ではないらしい。
「また、呼び出しか?」
「いいえ、特には。しかし……なぜ?」
「? 何だよ、俺にも内容を説明してくれ」
シェリーはそれに頷いてみせると、口を開いた。
「――ウサギは火種」
「は?」
「そう書かれていたのです。たったそれだけ。……それに宛先はわたしだけじゃなく、他のギルドのリーダーさんも含まれていますね。意図は分かりませんが……」
その続きは、カズが繋げた。
「……心当たりは、あるな」
「ええ」
二人の視線は、同じ場所を示した。
船の後部デッキ。そこにいるであろう一人の人物。
「どうする?」
「触らぬ神に祟りはありません。彼には何も聞きません。この件に関しては伏せておきましょう」
「了解」
▽
「反応はありました〜?」
「ないね。同じリーダーだというのに非情だなぁ」
「おや、ブーメランが飛んでるっすねぇ」
「メンバーも非情ときたか。悲しいなぁ」
「自業自得っす。……つーか、そんなに必要っすか?」
「ん、ウサギさんのことかい?」
「っす。だって全然強くないっすよアレ。いくら『あの化け物』を釣るエサだからって、周りからの評価を崩すような真似はらしくないかと」
「ふーむ、それは残念だな」
「でしょー? もう少し考え直した方が」
「残念なのは君だよ、『ジョーカー』」
「? それは……どういう」
「君は私のことをよく理解してくれていると思っていたんだが……うん、残念だ。私があの化け物を釣るためだけにスカウトをすると思うかい?」
「えっ、違うんすか?」
「ああ、あれは化けるよ。間違いない。だからあの人は気に入っているんだろうね。それに人を寄せ付ける何かがある。弱さ強さ関係なくね。つまり影響力もあるんだ。……今はまだ目覚めていないが、時間が経てばきっと面白い存在になる」
「うわー、悪い笑顔。……ねえレオさん、ウチ残念な子だからもう一つ分からないことあるんすけど……『火種』ってなんすか?」
「ああ、文字通りの意味さ」
「――あの子は、引き金、なんだよ」
▽
鋭い何かが瞼を刺激する。
ゆっくり開いてみると、隙間から光が瞳を襲った。
「……ぅ」
思わず表情を歪めながらも、開けていく。
それが日差しだということは、ゲイタはすぐに理解ができた。
同時に、体が軽いことに彼は違和感を覚えていた。
塞がれていた鼓膜はスッキリと元通りになっていて、空を飛ぶ鳥の鳴き声がよく聞こえる。
「サユリ様! この方、気が付かれたようですよ!」
続いて彼の耳に届いたのは、少女の声。
首を傾けると、側にゲイタと同い年くらいのプレイヤーの姿があった。
「ありがと、レーズン」
ぽんぽんと軽く頭を叩かれ、レーズンと呼ばれた少女は「ほうん!」と奇声と共に崩れ落ちた。
「やっほ、目が覚めたみたいね」
そう告げ、ゲイタの前に歩み出てきたのは、
「サユリ……様?」
銀髪のクマ、サユリで間違いなかった。
「全く、どこまで流されてんのよ。探すだけで骨が折れたわ。見つけてもリスポーン地に戻るまであと数秒だったし……まぁ、何がともあれ蘇生できて良かったわ」
「そ、それはどうも……すみません」
謝罪しながらゲイタは上体を持ち上げた。
そこは、船の上だった。
だが、普通じゃない。船体は全てピンクで覆われ、目に優しくない。加えてところどころにハートが刻まれていて、如何わしい雰囲気が醸し出されている。
そして何と言っても……凄まじく巨大だ。
「プライベート、クルーザーよ」
「プラッ!?」
ゲイタはたじろぐしかなかった。
このゲームにはいくつか乗り物が存在するが、購入して自分用として扱うこともできる……が、それはもうあり得ないほど莫大な費用がかかる。
そのことを理解しているため、そんな反応を見せずにはいられなかった。
「サユリ様、その子が新入り?」
目を見開いていると、新たな声が。
表れたのは、何とも頼もしそうな体つきの男性。丸太のように太い腕、太い脚、衣服を破れそうなくらいに跳ね上がる胸筋。
だが唯一、可笑しな部分があった。
「あら、中々可愛い顔してるじゃないの」
口調、そして顔だ。
厚化粧が施され、まるで化け物……女性のようだ。
「『HM』、朗報よ。この子、アンタと同類」
「おほっ! 通りでさっきから胸筋がヒクつくわけだわ……仲良くしましょっ、新入り君」
「ど、どうも……ん、新入り?」
彼には聞き覚えのないワードだった。
「そうよゲイタ、アンタは今日からわたしたちの仲間になるの」
「なか……ま?」
「そうさ、君も選ばれし者なのだから」
HMと呼ばれた男性女性と入れ替わるように、新たなプレイヤーが現れる。
少年……のようだが髪は腰辺りまでと長かった。色は金。顔立ちは美しく、まさに絵に描いたような美少年だった。
「そう、この『ヨウ・ジョスキー』が言ったように、君は選ばれし者なの」
ふふん、とドヤ顔でサユリは続けた。
「――ギルド『ハートフルパラダイス』のメンバーにね!」
「ハートフル……パラダイス……!?」
「そ。簡単にいえば、常識から外れたやつらの集い。外では批判されバカにされ気色悪がられてしまう理不尽な悩みを解消する、楽園のことよ」
ぶるっ、とゲイタは自分の中で奮い立つものを感じた。
……彼もまた、自分自身に悩んでいたのだ。
海での出来事からフレンドは、半数以上も消え去ってしまった。リアルでも友人はいないに等しい。
このままではいけないと、ずっと真剣に悩んでいた自分がいたのだ。
……仮に喫茶店に辿り着いていたとしても、今の彼は外から見守るだけで何もしなかっただろう。
「自分に素直になりなさい」
ポン、と優しくゲイタの肩に手が置かれた。
「あなたがどんな人間であれ、どんな性癖を持っていたとしても、わたしは君を非難しない」
最後にスッと手を差し伸べて、
「おいで、ゲイタ」
それはそれは美しく優しく、天使のような笑顔だった。
ゲイタはそれに、瞳から大粒の涙を流して、
震える指先を、彼女の手のひらの上に乗せた。




