48.ラストバトル①
「あり得ない……」
少しして、震えたゲイタの声が。
剣を隔てた先を見ると、見開いた目でおじさんを見つめる彼の姿があった。
……うん、気持ちは分かる。
ユニークモンスターの攻撃を受け止めるなんて、一般のプレイヤーじゃまずあり得ない。このゲームが発売してまだそれほど日が経っていないし。
そりゃ誰だってびっくりするはずだ。
「どうしてこんな中年にゼン君が懐いているんだ!?」
そっち?
と、というか何をそんなに驚くことがあるんだ?
「僕を見つめる時は瞳を潤ませないのに! 表情を綻ばせないのに! ウキウキなんてしないのにィ!」
「こりゃまた面白えヤツがいるな」
「ふ、普段はこんな感じじゃないんですよ。おじさんがびっくりさせるから取り乱しちゃって」
「男は太え精神を持たなきゃいけねえモンだがな。……ま、嬢ちゃんには関係ねえか」
あ、そういやおじさんは俺の性別を勘違いしてたんだっけ。
そろそろ本当のことを話さないと。……いや、それよりも先日のお礼が先かな? う、うーん。何から話そう。迷っちゃうな。
「――さて、まずはこの状況をどうにかしねえと」
おじさんの口から、正解が出た。
そ、そうだ。忘れるところだった! 俺たちは今、強敵に襲われているんだった!
「確かに……悔しいですがあなたの言う通りです」
苛立ちの見える表情で同意するゲイタ。
何が悔しいかは分からないけど。
「幸い、どうやらこの状態から敵は行動ができないみたいです。リスポーン組が戻って来れば袋叩きができるでしょう。……汚いですが、運営に察せられる前にトドメを刺してしまいましょう」
……うん、そうだよね。ちょっと腑に落ちないけど、確実な手段を取った方が良い。
身動きの取れないユニークモンスターを袋叩きにできるなんて知られたら、直ちに修正されてしまうはず。今がチャンスなんだ!
俺たちが望むべきは、イベントの成立。
「答えはノーだ」
だが、おじさんは首を横に振った。
突き刺さったままの大剣を握り、
「ふぬぅっ!」
気合いの入った声と共に、強引に引き抜いた。
『ルシャアッ!!』
側から、鼓膜を揺るがす怒号が放たれる。
そのまま敵は、地面を揺るがしながら巨体を翻し、水の中に背ビレ以外の身を隠した。
その姿を眺めていると、先ほどおじさんによって削られたHPゲージが元に戻っていくのが見えた。
なるほど……水の中にいる間は回復するのか。
「な、なんてことをするんですか!」
怒りを見せるゲイタ。
対しておじさんは、つまらなそうな顔を作った。
「なんてこと?」
「千載一遇のチャンスだったんです! それをわざわざ潰すなんて……!」
「そんなモンつまらねえだろ。フェアじゃねえし」
「ふ、フェア……?」
今度はゲイタが聞き返す番だった。
おじさんは敵の背ビレを見ながらこう答える。
「真正面からぶつかり合ってこそ、男だろうが」
「し、知りませんよ。……というか、僕たちには勝たなきゃいけない理由があるんです。それに時間がないんです。手段なんて選んでいられない状況なんですよ!」
「人間性もつまらんやつだな」
おじさんは呆れたように吐き捨てると、俺に顔を向けた。
そして、こう尋ねてくる。
「嬢ちゃんはどうだ? それで良いのか?」
「ゼン君! 君は僕の意見に賛同してくれるだろう?」
ずいっ、と横からゲイタが顔を寄せてくる。
その目は血走り、鼻息は荒い。な、何をそんなに必死なんだろう……。
……でも、ごめんねゲイタ。
「正直なことを言っちゃうと……俺も、真正面からぶつかりたい、かな」
「なッ!?」
「さすが俺が見込んだ女だぜ」
男です。
「……な、なぜだ……なぜこんな中年を選ぶ!? 僕の方が若くて清潔なのに……! まさか筋肉か? それともあの髭? 無精髭が好きなのか……?」
ぶつぶつと呟きながら、悶えるゲイタ。
なんだか今日は珍しい彼を多く見るなぁ。
「嬢ちゃん、来るぞ!」
「わっ!」
ぐいっ、とおじさんの太い腕に抱えられる。もう片方の腕には目の光を失ったゲイタの姿もあった。
それに気づいた瞬間、おじさんは横に跳んだ。
直後、今まで俺たちが立っていた場所に、敵の牙が勢いよく突き刺さる。
「あ、ありがと。おじさん!」
「礼は後だ!」
おじさんは声を張り上げてそう言うと振り返り、水のない砂浜に向かって走っていく。
敵はその背中目掛けて突進を開始し――途中でピタリと動きを止めた。そのままゆっくりと水の中に体を戻していく。
「攻撃を……やめたの?」
「恐らく、俺たちがヤツの攻撃範囲から遠去かったからだろうな。まぁさすがにわざわざ陸に出るなんてバカな真似はしねえだろうな」
そりゃそうか、デメリットしかないもんね。
魚が陸で活動できるわけがないし。
「だが……まだヤツの目は俺たちを捉えている。何か仕掛けてくるだろうぜ」
「でも、あの距離からなんて……」
俺がそう告げた、直後だった。
敵が大きく口を開いたのは。
漆黒に包まれた喉奥から赤い球体の光が宿り、それは次第に規模を増していく。
「ッ! これは!」
おじさんが何かに気づき、俺たちを放り投げた、次の瞬間だった。
球体の光が、レーザーのように放出された!
それは表現できないほどの速さで真っ直ぐに、砂浜を抉りながら突き進んでいく。
おじさんがいち早く気づいていなければ、俺たちは容易く貫かれていただろう。
「あ、危な……」
「なるほどな。遠距離攻撃もできるわけか」
おじさん、良かった。無事だったんだ。
……それにしても、どうしようか。これじゃ冷静に策を練ることもできない。
ほら、また敵が口を開き始めて――
「ぬん!」
そんな敵を目掛けて、おじさんは駆け出した。
迫力のある声に等しく、凄まじい速さだった。……そういやさっき、俺たちを抱えて素早い動きを見せたりしていたな。スキルレベル、どれだけ上げているんだろう?
いや、今はそんなことよりも!
「お、おじさん! 危ないですよ!」
そんな俺の心配を無視して、おじさんは突き進む。
ま、マズい。球体がどんどん膨らんで――
――消えた。
「えっ、消えた!?」
敵は何事もなかったかのように口を閉じると、おじさんに頭を向けた。そして、少し前に見せていた突進を再び再開し始める。
「ふーむ……どうやら近くにいる相手に狙いをつけるみたいだね」
今まで黙っていたゲイタが、ようやく口を開いた。
冷静に戻って良かったけど……少し、いや凄く距離が近いような気がする。さっきからお互いの頬が当たっているんだけど。
「そ、そうみたいだね……」
少し距離を取る。
ゲイタはその後を追って、再び頬を合わせてきた。
「お、おふ」
「それに距離によって攻め方が変わるのか。近距離なら突進からの捕食、または咆哮からの捕食。遠距離ならブレスか。まあ、どちらにしろ僕たちは敵の攻撃を掠りでもしたらアウトなわけだが」
うん、冷静な分析だ。
けど周りにもちょっと目を配って欲しいかな。
「どらぁ!」
野太い咆哮。
見れば、おじさんが口を広げて突っ込んできた敵の横に回り、皮膚を深く切り裂いていた。
HPゲージが、ゴリっと三割ほど削れていく。
ほ、本当に凄い。相手のレベルは桁違いなのに、あれだけダメージを与えられるなんて……!
よく見れば、前と大剣が変化している。柄から鍔にかけて竜の姿を連想させる緑の鱗が装飾され、太く鋭利な刀身は、その牙のようだった。
防具は変わっていないことから、武器にだけお金をかけているみたいだ。それに俺の想像を遥かに超えるくらい、大剣を振るい続けてきたんだろう。
……本当に、一体何者なんだろうなぁ。
「でもダメだ。海の中じゃ回復してしまう……」
ゲイタの言う通りだ。
赤いエフェクトが刻まれた敵は、海に戻ると深く潜り込んでしまった。さっき確認したところだと、回復速度は中々速かったし、おじさん一人だけの力じゃゼロに持っていくのは骨が折れる作業だ。
それに元々、ユニークモンスターは大勢のプレイヤーが協力して挑むものだし……厳しいな。
せめて回復を封じることができれば、確実なダメージを与えられるんだけど。
……回復を封じる……。
……封じる、封じる、か……。
「……ねえゲイタ」
「なんだい?」
相変わらず頬が当たる。
けど、そこを気にしている暇はない。
「あの敵を、陸に上げることってできるかな」
「難しいね」
即答。
もしかしてゲイタも同じことを考えていたのかな。
「……でも、それは僕たちだけならの話だ。あの中年のパワーがあれば、もしかしたら……」
「うん、だよね! ……おじさーん!」
「何だ嬢ちゃん!」
敵から目をそらさずに、おじさんは口を開いた。
俺は鋭く息を吸い込んで、大声で告げる。
「そいつ! 陸に放り投げられるー!?」
「む!」
おじさんはそれだけで理解してくれたようで、大きく頷いた。
そして体制を低くさせ、大剣を両手で構える。
『ル、シャァッ!』
小さくなったおじさん目掛け、敵は口を開いて真っ直ぐに突進してきた。
だが、おじさんは動かない。
スピードに乗った敵は、あっという間に捕食相手の目の前までやって来て、
「ら、ぁッ!」
思い切り突き上げられた大剣によって、口内の上部を突き刺された。それは皮膚を突き破り、頭に剣先が露出する。
やがて勢いが収まり、敵の動きが止まった。
「おぐ、ぉぉッ……!」
ミシミシ、と軋んだ音を立てながら、おじさんは腕に力を入れる。
そのまま気張っている顔をこちらに見せ、
「どらああああッ!!」
咆哮と共に、腕を振り払おうとする。
しかし――
「ぐっ!」
おじさんの動きが、途中で止まった。
もしかして、筋力スキルが足りないのか!?
「ちぃ……!」
初めて、おじさんの顔に歪みが生じた。
やっぱり、さすがに一人じゃ無理なんだ!
「おじさん!」
気づいた時にはもう、俺は駆け出していた。
側まで辿り着くと敵に背を向け、吹き飛ばす先に向けて柄に触れた。そして体重をかける。
……まったく動かない。
「こういうのは、あまり好きじゃないんだが……」
背後からゲイタの声が。
後ろから腕が伸び、大剣の柄に触れる。そのまま体重をかけ始めたようで、背中に彼が密着した。
「はぁっ、はぁっ!」
荒い息。どうやら相当力を込めているらしい。
うっ、耳元に当たるのがちょっとくすぐったいな。
「ね、ねえゲイタ別に俺の背後じゃなくてもさ、隣にスペース空いてるよ?」
「はあはあっ、ぉおお構いなく! 今の僕はぁっ! この位置でこそ真の力を発揮するううッ!!」
「そ、そっか」
ならこのままでいいか。
――ズズッ。
ん? なんか頭上から鈍い音が聞こえてきたような。
「……わあっ!?」
見上げて、俺は驚愕するしかなかった。
上顎が、ゆっくりと降下を始めていたのだ。
大剣が突き刺さっているにも関わらず、お構いなしに。
こ、このままじゃ押しつぶされるっ!
「ゼン!」
「嬢ちゃん!」
ここで聞き覚えのある声が二つ。
顔を向けなくても、その人物たちが分かった。
「カイト! アニキさん!」
「「おうよ!」」
二人は大きな声で答えると、何も聞かずに俺の左右にやって来る。
そして同じように柄を押し始めた。
「こいつを……!」
「吹き飛ばすんだなッ……!」
やはり脳筋なだけあってか、豪快な戦法はすぐに理解できたようだ。
また、やはり脳筋なだけあって、柄がゆっくりと前に押し出されていく。さすが、俺よりも筋力スキルが高いみたいだ。
「うおっ、何だアレ!?」
「何してんだあいつら!?」
続いて、足音が幾つも響き渡る。
スタッフのみんなも戻ってきたらしい。
「みんな早く来い! 押せ! 押すんだあッ!!」
カイトの大声から必死さが伝わったのか、みんな急いでやって来る。一気に周囲が男たちでいっぱいになった。
ぐううっ! 気温だけでなく、視界も暑苦しい!
けど、力を緩めるわけにはいかない!
「「「うおおおおおおおおおおおおおッ!!」」」
男たちの咆哮が、フィールド全体を揺らす。
大剣の柄もそれに応えるように、前進していく。
上顎もまた、降下を増していた。あと数センチで背の高いスタッフの頭に牙が刺さりそうだ……!
もっと力を込めて――もっと、もっと! もっと!!
「いっ……」
俺の言葉に、
「けええ、おらあああああッ!!」
おじさんの迫力ある声が続く。
グオオッ!!
直後に放たれた、不思議と清々しい轟音。
それは――




