62.5.嵐の中で③
信じられないものを見た。
そんな表情で、ゲイタは立ち尽くしていた。
彼の目の前には、木々に囲まれた通路がある。そして途中で樹木の壁が行く手を遮り、
メキメキィ! と。
その樹木に、多大なエフェクトが刻まれた巨大なカエルの姿があった。軋んだような音から、樹木に叩きつけられていたのだ。
真っ赤に染まり過ぎてそれが元の色なんじゃないのかと錯覚するぐらい酷い有様だった。
やがてカエルは、樹木とともに消滅した。
「さて、雑魚は片付いたわね」
敵を圧倒して吹き飛ばした人物は、ふふん、とドヤ顔を決めて歩き出す。
その華奢な見た目とは不釣り合いな巨大な斧を肩に担ぎながら。
「ほーら、何ボーっとしてんのよ!」
その声にようやくゲイタは意識を取り戻した。
自分との力量の差に驚愕し、思考が停止していたのだ。
「あの……あなたは?」
「さっき言ったじゃない。サユリ様よ」
「いえ、名前とかではなく……この嵐の中で、なぜこんな場所に?」
「それは君もじゃない。まあ、きっと『一緒』よ」
サユリは力強く森の出口を指差して、言い放った。
「――コスプレ喫茶!」
「ッ!」
ブルッ、とゲイタは自身に力が漲るのを感じた。
想い人がどのような姿をしているのか、その好奇心によって覚醒していた。
「……良い目をしてるわね。君、名前は?」
「ゲイタ」
「素晴らしい、愛に満ち溢れた名前ね」
彼女もまた覚醒した表情で、ふっ、と笑った。
「……しかし不思議です」
そんなサユリに、ゲイタは尋ねた。
「コスプレ喫茶の店員は、ほとんど女性と聞きましたが」
「何言ってるの、だからに決まってるじゃない」
ゲイタの瞳に、キラリと輝く光るものが映った。
それはサユリの唇の上に乗った唾液だった。
「わたしはぁ女の子が大好きなんだものぉ……!」
頬に両手を当て、うへへ、と悶えるサユリ。
常人なら、ここで引くことしかできないだろう。
「素晴らしい」
だが、そこにいるのは変態だ。
「世間一般に煙たがられる理由が分からない。なぜ恋愛を異性同士に限定してしまうのだろうか」
「ホントつまらないわよね。常識が全てと決めつけている惨めなやつら。それで本当に幸せなの?」
そこでお互いに、ガシッと硬い握手を交わした。
「あなたのような美しい心の持ち主と出会えたのはは初めてです」
「わたしもよ。これほどに熱いハートを持った子は見たことがないわ」
続いて熱い抱擁を交わしてから、出口に向かう。
「あれ? でも……」
その途中で、サユリが首を傾げた。
「それなら君の方が可笑しくない? 喫茶店は女の子ばかりらしいけど……」
「いえ、一人いるんですよ。あの場所に」
「ふーん、つまりタキシードとかそんな感じのコスプレをしているのかしら」
「それはあり得ません。彼は間違いなく女性用の服を着ていることでしょう。これは決定事項と言っても過言ではありません」
「えぇ〜……」
瞳を輝かせるゲイタとは対照に、サユリは怪訝な顔を作った。
「男の女装ってあまり好きじゃないのよね……可愛いのはたまにいるけど、確かな男らしさは消えないじゃない。例えば骨格とか青髭とかさ。ああいうのを見ちゃうとね……って、え、何?」
サユリが目を瞬かせたのは、ゲイタが無言でカメラを差し出してきたからだ。
彼女は不思議に思いながらも受け取り、画面をタップ。するとウィンドウが表示された。
いくつかあるアイコンの中、サユリはファイルを選択すると、写真の一つを開いた。
「ぎにゅあぁぁッ!?」
直後、よく分からない悲鳴と共に彼女は倒れた。
ぬかるんだ地面だったため綺麗な見た目が酷く汚れてしまったが、当の本人はそんなことはどうでも良さそうだった。
「そ、その子はッ!?」
泥まみれの顔で尋ねるサユリ。
ゲイタは宙を舞うカメラを無事キャッチ。そして出現したままのウィンドウに映る、メイド服姿の白いウサギのような美少女を見てから答えた。
「僕の想い人です」
「え? で、でもその子は女の子じゃ……」
「…………」
「! その力強い瞳、まさか、本当に……?」
サユリは驚愕しながらも写真を見つめ続けて、
「……ふへへ……」
やがてまた、だらしない笑顔と唾液をこぼした。
「ハッ!」
けど、すぐに意識を取り戻す。
「だ、ダメよサユリ! 彼は男……男なのふぇへへ」
「その気持ち、痛いほど分かります」
ゲイタは誇るようにうんうんと頷いて、
「彼ほど常識が通用しない人間はいないでしょう」
「く、悔しいけど……見惚れちゃったわ」
サユリは立ち上がり、唾液を拭ってから続けた。
「わたしにも紹介してもらえる? その子」
「本来は恋敵を作りたくはないのですが……あなたには借りができた。彼との触れ合いを認めましょう」
「ふ……やっぱり君は素晴らしいわ」
嬉しそうに微笑みながら、サユリは歩く速度を速めていく。
ゲイタもそれに続き、すぐに森を抜けることができた。
――ドオオォッ!! ザァァァッ!!
再び襲いかかる力強い風、雨。
そして今度は海の側ということで、荒れ狂う波の音が二人の鼓膜を揺るがした。
嵐の影響か砂浜は水に飲み込まれてしまっている。高さはプレイヤーの足首辺り。
「歩きにくいけど、仕方ないわね」
「進みましょう」
ゲイタのスティックのスキル『ダイヤケージ(タイフーン・トードに破壊されたひし形の盾)』を利用し、二人は水の中に入っていく。
「へー、便利なスキルね。濡れずに済むわ」
「形と広さに目を瞑れば屋根のある部屋ですからね。雨風くらいなら問題なく凌げます。……でも移動となると、上手くいかないみたいですね」
水の重さがあるのか、一歩一歩に時間がかかる。
スキルを使用していない時とスピードは変わらないだろう。
「雨風を凌げるだけで十分に助かるわよ。……そういや、君はその想い人の子とどんな関係なの?」
ザブザブと水面を踏みつけながら、そんなことを尋ねるサユリ。
対してゲイタは、こう答えた。
「強いて言えば、織姫と彦星、でしょうか」
「? つまり……愛し合ってるってことかしら」
「ええ、それは間違いないかと。……ただ、会う機会が絶望的にないんです。次に再開できるのは、いつになるのか……」
「ふーむ、確かに織姫と彦星っぽいわね」
サユリは少しだけ考える素振りを見せて、
「……よし決めた、紹介はまた今度でいいわ」
「どうして、ですか?」
その問いにサユリは、ふっ、と優しく笑った。
「せっかく久々に再開できるんだもの。わたしを紹介させるために会いに来たなんて知ったら、きっと怒っちゃうわ。……限られてる時間なんだから、二人で幸せに楽しく過ごしなさい」
「!」
ゲイタの瞳に、感情を表す光の粒が宿り出す。
「サユリ……様ッ……!」
「ほら、泣くのはまだ早いわよ。行きましょう」
二人はゆっくりと進んでいく。
嵐は全く止む様子を見せず、逆に強まってているようだった。その理由として、
「!」
急に硬直して目を見開くサユリ。
一体何事かとゲイタは、海の方角を見つめる彼女の視線を追った。
「!」
そして、同じように固まるしかなかった。
波。
それは先ほど対峙したタイフーン・トードよりもさらに巨大なものだった。まるで意思があるかのように、二人を飲み込もうと迫ってくる。
「ゲイ――」
サユリが何か叫ぼうとしたが、もう遅かった。
波は容易く二人を飲み込み、空気を奪う……ことはない。あくまでもゲームなので、ただHPゲージが減少していくだけだ。
だが激しい水圧は免れないため、吹き飛ばされないよう必死に耐える。そんな苦痛は長くも短くもない時間だけ続き、海まで引き返していった。
「ふぅ……」
濡れた前髪をかき上げ、一息つくサユリ。
どうやら水の勢いによってダイヤケージは壊れてしまったらしい。髪だけじゃなく体全体もびしょ濡れだ。
だが特に嫌な顔をすることなく、むしろ笑顔だった。
「いやー、ははっ。今の凄かったわね。ゲイ」
そこで、笑顔は消滅した。
いるべき場所に、彼がいなかったからだ。
周囲を見渡しても姿は見当たらない。
「まさか、波に飲み込まれて……?」
サユリは一つの答えを導き出し、海に駆け込もうとする……が、凄まじい風によって侵入を拒まれてしまう。
無慈悲にも嵐は止むことなく、むしろ強さを増していく。
「ゲ……タ……!」
色々な音が混ざり合い、サユリの叫びも遮られてしまう。
彼女は最後に、力一杯息を吸い込んで、
「ゲイ――ッッ!!」
その叫びは嵐に飲み込まれ、消えていった。




