26.最後の砦
横のカーテンの隙間から見える青空はオレンジに変わり、黄金の雲がその中を浮遊していた。
この世界ではもう数十分で景色は夜に変わるだろう。現実時間はゲイルのお陰……というのはなんか癪だけど、ダンジョンは短い時間で突破できた。
現実時間は五時半過ぎ。まだ時間に余裕はある。……あるんだけど。
一難去ってまた一難。
そのことわざを思い浮かべるしかない。
「逃がすかよ!」
後ろから聞こえてくるのは、荒々しい怒号。
カーテンを開けてみると、その先には中でもリーダー的存在であるマントのプレイヤーがこちらに向かって駆けてくる姿がよく見えた。
ちなみに彼は先ほど、最初に荷台のカーテンを開けた人物だ。先ほど小声で話しかけてきてくれた二人のプレイヤーたちを難なく蹴散らし、現在まで馬車を追いかけ続けている。
今はちょうど大きな坂道を下っているのでスピードが出ているが、これが終わったら……。
「……あまり、乗り気はしないけど」
隣のハナビさんが、静かに弓矢を手に取った。
恐る恐る立ち上がり、構えを取る。
「ごめんなさい!」
謝罪と共に、ヒュッ、と矢が放たれた。
真っ直ぐに飛んでいく矢は、ブーメランと比べものにならないくらいに凄まじい速度を見せた。
そしてその先には、敵の額が置かれている。
「ふっ」
だが、マントのプレイヤーは首を捻って、容易く回避をしてみせた。足の動きを止めることなく。
……き、恐怖とかないのか? 弓矢を向けられて、実際に矢を放たれて……俺だったら確実に足を止めてしまうと思う。
「低いスキルだな! ンなもん当たるか!」
不敵な笑みを浮かべ、マントは駆けてくる。
……ここで、坂道は終わってしまった。
マントのプレイヤーはさらに笑顔を強くさせると、体制を低くさせて勢いよく突っ込んでくる。
ラストスパート、と言いたげに。
そしてヤツは、馬車の荷台に到着――
――する、直前だった。
「ぶあ、あッ!?」
マントのプレイヤーが、足を滑らせたのは。
運が悪く斜面を駆けていたため、ヤツは叫び声を上げながら凄まじい速度で転がっていく。
やがて止まったのは、荷台の目の前だった。
だが、マントのプレイヤーは立つことができず、無慈悲にも馬車はゆっくり距離を取っていく。
その情けない姿を見ていると、ヤツの後方……先ほどの坂道でキラリと光るものを確認できた。
あれは……氷、か?
ちょうどマントのプレイヤーが通っていた道だったし、あれに足を滑らせたのかもしれない。
それに気づくと、馬車が動きを止めた。
「いやー、間に合った、か?」
聞き覚えのある声が一つ。
「ギリギリでしたけどね。君がもたもたしていなければ、もっと危なげなく済ませられたんですけど」
もう一つ。
「はぁ? 元はと言えば、俺に買い出しを頼んだお前の責任だろ! 俺は街の中なんざ探険してねえんだ……場所が分かんねえっての!」
「あーヤダヤダ。これだから戦闘狂は……戦うことだけしか考えてないんですから。もっと周りの風景に目を向けてみなさい」
「あぁ? 戦いこそこのゲームの楽しみだろ!」
「観光こそこのゲームの楽しみです!」
うん、あの二人で間違いないな。
「カイト。ナギ……?」
そう尋ねると、二つの声はぴたりと止まった。
やがて、荷台の入り口のカーテンが開けられる。
「おう! 無事かゼン?」
「無事でしたか……良かった」
やはり、幼なじみとその幼なじみの姿があった。
その姿を確認して、やっと肩の力を抜くことができた。
……実は、馬車に乗り込んだ少し後、二人に現状を伝えていたのだ。そうしたらすぐに駆けつけてきてくれると、そう返してきてくれた。
ちなみに、どちらも全く同じ返答だった。
「……ッ!」
と、急に青銅の鎧を着込んだカイトが、びくり、と身体を震わせた。
硬直する彼の視線の先には、ハナビさんがいた。
「……めっちゃ美人……ごぉふッ!」
カイトの身体がくの字に曲がる。
隣から肘が飛んできたからだ。それも力強い。
「な、何すんだ暴力女!」
「君の顔が気持ち悪かったからですよ。……何ですかデレデレ鼻の下伸ばしちゃって……わたしにだって……」
「あ? 何だって?」
「何でもないです! この変態!」
「は、はぁ!?」
「……もしかして、さっき呼びかけていた?」
ハナビさんが、小声で尋ねてくる。
「は、はい。フレンドです」
「ふふ、面白い人たちね」
楽しそうに微笑むハナビさん。
……だが、和んでいる暇はなかった。
「お前らは……あの時の……!」
ぐぐ、と立ち上がるマントのプレイヤー。
カイトとナギは、すぐに口喧嘩を止めた。そして表情を真剣なものに作り変える。
「何だ一人かよ。緑色の髪したヤツはどこだ?」
「はっ、お前ら如きが敵う相手じゃない……」
「別に誰でもいいです。あの時の屈辱は忘れませんから」
そう言い、ナギは杖を。カイトは戦斧を構えた。
二人は攻撃を開始する前に、こちらを振り返って、
「ここはわたしたちが引き受けました」
「後は任せとけ」
同じタイミングで、グッと親指を天に突き立てた。
その息の合った行動に、ムッとまた表情を険しくさせる二人だったが、もう罵倒が飛び交うことはなかった。
視線を敵に戻し、じりじり、とマントのプレイヤーとの距離を詰めていく。
そして、馬車もまたゆっくりと動き始めた。
「二人ともありがとー!」
「あ、ありがとうございますー!」
感謝を告げた直後、馬車は本来の速度に戻った。
……二人とも、本当にありがとう。
▽
六時になり、景色は闇夜に飲み込まれた。
そして、馬車は無事に山を下り終えた。
「ハナビさん、アレです!」
入り口とは反対側のカーテンを開いてみせると、その先には巨大な建物たちの姿があった。
「わぁ、大きい……!」
「中央辺りに中でも飛び抜けて大きい建物があるでしょ? あそこから花火を見るんです!」
「わぁ……! わはぁぁ……!」
子供のように瞳を輝かせるハナビさん。
ここまで苦労したんだ。めいいっぱい楽しんでもらわないと! そして俺も楽しむぞー!
「…………あら?」
そこで、ハナビさんは首を傾げた。
ある一点に注目したままで。
俺も続くように、その方向……ビルディックの正面に目を向ける。都市から放たれるライトによって遠くまで見渡せるため、すぐにその正体を理解することができた。
そして……
「……なん、で……」
俺は目を見開き、掠れた声をこぼすしかなかった。
視界の先に映っているものは、一人の男性プレイヤー。地面に腰を下ろしており、整った顔を不気味な笑顔に変えていた。
短い緑色の髪に、紺色の忍装束のような衣服。獲物であろう二本の長剣を掲げ、月の光を反射させていた。
「何で、あそこにいるんだ……?」
それは……ゲイルで間違いなかった。
でもヤツは、さっきまで山頂に……!
だが、考える時間はなかった。混乱している間に馬車は進んでいき――やがて動きを止める。
「おや、こんにちはプレイヤーさん」
NPCの問いに、何も返答はない。
軽やかな足音だけが荷台の脇を通り抜け、
「ばぁ!」
入り口から、そのプレイヤーは顔を出した。
「……どうして、ですか?」
思わず、そう口から言葉がこぼれ出す。
それだけで意味を理解したのか、良い笑顔を作りながらゲイルは答えた。
「俺さぁ、そこの街の宿屋に泊まっていたのよん。だからね〜? 自害がしたわっけー」
「自害……?」
「そう。こう自分の剣でお腹をブサリぃとね〜」
言いながら、剣を腹部に突き刺すようなジェスチャーを取り始める。
……そうか、宿屋はセーブポイントになるんだ……! HPがゼロになれば、そこで復活することに……。
「――残念だったねぇ」
ゲイルの瞳が、鋭く変化する。
表情は相変わらず笑顔だったが、何だか不安にさせるものを感じ取れた。
「そう簡単に逃がすわけないっしょ〜。……でも正直ビビったぜぇ。二人だけでここまで来ちゃうなんてさ〜。ウサギちゃんは良いお友達をたくさんお持ちなんだぁ〜ね」
「それはどうも……」
「んーでさ? お二人はイベントに行こうと思っていたりするのぉん?」
「だったら……?」
瞳を鋭くさせ、僅かな対抗心を見せながら俺は尋ねる。
「そっかそっかぁ。イベントを見にいくのかぁ」
ゲイルは特にそれは気に留めず、嬉しそうにケタケタ笑った。
やがて、ふぅ……、と一息吐くと、
「ねえ美人さん? 花火たのしみ?」
俺の背後にいるハナビさんにそう尋ねてきた。
ハナビさんは、少し怯えながらも、
「凄く……楽しみなんです。お願いです! どうか……花火が終わるまで待っていただけませんか? その後でしたら好きにしていただいても構いません!」
「ふぅ〜ん」
ゲイルはそう呟くと、質問を続けた。
「そんなに見たいの?」
「はい……!」
「ど――――――ぅ、しても?」
「どうしてもっ! だから……お願いしま」
「――じゃあ、ダメぇッッ!!」
大声で言葉を遮られたハナビさんは、びくりと身体を震わせた。
表情から柔からさが消えていく。
「……おっ、ほぉ……!」
対して、ゲイルは表情を綻ばせた。
「そうだよぉ! その顔ぉっ! 強気な顔がそうなるのも良いけど、やっぱり笑顔が変わるのが一番良いぃ!」
下劣な笑顔を作り、ゲイルは裏返った声で言葉を続ける。
「そんなに大事なことならさぁ〜……台無しにしちゃったらぁ……どんな顔を見せてくれちゃうのかなぁ……どう変わっちゃうのかなぁ……ん?」
そこで、ゲイルは額に眉を寄せた。
理由は俺が立ち上がったからだろう。そして、そのままスタスタとゲイルの前まで歩き、その横を通り抜けて荷台の外に飛び出したからだろう。
「う、ウサギさん……?」
荷台の奥から、ハナビさんが心配そうな顔を見せる。
だから俺は、大丈夫、と笑顔で返した。
「ん〜? どしたぃウサギちゃん。……ひょっとしてビビっちゃったかにゃぁ?」
「そうですね……怖いです」
俺は笑顔のままそう言葉を返すと、しまっていたブーメランを引き抜いた。
その姿に、ぴゅぅ、とゲイルが口笛を吹いてくる。
「怖いですよ……ハナビさんがあの街にたどり着けないなんてことになったら!」
「わぉ、勇敢だぁね。やっぱり女の子じゃないことが勿体無ぁ〜い」
ケタケタ、とまたゲイルは笑った。
俺はそれを無視して、ハナビさんに顔を向ける。
やっぱり、心配そうな顔のままだ。
だから俺は笑みを絶やさずに、
「ハナビさん……」
こう、告げた。
「――花火、楽しんできてね」
言い終えた直後、足に体重を乗せる。
ギュルッ、とそのまま力強く身体を回転させ、その勢いを利用して思い切りブーメランが握られている右腕を――
「……ッ!」
何か嫌な予感を覚えたのか、ゲイルは早急に俺を切り裂こうと手元の剣を振り上げる。
だが、俺がその右腕を『足元』に振り下ろす行動を止めることはできなかった。
――ドグォッ!!
巻き起こった暴風が、全てを吹き飛ばした。




