68.すれ違い
「うはぁ……!」
先の、先の見えない広大な大海原を目の当たりにして、俺は感嘆の声をこぼすしかなかった。
俺は今、最上階にある船室。そのテラスから景色を眺めている。
突進してくるような潮風が髪を崩すけど、そんなことを気に留めらないくらい景色に見惚れていた。
「ふふ、気に入りました?」
「はい!」
隣で同じく景色を見つめるシェリーさんに、俺は頷いてそう答えた。
この場所は彼女が獲得した部屋だそうで、後ろには煌びやかな飾りや大きなベッドなどが設けられている。
見た目の豪華さからやはりお金がかかるそうで、まず一般のプレイヤーは寄り付かない部屋らしい。だって利用しなければ無料だもんね。
「そういえば、カズさんは?」
「通路で待機してくれています。この部屋以外の場所は無料で入ることができますからね」
……そっか、部屋の前で待たれていたら逃げ場がないんだ。扉は一つしかないし。相手が熱狂的なファンだったら何をされるか分かったもんじゃない。
そのためにカズさんは、見張りをしていてくれているわけか。
「優しいんですね」
「ええ、本当に」
浮かんだ笑顔は、今まで以上に明るく見えた。
その嬉しそうな顔に、自然と口が動いた。
「お二人はどんな関係なんですか?」
女子か俺は。
「そうですねぇ……」
特に嫌な顔もせずに、シェリーさんは考える素振りを見せて、
「どういう関係に見えます?」
逆に、そう質問を返してきた。
関係か。うーん、二人の仲を見ると……。
「親友……いや恋人」
「恋人っ、こ、恋人みたいに見えますっ?」
わ、わ! 顔が近いっ!
今までの落ち着いていた雰囲気が嘘みたいだ。
「そ、そうですね……どちらかといえば、恋人、みたいに……」
「そうですかそうですか〜」
ふんふん、と嬉しそうに鼻歌を歌うシェリーさん。
「でも残念! ただの幼馴染です」
ハイテンションで答えを告げてくる。
そしてリズムに乗ったまま、彼女は続けた。
「でも、そうなれるようにもっと頑張らないと」
なるほど、シェリーさんはカズさんのことが……。
「……ねえウサギさん」
そう納得していると、シェリーさんが尋ねてきた。
「もし仮に好きな人がいたとして……ずっと一緒にいたい、と考えるのは滑稽でしょうか?」
「滑稽? ……いや、俺は素敵な考えだと思います」
「ふふ、良かった」
シェリーさんは柔らかく微笑んで、
「でもそれは……凄く難しい願いなんです」
その中に、少し寂しさを宿した。
「学生には学業がありますし、大人になれば手に職をつけなければなりません。……ずっとなんて、無理な話です」
でも、と。海を見つめながらシェリーさんは続けた。
「今の時代、自宅でも稼げる仕事があるんです。それを続けていけば、多大な富が得られますので、夢を叶えることは十分に可能です。たまにメディアに呼ばれることがありますけど……」
い、いや。それはごく一部の人間だけかと。
「とりあえず金銭面に心配はありません。……後は相手、なんですよね」
「相手……ですか?」
「ええ、様々なアプローチを仕掛けてはいるんですが、効果といえば悪態をつかれるだけ。全く効果がないんです。我ながら容姿には自信があるのですが……」
シェリーさんはそう言うと、胸の下に腕を持ってきて、その部分を強調させて見せる。
何とか海に目を向けて、その攻撃を回避した。
「本当に鈍感というか……まぁ、そこも好きなんですけど」
「あ、あはは……」
な、何かこっちも恥ずかしくなってきたよ。
「容姿はもちろんですけど、他にも――」
「わ、わっ、失礼します!」
耐えられなくなって、俺は部屋から逃げ出した。
▽
部屋を出ると、扉の隣にカズさんを見つけた。
「おう、もういいのか?」
「は、はい……」
「何か疲れてんなぁ。はは、あいつに何かされたか?」
「いやー、その、はは……」
……これは、素直に答えられないな……。
苦笑いで誤魔化していると、カズさんが壁から離れた。そして部屋の扉から離れていく。
「あ、あれ? 離れて大丈夫なんですか?」
「ああ、今回の乗客は女が多かったからな。姫のファンは少なかったみたいだ」
そこまで言うと、カズさんはこちらを振り返った。
「ちょっと歩かねえ? 着くまで暇でさ」
「あ、お伴します」
そんなこんなで、一緒に歩くことになった。
階段を下り、一階の甲板まで戻ってくる。前でもなく後ろでもなく、中央の端に設けられた通路。そこの手すりにカズさんは背中を預けた。
振り返り、先に広がる海を何気なく見つめて、
「なあゼン、一つ質問いいか?」
ぽつり、とそう尋ねてきた。
「あ、はい。何でしょう?」
「いや、何つーか、まぁ……例えばの話なんだが」
ボリボリとカズさんは荒々しく髪を掻いて、
「今まで兄弟のように思っていた幼馴染をいつの日か異性として意識するようになって、やがて好意を抱いたとする」
あれ、幼馴染?
何かどこかで……いや、ついさっき聞いたような。
「でも今の関係が崩れるのが怖くて、一歩踏み出せない情けねえ弱虫なんだ。そいつはどうしたら良いと思う?」
「勇気を出して告白するべきだと思います」
「そうだよなぁ」
上体を大きくそらし、カズさんは空を見上げて、
「そうする、べきだよなぁ……」
どこか悲しげな表情で呟いた。
「チャンスが来ても、ビビって悪態をついて逃げに走っちまう。その繰り返しだ。情けねえったらありゃしねえ」
「…………」
は、反応が難しい。だって俺は分かってしまっているから。
――二人が両思いである、という事実を。
これは、俺はどうするべきなんだろう。
「……っと悪いな、変な話して」
「い、いえいえ」
お互いに悩みが一緒だと、逆に難しいんだなぁ。
きっかけがあればすぐに気持ちが通じ合えるんだろうけど、それが起こるまでどれくらいの時間がかかるんだろうな……それならすぐにでも気付けた方が、その分長く幸せに……。
「あ、あの!」
「おん? どしたよ」
顔をこちらに下ろしてくるカズさん。
その瞳を真剣に見つめながら、俺は告げた。
「実はシェリーさんも、カズさんのことが」
ドンッ!
俺の言葉を遮ったのは、一つの爆音。
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
いや一つだけじゃない。複数回放たれたそれは、船の近くに巨大な水飛沫を発生させる。
空から何かが水面に落下しているようだけど……。
「「か、海賊だああッ!!」」
甲板から叫び声が上がったのは、その直後だった。




