62.5.嵐の中で②
ゴゥッ!!
殴りかかるような暴風が世界を駆け抜ける。
空は闇夜に支配され、まるでこの世の終わりを告げているかのようだった。
鋭利な雨が大地を揺るがし、栄養分にも関わらずボドンボドンと悲鳴を上げている。加えて爆発するような雷鳴。切り裂くようなエフェクトが天から地に落ち、さらなる爆音を放つ。
それは生物が決して足を踏み入れることのできない、まさに地獄と呼べる領域。
そんな場所に一つ、白い光が宿っていた。
形はダイヤ。くるくると規則正しいリズムで横に回転するその中には、何とプレイヤーの姿があった。
全身を黒いコートに包み込んだ、七三分けのプレイヤー。名をゲイタという。
普段は大人しそうな表情を、今では鬼神のように変貌させて崩れた大地を歩いていた。
そんな彼に迫る影が一つ。
「ーー忠告だ、死にたくなければ失せろ」
だが、影は聞く耳を持たなかった。
暴風を意に介さず、ダイヤに飛びかかる。
――ジュワッ、と。
ダイヤに触れた箇所から溶け出し、影の体がドロドロに変わっていく。
何か叫んでいるような表情を浮かべるが、嵐のせいで何も聞こえない。いや、聞こえていたとしても、今のゲイタが助けに入ることはないだろう。
雨に打たれながら崩れ落ちる敵に目を向けることなく、彼は嵐の中を進んでいく。
やがて、その足は止まった。
理由は眼前、ゲイタの前には深い森が聳えていた。
迷いの森、そう呼ばれるダンジョンだ。
「……再会の場所、か」
小さく呟き、彼はふっと笑みを浮かべた。
そしてダイヤに包まれたまま、先に進んでいく。
中に入ると、雨音は遠くにあった。
どうやら森によって遮られているらしい。唯一、攻略ポイントである箇所から漏れ出しているが、ある意味好都合だろう。
降り注ぐ雨を頼りに、前へ進んでいく。
――ゲ、バァァッッ!!
不快な咆哮、加えてズシンと大地が振動する。
理由はゲイタの目の前。
数メートルほど離れた位置に『それ』はいた。
見るからにヌルヌルとした感触が伺える、緑色の肌。腹部は真っ白に染まり、ぷくりと膨れている。
体はとにかく大きく、軽く跳べば森から頭が出てしまうくらいの巨体を持っていた。
【タイフーン・トード】【Lv20】
「特殊MOB、か」
ゲイタは右手のスティックの先端を敵に向けて、
「醜いな……ありがたいことだ。お前を眺めた後に彼を見れば、それは美しく瞳に映ることだろう」
『グゲゲッ!!』
汚い声と同時に、鋭い音が放たれる。
瞬時に横へ跳んだゲイタ。すると、今まで彼が立っていた位置に轟音が炸裂した。
そこには赤く細長い何かが――『舌』だ。
『ゲ、ゲッ!?』
今度は慌てた声が放たれる。
どうやらタイフーン・トードの舌が地面深くに突き刺さってしまったらしい。忙しない動作で舌を引き抜き始める。
「無事に引き抜けるといいな」
ゲイタはそんな敵から視線を離すと、森の出口に向かって歩き始めた。
その距離は徐々に開いていき、動きを止めた。
「!?」
いや、ゲイタの動きが止まっていたのだ。
「道が……ない!」
木、木、木。
出口がある方角のはずなのに、隙間一つない樹木が道を塞いでいたのだ。
一体どうして。
ゲイタは、そこで思考を止めてしまった。
……後ろに敵がいることを、忘れて。
ドスッ。
鈍い音。
それはゲイタの腹部から放たれていた。
彼はゆっくりと下を向く。
赤く細長い……タイフーン・トードの舌の先端が、背中を貫いて腹部まで突き破っていたのだ。
ゲイタの周りを包んでいたダイヤにヒビが入り、全体まで行き届き、ガラス音と共に消滅する。
「ぐ、ぅッ!?」
直後、ゲイタの体が宙に浮いた。
ブゥン! と風を切り裂きながら彼の体は力強く回転し、竜巻を作り出す。
タイフーン・トード。
この技が名前の由来なのかもしれない、そう考えた時にはもうゲイタの体は地面に叩きつけられていた。
ぬかるんだ地面に沈み込むゲイタのHPゲージが半分以上も削れていった。
硬い地面のままだったらレッドゲージまで減っても可笑しくない一撃だった。
「……こ、こんな、ところ……で」
ドンッ! と、ゲイタに舌が振り下ろされる。
嘆く暇も悔やむ暇もなく、彼は、
「負け、られるかッ……!」
――スキル《スティック》Lv.10『バースト』
――『ホワイトシールド』
名前の通り白く、透明な物体によって舌を防いだ。
再び振り上げられる長い舌。
ゲイタは盾の下から抜け出し、頭から跳ぶ。
後方で爆音が放たれ、土が大きく削れた。ホワイトシールドは無残に割れ、静かに消滅した。
『グゲッ、ゲッ』
ゆっくりと舌を持ち上げ、シュルシュルと回しながら愉快そうに笑うタイフーン・トード。
「負けられ……ないんだ……!」
対して、苦痛な表情で相手を睨みつけるゲイタ。
「ただのデータであるお前には分からんだろうが……愛する人が僕を待っているんだ……この嵐の中だ。恐怖と僕が店を訪れないことに対しての寂しさから、一人で泣いているに違いない……」
ドスン! と拳を膝に叩きつけ、震える足を止める。
「倒さなくては通れないというのならば、僕はお前を超えていく! 愛のためにッ!」
「――良いセリフね! 気に入ったわ!」
「ッ!?」
『ゲゲッ!?』
急な大声に、一人と一匹は反射的に顔を向けた。
声の方向であるその先には一人、少女が立っていた。
(銀色……!? だが違う、彼の色とは確実に違う)
ゲイタが想像した人物に比べると、確かに少しだけ髪の色が薄かった。
彼には響かないが、少女はそれはそれは常人離れした美貌を持っており、彼以外の男性だったら一目で虜にしてしまいそうなくらいに素晴らしかった。
それだけで大きな特徴となるが、目立つものといえば髪の形だろう。
頭上の二箇所が丸く盛り上がっていて、まるでクマの耳のようだ。
彼女はビシッとゲイタを指差して、
「君、感謝なさい? わたしが協力してあげる!」
続けて、こう言い放った。
「この、『サユリ』様がね!」




