41.男たちのボス戦①
ゴポッ、と。
ドロドロと腐り爛れた皮膚が黒く変色し、骨になった身体から止めどなく溢れ出している。
現実ならば異臭が激しそうな様子だが、そこまでは再現していないようで、鼻に届くのは潮の香りだけだった。
【リザードゾンビ】【Lv21】『?』
大きく作られた部屋の中央に、そのモンスターはいた。骨身から耐久力の低そうな印象だが、全長が通常のリザードマンよりも遥かに巨大だった。
頭上に『?』マークが浮かんでいることから、クエストの対象モンスターで間違いないはずだ。……それにしても、Lv21か。
「こいつが……!」
「俺たちの青春を遮る悪ッ……!」
「許すまじ……許すまじ!」
スタッフたちは殺意のこもった視線を眼前のMOBに向け、武器を構えた。
その行動に、ハッ、とゲイタが目を見開く。
「あまり派手な行動を取らない方がいい! 相手の出方をうかが――」
『――ギ、ァァ、アガガ……ッ!』
ゲイタの口を止めたのは、静かな咆哮。
それはリザードゾンビのものだった。
ズズ……、と地面を揺らしながら、ボタボタと皮膚を地面に落としながらこちらに顔を向ける。
目玉のないぽっかりと空いた瞳で俺たちをジッと見つめて、
――ドボォッ!!
それは、唐突に始まった。
地面に広がった皮膚の溜まりの一部が細く鋭利に突起し、噴出し始めたのだ。
凄まじいスピードで突き進むそれは数を増し、一直線に俺たちに向かってくる。
「たてや……!」
ゲイタが指示を出そうと試みるが、
「ぐがぁッ!?」
「ごあッ!」
リザードゾンビの攻撃の方が早かった。
盾を構えようとしたプレイヤーの腹部に突き刺さる。その衝撃によって後方へ弾き飛び、他の仲間たちを巻き込んでいく。
俺はちょうどその背中にはいなかったから大丈夫だったけど……。
――グニュッ。
……ぐにゅ?
何やら柔らかい感触を連想させる音が。
音の先は、先ほど吹き飛んでいった仲間たちの元からだった。
見れば、それは……細く変わった敵の皮膚。
ぐにゅり。
そんな音を立て、微かに蠢いている。……な、何だろう。何か嫌な予感がする……!
そう考えた、直後だった。
爆発音と共に、そこからさらに皮膚が細く鋭利な槍を吹き出したのは。四方八方に突き進み、俺たちに襲いかかる。
「うわ、あッ!?」
虚を突かれ、俺は叫ぶことしかできなかった。
だが小さな背丈が幸いして、地面から斜めに突き上がるように突き進んできた皮膚に激突されることはなかった。
「ぐに、ぁッ!?」
……だから、背後から鈍い音と叫びが聞こえてきたことが本当に申し訳ない。
俺がもっと大きければ! ……大きければ……。
大きくなりたいなぁ……。
「ぐぐ、ぐッ!?」
悲しい気分に陥っていると、少し離れた位置から呻き声が。
そこには、一人のプレイヤーの姿があった。
何やら必死に暴れているけど――って、よく見たら足元が爛れた皮膚に埋まっている!?
一番初めに、こちらに飛んできた細い皮膚のようだったけど……いつの間にかそれは地面に落ちていて、溶け出し規模を広げていた。
そしてそのプレイヤーは、その物体を踏んづけてしまったようで……強い粘着性があるのか、身動きが取れなくなっていた。
「なッ、同胞!?」
そう声を上げたのは、アニキさんだった。
……確かにこう言っちゃ悪いけど、身動きを封じられていたプレイヤーの容姿は中々に怖い。ガラが悪そうな印象があった。
「今助けてやるからよ!」
「――ダメだ!」
予想外の返答に、アニキさんの足が止まる。
そのプレイヤーは、ふっ、と柔らかく笑って、
「……ダメっスよアニキ、ここで助けにきたらヤツの思うツボです。……見てください」
言われた通りにリザードゾンビに目を向けると、確かに空っぽの目で彼を見つめていた。
足元に溜まった自分の皮膚から新たに武器を出現させ、動けない獲物に狙いを定める。
「ばっ、バカ野郎!」
声を荒げるアニキさん。
その瞳は心なしか、潤んで見えた。
「お前……言ってたじゃねえか! 小さい頃から人魚に憧れていたって。例え仮想の世界、作り物だとしても、人魚を見ることができるなら幸せだって、あんなに楽しみにしてたじゃねえかっ……!」
アニキさんの言葉に、彼は首を横に振った。
と、というか……そんな過去があったのか……。
「はは、そうっスね。……大人になってもまだ人魚の存在を信じていることをバカにされて、こっちの道に足を踏み入れちまったっスけど……アニキも仲間たちもここにいるスタッフたちもあざ笑うことなんてしなかった。むしろ一緒に喜んでくれて……それで、気づいたんです」
――グオッ!!
直後、数本の皮膚の槍が彼に襲いかかる。
それは容易く、身体に深々と突き刺さった。
「同胞ォ!」
「チャン、スです! 早くこうげ……き、を……!」
見ると頭上のHPを激しく削らせながら、彼は皮膚を押さえ込んでいた。
「俺に意識が向けられているうちに……前へ!」
「だ、だがよ!」
「……き、づいたんです……」
彼は、今にも消えてしまいそうなか細い声で、
「人魚の存在……だけ、が俺の幸せ……だったと……そう思っていた、けど……違った……それを小馬鹿にしたりせず、真剣に受け止め……てくれた、仲間たちと共に過ごす日々が、幸せ……なんだって……俺を大切にしてくれたみんな、の……幸せを……奪わ、れたく……ないッス……」
「ど……同胞ぉ、ぉ……!」
アニキさんの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
だが歯をギュッと食いしばり、彼に背を向ける。撲滅すべき相手を見据えるために。
「……行くぞ、テメェら」
「い、いいの? アニキさん」
「いいんだ。アイツの気持ちを無駄にはできねえ」
「そうか。それは良かった」
答えたのは、ゲイタだった。
淡々とした言葉に少し非情さを感じたが、その顔は少し悔しそうに見えた。彼も悔しいのだろう。
「……どうやらリザードゾンビの攻撃パターンは、自分の皮膚を飛ばして相手にダメージを与えるだけでなく、捕らえて追撃を加える、というものらしい。こちらに注意していない今がチャンスだ」
そこまで言うと、カイトに目を向ける。
カイトはそれに対し、こくりと頷いた後、鋭く息を吸い込む。そして、
「――野郎ども、ぶっ潰せえ!」
「「うおらああッ!」」
咆哮と共に、多大な足音が空間に響き渡る。
向かう途中で何気なく振り返ると、もう彼の姿はどこにもなかった。
「くっ」
俺は素早く顔を背け、ブーメランを腰から引き抜いた。
救えなかった悔しさをバネに、力強く放り投げる。
上空に向かっていくブーメランは、弧を描きながらやがて骨の顔に激突した。
コツン。
軽い音。減少したかも分からないくらい微弱な力。
「なぁゼン、ちょっとそこらへんの皮膚踏みつけてこいよ」
「カイト、俺を盾に使う気だよね。そうだよね?」
確かに使えないけどさ!
「カイト君。なんて君は愚かなんだ」
それは、ゲイタの声だった。
「じ、冗談だって……」
「冗談? 君は人の気持ちを考えたことがあるのかい? ゼン君の心が傷ついているかもしれないのに」
「そ、その気持ちはありがたいんだけど……でも、今は戦いに集中を!」
「そうかい? まぁゼン君が言うなら……」
カイトから目を離し、先に飛び出していった仲間の背中を追うゲイタ。
……さっきカイトを睨みつけていた瞳からは確かな殺意を感じた。そ、そこまで怒らなくても……。
俺は呆然とするスタッフリーダーの腕を引き、リザードゾンビに駆けていく。
「人魚ぉ!」
「裸体ぃ!」
「裸体ぃ!」
それぞれの欲望を武器に乗せて振るう仲間たち。
どうやら骨身から落ちる皮膚の場所は設定されているようだ。近距離武器でも難なくダメージを与えられるように。俺も少し離れた位置から、微力ながらブーメランで応戦する。
……それにしても、人魚よりも裸体の声が多いのが気になるなぁ。
『ギギィィ、ヤァッ……!』
静かな叫び声を上げるリザードゾンビ。
やっぱり骨身だからか耐久力は低く、固く軋んだ音を立てながらHPがゴリゴリと削られていっている。
……あれ? 意外と普通にいけるんじゃ?
『ギギィ、バアッ!!』
そう思った瞬間だった。
リザードゾンビの足元にある皮膚が、勢いよく空に舞い上がったのは。
まるで波のような形を作った皮膚は、今も攻撃を続けているプレイヤーたちを飲み込もうとさらに巨大化し、彼らに迫っていく。
「危ねえ!」
すると、仲間の一人が手に持った巨大な木槌を振り上げ、地面に叩きつけた。
――スキル《ハンマー》Lv.10『バースト』
――『アースクエイク』
直後、だった。
ボゴォッ!! と、木槌が密接した地面の周囲が盛り上がり、側にいたプレイヤーたちを遠くに吹き飛ばしたのは。
俺の頭上を越えて、彼らはやがて墜落する。頭上のHPはごっそりと削られていた。
「な、何しやがる! 俺たちは味方だぞ!」
「叫んでる時間が勿体ねえ! 早く回復を!」
「この裏切り者……ッ!?」
そこで、みんな気づいたらしい。
皮膚の波の正体に。そしてその下に一人、木槌を振り下ろしたままの体制で固まるプレイヤーの姿を。
「お、おい何してんだ!」
「早く来い! 押し潰されるぞ!」
「ぼーっとしてんじゃねえって!」
一変して、心配そうな顔を作るスタッフたち。
彼らの見つめる先で、木槌のプレイヤーはピンチにも関わらず、その場から動く気配はなかった。
「バーストの効果だ!」
そう言ったのは、アニキさんだった。
「仲間の一人がハンマーを使っててよ、あのバーストを何度か使ったことがあるから知ってるぜ! 広範囲にでけぇダメージを与える代わりに、少しの間身動きが取れなくなるんだ!」
「「なッ!?」」
俺たちは、驚愕するしかなかった。
再び視線を敵の位置に戻すと、もう頭上ギリギリまで迫ってきている皮膚の波が。
だが木槌のプレイヤーは臆することなく、俺たちに笑顔を見せて、
「お前らと過ごした時間……悪くはなかったぜ」
グバァッ! と。
その一言を最後に、木槌のプレイヤーは降り落ちてきた波によって身体を飲み込まれた。
「バカ野郎がぁッ!」
「くそっ! くそおおッ!」
大粒の涙をこぼしながら仲間たちはポーションを取り出し口に含むと、HPを回復させながら突進を開始した。液体を飲み込まなかったのは、泣き叫びたい衝動を抑えるためだったのかもしれない。
俺もなぜか、涙が止まらなかった。自分の無力さが情けなかった。……でも、今は悔いている場合じゃない。消えていったあの人たちのためにも、絶対に勝たなければならない!
「「うおおおおおおおおおおおおおッ!!」」
咆哮を轟かせ、武器を振るうスタッフたち。
硬い音を響かせながら、HPはイエローゾーンへ。
『ギ、バァッ!!』
再び始まった皮膚の波。
だが、スタッフたちは素早く後方に下がり、容易く回避すると再び突進。攻撃を加えていく。
そして、ついに敵のHPがレッドゾーンに、
『――グルア、ァァァッ!!』
入った、直後だった。
今までとは違う迫力のある咆哮を放ったリザードゾンビは、身体からこぼれ落ちる皮膚を細く鋭く変え……なんと上空に放出させた。
ガガァン! と、岩の天井にそれらは突き刺さる。数は四本。そして次の瞬間――
――その巨大な身体を、宙に浮かせた。




