35.迷いの森①
それからゲームを夏休み中に楽しむため、家事を終えたら課題に没頭する日々が続いた。海斗は授業中に、必死にやっていたっけ。
やがて時は過ぎ、夏休み当日の昼過ぎ。
「ただいまー!」
俺は【セカンド・ワールド】にログインした。
カイトも同じように、この世界のどこかで両手を天に向かって突き上げていることだろう。
だって、課題を全部終わらせられたから! もう思いっ切り楽しんでやるぞー!
セーブポイントに設定した宿屋を出て、デパートのバーゲンセールか! と叫びたくなるほどに混み合った大通りと入り口広場を抜け、都市ビルディックの外に出た。
その先にあるフィールドも最近混み始め、今ではレベル上げのプレイヤーで溢れ返っている。
それらから目を離して丘を道沿いに進んでいくと、やがて森が見えてくる。
基本的にプレイヤーが訪れるであろう二番目の場所であるここは、始まりの街付近と比べると規模が遥かに小さい。前と違ってフィールドは一つだけで、その先はもうダンジョンになっている。
――『迷いの森』。
それがダンジョンの名前だ。
そして、先ほどから目に入っているあの森こそが、海の前に立ち塞がる険しい壁なのだ。
……確か今回は戦闘に加え、謎解きも導入されているとか。何とも遠い頂きなんだろうか……。
思わず複雑な顔を作ってしまいながら、ダンジョン前まで辿り着くと、そこにはビルディックの入り口広場に負けず劣らずのプレイヤーたちの姿があった。
やはりというべきか、プレイヤー募集の呼びかけが嵐のようにその場で巻き起こっている。
「――ん」
騒音が交じり合って、これじゃ逆に何も聞こえないな……。
「ぜえん!」
「ひゃおッ!?」
唐突に耳の側から離れた大声に、俺は飛び上がるしかなかった。
その身体を、空中で捕まえられる。
振り返るとそこには、金髪のプレイヤーがいた。
「ビビり過ぎだろ、お前」
「カイトか……いや急にそんな大声出されたら、誰だってこうなるよ!」
「仕方ねえだろ、この騒ぎじゃ……っと」
カイトはゆっくりと俺を地面に下ろした。
……それにしても、世の中は不公平だと思う。同い年なのにカイトとは十センチ以上も背丈に差があるのだ。ズルい! 羨ましい!
「……何で泣いてんだ? お前」
「何でもない! ……それで、他の人たちは?」
俺が言っているのは、イベントスタッフのことだ。
何でも知らない間に事を進めていたらしい。
聞いたところスタッフ希望者が何百人もいたそうで、さすがに数が多過ぎるだろうと、泣く泣くスタッフの抽選会などを行ったそうだ。
結果、イベントスタッフは二十人に決まったとか。残念にも落選した人たちは憤りを見せることなく、参加者として楽しむことを素直に了承してくれたそうだ。
それで今日は、まずはイベント会場の下見をするためにスタッフを集めてダンジョン攻略に挑むのだとか。ちょうど参加するスタッフたちはまだダンジョンをクリアしてないそうだから……と、いうことを昨日の学校の帰りに知らされた。
ちなみに、いつの間にか俺はイベントスタッフの一人に任命されていた。……まぁ、何となくそんな気はしていたけどね?
「他のヤツらは向こうに着いた時に紹介するよ。ダンジョンは個別サーバーになるし、どちらにしろこの人集りじゃ集合できねえしな」
なるほど、そこは緑消の洞穴と同じなのか。
もしかして、ダンジョンは全部そうなのかな?
「ほら、PT申請飛ばしたぞ」
「あ、うん」
俺はウィンドウを操作し、それに承諾する。
すると視界の左に、四つプレイヤーの名前が出現した。リーダーのカイトが一番上で、その下に二人。『ゴウキ』、『ゲイタ』と名があった。
「うし、行こうぜ」
「あれ? PTの人たちと集合しなくていいの?」
「ダンジョンの中で会えるから大丈夫だよ」
「あ、そっか」
納得した俺は、先に進んでいったカイトの背中を追っていった。
▽
足を踏み入れた先は、霧の中だった。
入り口周辺はまだ薄いけど、奥に見える景色は真っ白で、他に目立つものといえば俺たちを囲むように立つ樹木と、辺りを照らし出す大きな松明のみ。ほんのりと明るくて、薄暗い。
「まさに迷いの森っぽ――ぃわあッ!?」
俺が叫んだのは、ぐわっ、と急に身体を持ち上げられたからだ。
な、何だっ!? 新しいMOBの能力か!?
「よう、元気そうだな嬢ちゃん」
……いや、違った。この声には聞き覚えがある!
後ろを振り返ってみると、すぐ側に、スキンヘッドの髪にMOBと間違えても仕方ない威圧感のある顔立ちがそこにあった。
「アニキさん!」
「おう。……今、失礼なこと考えなかったか?」
「そ、そんなことより、どうしてここに?」
ストン、と俺を地面に下ろした後、『ゴウキ』こと『スキンヘッドのプレイヤー』ことアニキさんは、説明をしてくれた。
「いや、な? 実は女性ものの水着について調べていたらよ。あの金髪兄ちゃんの記事を見かけたんだ。……いやぁ、感動したぜ」
……何で女性ものの水着なんか調べていたんだろうか。
いや、そこは気にしないでおこう。
それよりも、聞きたいことが一つあった。
「アニキさんたちは、ハナビさんの旅に付き合うんじゃなかったでしたっけ?」
ゲイルたちが彼女をいつも狙っているので、護衛としてアニキさんたちが側につくことになったんだよな。
それはそれは激しい攻防戦を繰り広げていると、楽しそうにハナビさんが語っていたっけ。
……だからこそ、一人でも欠けると辛いんじゃ?
「ああ、姉さんはビルディックを細かく見たいそうでな。今はゆったりと観光してるよ。だから今日は協力しに来たわけさ。あ、別のグループにも当選した仲間たちがいるぜ」
「おお、心強い」
アニキさんたちは凄まじいプレイヤースキルを持っているから、戦闘面は心配いらないだろう。
カイトも戦闘狂だしね。
「――すまない。そろそろ良いだろうか」
声が一つ。
聞こえてきた方向である横に顔を向けると、そこには黒い髪を七三分けにしたプレイヤーの姿が。
性別は男。歳は俺やカイトと同じくらいかな。
どこか頭の良さそうな印象のある彼は背も高く、カイトと同じ百七十センチ後半くらい。
くいっ、とまるでメガネを持ち上げる動作を見せてから、彼は言う。
「僕はゲイタ。君がゼン君だね」
言い終えるとゲイタは、再び鼻の上に指を押し上て、見えない何かを押し上げ始める。
もしかして、リアルだとかけているのかな?
「カイト君から聞いているよ。今日はよろしく」
「うん、よろしく! ……えっと、君も水着で検索してカイトのブログを見つけたの?」
「実はそうなんだ。でも勘違いしないで欲しい。僕は男用の水着を調べていたんだ」
……良かった。というか、さすがにそんな誰しもが水着を調べているわけないよね。それも自分と正反対の性別のものを。
そうだ、アニキさんが可笑しいだけなんだ。
「そっか、改めてよろしくね」
「ああ」
ぎゅっ、と両手で握手を交わす。
良かった良かった。普通の真面目そうな人だ。
「………………」
「………………」
「………………」
「…………あ、あの」
「どうしたんだい?」
「……そ、そのー。手を……」
……そろそろ、離して欲しいんだけど。
それに、ジッと真正面から見続けられているのも、何というかムズムズする。
「おっと、すまなかった」
それから数秒後に、ゲイタは手を離してくれた。
いやぁびっくりした。握手って普通、あんなに長く交わすものだったっけ……? それに、何でこんなに寒気がするんだろう。もしかして、迷いの森の気温が低く設定されてるのかな?
「そいつ、俺たちとタメらしいぞ」
そう考えていると、カイトが歩み寄ってきた。
「歳が近いってのもあって接しやすくて、それに中々頭が切れてな。俺たちって脳筋だろ? ここは謎解きもあるしPTに加わってもらったんだ」
「俺も脳筋じゃないけどね」
「そうだな。ただのお荷物だ」
「ひどいっ」
も、もう少しオブラートに包んで欲しい!
「つまり、君は頭脳派なのかな?」
そう質問してきたのは、ゲイタだった。
頭脳派、か。……う、うーん。まぁ戦うよりは。
「そう……か、も」
「なるほど。それじゃ僕と同じだね」
そう言い、くるり、とゲイタは振り返る。
スタスタと、そのまま森の奥に向かって歩いて、
「……同じ……ふふ、同じか……」
その際に、何かを呟いていたような。
静かに笑っていたような。
彼は普通の人……なんだよね? そうだよね?
半ばそう祈りながら、俺は離れていくゲイタの背中を見つめていた。




