38.大海原の異変
「……着い、た」
視界に広がる明るい景色。そして項垂れるような暑さに、俺はそう呟いた。
「ああ……着いたな……!」
カイトが頷き、やがてその表情がパァッと明るく変化していく。
そして――
「「――海ぃぃッ!!」」
一斉に、駆け出した。
迷いの森を抜けた先は、抜けた先だからこそ宝石のような輝きと眩しさを見せていた。時折、鼻に届く潮の香りが表情を綻ばせる。
どこまでも広がる柔らかい砂浜に、隣接する広大な海。砂地を進んでいけば次の都市に辿り着くけど、あの海の先にも何かありそうだ。そう考えるとワクワクするなぁ。
……いや、今はそれよりも。
「「ひゃっほー!」」
まずは海だー!
ドボン、と。二つ水飛沫が上がる。
この世界では衣服を着用しながら水に飛び込んでも、すぐに乾くそうなので何も問題ない。
うーん、やっぱり海は冷たいなぁ!
……いや、生温いかな?
水に触れた唇が潮で辛いっ!
……いや、辛いというより……苦い?
水の中は身体が重いけど、気持ちが良い!
……うん、確かに重いけど……ぐにゃぐにゃしてるというか。
――さて、入ってみた感想は。
「「うぁぁ、あああああああああああッ!!」」
それはそれは、
絶叫を上げたくなるくらい不快だった。
俺とカイトは海(?)から飛び出すと、砂浜の上で悶えるしかなかった。
「何だ? どうした……って、うわっ!」
「こ、これは……酷いな……」
駆けつけてきたアニキさんとゲイタが怪訝な顔を作る。
彼らの視線は俺たちではなく、大海原に向けられていた。
俺たちも肌を襲う不快さに、ぷるぷると全身を震わせながら振り返る。
「うげえッ!?」
「わひッ!?」
そして、互いに変な叫びを上げるしかなかった。
先ほどまで興奮しててよく見ていなかったけど、海の色は澄んだ水……などではなかった。
――黒。漆黒。ダーク。
それはまるで、ヘドロのようだった。
「ど、どうなってんだこりゃあ……?」
「……分かんない……」
公式にアップされていた写真と全然違う。
な、何でこんなに汚れているんだ?
「「「お――い」」」
混乱していると、複数の声が耳に届いた。
声の方向……今俺たちが寝転がっている場所から少し離れた位置に、木製の小屋があった。入り口の側には『海の家』と書かれている。
そしてその建物の周囲に、こちらに向かって手を振るプレイヤーたちの姿があった。
俺とカイトは衣服が乾き不快感が取れたことを確認し合うと、アニキさんとゲイタと共に、海の家に向かった。
「うおお女の子がいるぞぉぉッ! おおおッ!」
「やあお嬢さん。早速だけど、こんなむさ苦しいヤツらは放って俺と一夏のアバンチュールを」
「一人で行ってろゴミ屑。……お嬢さん、こんなヤツ放って俺と甘〜い恋の世界へと」
着くや否や、取り囲まれてしまった。
そ、それにしても濃い。全員キャラが濃過ぎる!
「言っとくが、そいつ男だぞ」
容赦なく真実を告げるカイト。
だが、最初はやはり誰も信じることはなく、高笑いが起こるだけだった。
「ったく、冗談キツいぜ!」
「この子が女じゃないってんなら何なんだ?」
「取られたくないからって必死過ぎだろ!」
誰も心から信じていない様子だ。
でも、カイトは相変わらず真顔で告げた。
「男だぞ」
再び巻き起こる爆笑。
カイトは同じ様子で、同じ言葉を続ける。
「男だぞ」
やがて、周囲から笑みは消えていった。
ざわざわ、と不穏な盛り上がりを見せる。「マジなのか?」とか「いやあり得ないだろ……」とか。……う、うーん。そこまで悩まなくても。
そこでカイトは、決定的な事実を言った。
「基本的に女の装備はスカートに設定されてるけどよ、こいつ下パンツじゃん? だから男だぞ」
その言葉に周囲の視線が下を向き、少しして上に戻した。
そして、はぁ……、とため息が辺りから放たれた。
「ンだよ、マジで男かよ!」
「期待させやがって!」
「ケッ、くだらねえ時間だったぜ!」
それぞれ苛立ちを表情に宿し、地面に唾を吐き捨てる。
……ホント何なんだこの人たち……。
「うーし、話に戻るぞ」
パンパンとカイトが手を叩き、俺たちの意識を持っていく。
「そんで? 何だよあの海」
そうだった、それが目的だった。
カイトの言葉に、スタッフらしき仲間たちは顔を見合わせ……やがて群れの中央を裂き、海の家への道を開けた。
「俺たちが説明するより、実際に聞いた方がいいな」
「そうだ。それがいい!」
「決して面倒くさいわけじゃないぞ!」
分かった、分かった。
俺たちはそれに従い、海の家に足を踏み入れる。
外装と等しく、少し古びた印象のある内部はもうガラガラだった。ただカウンターに一人、チャラチャラとした若い男のNPCの姿があった。
何だかその顔には、覇気がないように見える。そしてその頭上には『?』マークが浮かんでいた。
これは『クエスト』。いわゆる頼みごとであり、それを承諾して内容をこなせば報酬が貰えたりするのだ。
「あの、どうかしました?」
「……ああ、らっしゃいッス。プレイヤーさん。海は見ました……?」
「はい。凄いことになっていますね……」
素直に答えると「そうッスよね……」と力なくチャラ男NPCは頷いた。
す、凄い。ちゃんと内容を理解している……!
一見プレイヤーと容姿は変わらないが、彼はデータ上の生物なのだ。クエストNPCには高度なAIを備えてあるとは聞いていたけど、こんなに自然な会話が繰り広げられるなんて……科学の力って凄いなぁ。
そう感動していると、対照的に暗い顔をしながらチャラ男NPCは続けた。
「これじゃ商売上がったりッスよ……客は寄って来ないし、店にも来てくれない。可愛い女の子の水着姿を眺めることもできない日々……」
「うぅっ、辛えなぁ……」
「残酷すぎる……」
辛そうな表情を見せるカイトとアニキさん。
確かに可哀想だとは思うけど、そんなに?
俺は非情な性格なのかもしれないと思ったけど、真人間である隣のゲイタも真顔だった。
……ってことは、俺が抱いている感情は普通なん……だよね?
「誰か……誰かいねえかなぁ……この状況を打破してくれる勇者が……あの綺麗な海に戻れば、きっと美女が集まって。景色も人も美しい世界に変わるってのに……」
「「任せろ」」
脳筋たちの即答。
「ほ、本当ッスか!?」
「人が困ってんのに」
「ああ、助けねえ理由なんてねえ」
嘘だ、絶対に下心だ。
呆れた視線を二人に送っていると、ぴこん、と視界の中央にNPCの頭上と同じ『?』のアイコンが浮かんだ。
タップしてみると、ウィンドウが表示される。
そこにはクエストの詳細が載っていた。……ええと、この場所から二十メートル先にある『浮水の洞窟』。その奥にいるMOBを討伐して欲しい、とのこと。
洞窟の奥、か……多分、強いんだろうなぁ。
「了解したぜ!」
「待ってろ! すぐに平和を取り戻してくるからよ!」
「あーもう。欲望に忠実だなー!」
俺の言葉に返答はなかった。
もうすでに脳筋二人は、建物から飛び出していたからだ。
「……欲望に忠実、か」
開きっ放しの扉を見つめていると、小さな声が側から聞こえてきたような……。
「ゲイタ、何か言った?」
「いや、特には何も」
「あれ違ったか。急に変なこと言ってごめんね」
うーん、気のせいだったのかな。……っと、早く二人を追わないと!
俺は建物の外に、早歩きで向かっていく。
その間、首筋に何か生暖かい風が当たっていたような気がするけど……何だったんだろう?




