67.白ウサギと白犬
この前泊まった宿屋の同じ部屋にログインした俺は、バックパックを背負うとすぐに部屋を出た。
利用客が少ないのか静かな廊下を歩いていく。
……当然ながら、猫の耳がある美少女はもう通路の先にはいなかった。
少し寂しさを感じながら、この前彼女が顔を出していた窓から外の風景を眺めてみる。
「おっ」
そして一つ、景色を遮る巨大な物体を見つけた。
けど、悪い気分にはならなかった。だってそれは、俺の目当てのものだったからだ。
――客船。
街の中を進むゴンドラとは規模も迫力も上回る、とにかく巨大な船。
「定期船だ……!」
俺は跳ね上がる気分と同じくスキップしながら廊下を進み、宿屋を出た。そして港に向かって駆けていく。
離れた場所にある宿屋から見たものと比べると、これまた巨大という言葉しか浮かばなかった。
入り口が設けられている桟橋に足を踏み入れる頃にはもう、上体をそらして空を見上げなければ頂上が確認できないほどだ。
「船をご利用ですか?」
入り口前に立っていた係員NPCの問いに「はい」と答える。
太っ腹にも料金は無料らしく、そのまま通してもらえた。設けられた階段を上って船内に入る。
「わぁ……!」
まず初めに視界に映り込んだのは、広大な甲板だった。
端にパラソル付きのテーブルが配置されたぐらいしか気になるものはないけど、広いっていうのはそれだけで胸を高鳴らせた。
んー! 思いっきり走りたい気分!
ワクワクしながら周りを見渡していると、やはりたくさんのプレイヤーの姿があった。そしてみんな、どこか興奮を隠せない態度を見せている。
直後、背後にあった扉が閉まった。
すぐに、ブ〜〜〜、と長い振動音が放たれ、ゆっくりと船が動き出した。
それを始まりとして、俺も歩き出す。
まず向かう先は船の後ろ側。今俺がいる場所は進む方角にあるので、見たいものが見えなかった。
駆け足で通路を進み、最後尾まで向かう。
そこでは、ウォーデルの都市が一望できた。
門から入ってきた横からの景色じゃなく、街の中から見上げた下からの景色でもなく、都市全体。
改めて、そして初めて見た風景に新鮮さを感じながらも、しんみりとした気分にもさせられた。
……本当に、色々な出会いがあった場所だった。思い出が一つだけじゃなく、全てが濃い。忘れたくても、一つも忘れられないだろう。だって、
「楽しかったな……」
それが一番の原因なのだから。
船はゆっくりと前に進み、思い出に浸る時間をくれる。初めて街に足を踏み入れた時、ゴンドラを襲撃された時、喫茶店で、
――ボシャァッ!!
急に、目の前で大きな水飛沫が上がった。
透き通った色に都市と思い出が塗り潰され、晴れたと思いきや今度は漆黒に染め上げられる。そしてそれが姿を消すと、
「どらあああああああああああああァァッッ!!」
咆哮を轟かせる男と目が合った。
「ひゃああああああああああああッ!?」
「のわああああああああああああッ!?」
俺の叫びに驚いたのか、またも叫びを上げる男。
いやびっくりしたのはこっちですよ!
男性は驚愕の顔を作りながらも、空中で綺麗に一回転。そして甲板に着地した。
側にはその高い身長を上回る巨大な槍が置かれていて、床にさらに巨大な影を作り出している。
理由は、槍の先端。
鋭利なその場所に、さらにさらに巨大な魚を突き刺していたからだ。
「わわっ!」
思わず叫んでしまう。
だって突き刺ささっているのは……サメだ。それも今俺たちが立っている甲板と等しいくらいに大きい。
ピクリとも動かないけど……怖さは変わらない。
「おー悪い悪い、ビビらせちまったな」
そう言い、笑う男……いや少年か。歳は俺よりも少し上くらいかな?
髪は紺色で、とある幼馴染のようにチャラチャラとした印象があった。
彼は「よっこらしょ」とサメなどまるでいないもののように軽々と片手で槍を持ち上げると、
「姫、取ってきたぞー!」
高らかに、船に向かって言い放った。
……姫?
「――お帰りなさい、カズ」
彼に比べると、あまり力の感じられない声。
それは、船に中央に位置する建物。その扉から聞こえてきたような……お、開いた。
「!」
ガチャリと現れたその人物に、俺は目を見開くしかなかった。
犬の耳のような形を作った銀色の髪、惑わされるような美貌。それはテレビの先で見た……。
「シェリー……さん……?」
「はい、シェリーですよ」
いつの間にか、彼女の顔が目と鼻の先にあった。
「わあッ!?」
「ふふ、可愛い反応」
くすくすと笑うシェリーさん。見れば彼女の足元に透明な何かが張っていた。それは今の今まで立っていたはずの扉前から繋がっていて……氷、か?
もしかして、これを使って滑ってきたとか、なのかな?
ひんやりとした空気にそう答えを導き出すと同時に、パリィン……と儚い音を立てて氷は消滅した。
今のは一体……い、いや、それよりも聞きたいことがある。
「どうして、ここに……?」
「少しウォーデルに用事がありまして。……それよりも、私のことをご存知なのですか?」
「は、はい。お昼の放送見ました!」
「お昼? ……あっ、特番のことですね。見てくださってありがとうございます」
感謝の気持ちか、深々と頭を下げてくるシェリーさん。
見た目だけじゃなくて、中身も美しいんだなぁ。
「……商売上手」
ぽつりと、横から何か聞こえたような気がした。
「おい姫、改めてコイツで良いんだよな?」
俺の横に立っていたカズさんが槍を高く掲げた。
対してシェリーさんは特に驚きもせず、品定めするようにサメを見つめて、
「十分です。この大きさなら注目を浴びられるでしょう」
「どうする? このまま写真撮るのか?」
「いいえ、ギルドハウスに帰ってからにしましょう。この子が入るくらいに大きな水槽を用意するよう、メンバーさんに連絡してください。サメと私のツーショットという異質な組み合わせと、素材として扱わず『飼う』という選択を取った私の慈愛さに、軽く数百人くらいの心とお金を獲得できるでしょう。……まったく、簡単な商売ですね」
す、凄いことを聞いてしまったような。
つまり下心でブログを? お金のために……。
「そうだな。……つーか思いっきり聞かれてるぞ」
俺を指差すカズさん。
そ、そっとしておいて欲しかったなぁ……。
「あらあら」
自然と顔を背けた俺の視線の先を予測するように、回り込んでくるシェリーさん。
「ひぉッ!?」
「ふふ、口が滑ってしまいました」
綺麗で優しい笑顔だけど、不思議と恐怖を感じた。
「あ、あのあの、今の話はその」
「他言無用でお願いしますね」
「……はい」
ずいっ、と顔がさらに近づいてきた。
「本当にお願いしますね。本当に本当に本当に」
「は、はいぃっ! 約束します!」
……何だか命の危機を感じた。
「良かった、それが聞きたかったんです」
シェリーさんはそう言うと、くるりと振り返った。
そのまま甲板の端まで歩いて、手すりに体重を預ける。
こちらから見える美しい横顔は、不思議と心から安堵したような、そんな表情だった。
「?」
「ごめんな、あんまり気にしないでくれ」
カズさんはため息まじりにそう言うと、シェリーさんに歩み寄った。
……な、何だか急に色々なことが起こり過ぎて、思考が追いつかない。街を眺めていたらサメと男が出てきて、先ほどテレビに出ていた人物が現れて、それが実は下心で……。
「…………」
そこまで考えて、再びウォーデルに目を向けた。
先ほどよりも小さく変わった都市を見て、
「……まだ、思い出を作らせてくれるんだね」
街が見えなくなるまでイベントは続くよ。
そうこちらに告げてきているような、そんな気がした。




