4.白ウサギとハナビ
「……えっ、男の子……なの?」
「ですっ」
隣に腰を下ろした俺の返答にポニーテールの美女こと『ハナビ』さんは、しばらくして、ふふ、と笑った。
「信じられないなぁ」
「うぅ、そう言われるとさらに悲しいです……」
「あらあら、ごめんなさい」
謝罪しつつも、ハナビさんは可笑しそうに笑っていた。
普段ならムッとするところだが、彼女の美しさから思わずこちらも照れ笑い作ってしまう。
「ん?」
ふと、俺はあることに気づいた。
それは、鼻に届いた心安らぐお茶の香り。見ればハナビさんの側には、緑茶の入ったカップとピンクの花の形をした生菓子が上に乗った皿が一つ置かれていた。
「――VRMMOの世界って、凄いね」
不意に、ハナビさんの口が開いた。
「お菓子もお茶も凄く美味しい。とてもデータとは思えないわ。幾ら食べても太らないし、それに……」
そこでハナビさんは、言葉を止めた。
そして、すぐに柔らかく微笑んだ。
「ふふ、何でもない。ウサギさんもどう?」
「お、そうですね!」
俺は和服を着込んだ店員NPCを呼ぶと、ハナビさんと同じ生菓子と緑茶を注文しようとして、
「…………」
そこでようやく、自分が一文無しだということを思い出した。
注文できる商品は、メニューの一番上にある『水』のみだ。
「どうしたの?」
「あー……いや、ちょっと……」
「もしかして、お金が足りなかったり?」
「…………」
「……あ、あれ本当に?」
実は財布の中身が空っぽなんです、とは恥ずかしくて口に出せなかった。
そのまま黙っていると、代わりに立ち尽くす店員NPCに向かってハナビさんがこう言った。
「すみません、コレとコレお願いします」
『かしこまりました』
店員NPCが答えた直後、ベンチの上に新品の緑茶と生菓子が出現した。
ハナビさんはそれらを、俺の隣まで持ってくる。
「さあ、どうぞ」
「え? ……い、いやいやさすがにそれはっ!」
「ふふ。よだれ垂れてるわ」
「ッ!?」
慌てて俺は口元を拭う。
こ、これは……恥ずかしい!
「気にしないで。二つ合わせてたったの五十ゴルドだもの。それに、きっと面白いことが起こるからぜひ試してみて欲しいの」
「そ、それじゃお言葉に甘えて……」
ありがたく頂戴することに決めた。
同時に用意された専用のフォークを手に取り、一口サイズに切り取り、口に運ぶ。
「……美味しい」
ふわりとした感触に、舌を喜ばせる程よい甘さ。
続いて俺は、緑茶を頂く。
「あぢっ!」
思わず、ぴんっ、と舌を外に出してしまう。
た、確かにリアルでは猫舌だけど、まさかこっちにも反映されるとは思わなかった。
「ふふっ」
隣から愉快そうな笑い声が。は、恥ずかしい!
顔を真っ赤にさせながら息を吹きかけて、再び口に運ぶ――ふぅ、美味しい。
ピロンッ。
そんな時だ。軽やかな音が耳に入ったのは。
同時に、視界にウィンドウが表示される。
【生菓子・桜】のレシピを取得しました。
「おおっ」
「レシピを覚えたでしょう? このゲームではお店で出された商品を口にすると、その料理の作り方を覚えられるの」
そういえば、そんなシステムがあったな。
レシピは専門店で購入することもできるけど、中々高額なんだっけ。数も多く存在するらしいし、一つ一つ料理レシピを集めながら旅するのも楽しそうだ。
「……そうだ。話は変わるんだけど」
ハナビさんはそう言うと、ベンチの側に置いた俺のバックパックを指差して、
「それを購入したってことは、もしかして旅を目的にしていたりするの?」
「あっ、はい。そうなんです。旅がしてみたくて」
「そっか、ふふ。じゃあ私と同じね」
嬉しそうに、ハナビさんは笑った。
「ハナビさんも?」
「ええ、そうなの。広い世界を歩き回りたくて。……そうだ、フレンド登録してもいいかしら?」
「どぞどぞ、こちらこそお願いします」
互いにウィンドウを操作し、登録をする。
今まで空欄だった『フレンド』のページに、ハナビの名前が表示された。
「ふふ、ありがとう。……よ、いしょっ……」
ハナビさんはそう言うと、立ち上がろうとする。
……だが、少し変だった。腰を回してベンチを押さえつけるように体重をかける。そのままプルプルと小刻みに震えながら、ゆっくりゆっくりと。
三十秒近くして、ようやく立ち上がった。
「それじゃわたし、そろそろ行くね。またね、ウサギさん」
ウィンドウを操作し、俺と同じバックパックを出現させ装備すると、この場を去ろうとする。
「……あっ。お菓子とお茶、ありがとうございました! またどこかでっ!」
慌てて言葉を返すと、やはりハナビさんは優しく微笑んで、こちらに手を振る。
そして振り返ると、歩き始めた。
かく、ん。かく、ん。
膝を深く折り曲げながら、上体をグラつかせて。
……もしかして、足を悪くしているのかな。
心配だ。次の安全エリアまでついて行こうか。
「あのっ、ハナビさーん!」
俺は立ち上がると、姿が小さくなり始めたハナビさんの背中を目指して駆け出した。
ゆっくりと進む彼女には、すぐに追いつき――
『ゲコッ』
げこ?
唐突な奇声が、すぐ真横から聞こえてきた。
ちらりとそちらを見やると、そこにはいた。
それは、全長が二階建てアパートくらいあるだろう巨大なカエルだった。
【ジャイアントトード】【Lv48】
モンスターの頭上には、あり得ない数字が刻まれていた。……れ、レベル48!?
ちなみに、このゲームには従来のRPGに多く導入されている『敵を倒すとレベルが上がりステータスがアップする』というシステムは存在しない。プレイヤーのステータスはスキルによって変動する形になっている。
つまり、攻撃系のスキルがMobのレベルを超えていないと強いダメージを与えられず、高い防御系のスキルや高い鍛冶スキルで作成された防具を装備していないとこちらが深手を負うことになる。
……確か、今の俺のステータスは……、
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【スキル】
《ブーメランLv1》
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無力。実に無力だ。
……つまりブーメランのスキルが『48』に近いかそれ以上ないと戦えないわけだ。ははっ、勝てるわけがない!
そういや先ほど出会ったおじさんが言っていたっけ。ここは正規ルートじゃないって……。
……くそっ、勝てないと分かっているなら、せめてハナビさんだけでも!
「は、ハナビさん! 逃げ――」
ペロンっ、と瞬時に伸びてきた舌が俺を捉える。
「のああああ……」
そのまま虚しくも、俺はジャイアントトードの食料となった。
▽
「……あら?」
声が聞こえたと思って、振り返ったハナビが見たものは、満足そうに自分の唇を舐める巨大なカエルの姿だった。
「わぁ、巨大なカエルさん」
ハナビはウィンドウを開き、手元にカメラを出現させる。
そして、パシャリ、と記念に写真を撮り、
「早速ウサギさんに送ってあげようかしら」
ふふっ、と清楚に微笑んだ。