22.ゆっくり語らい②
ハナビさんに聞いたところ、粉末飲料はコーヒーだけでなく、色々と種類があるらしい。
彼女が新たに用意してくれた革袋には『ココア』の粉末が入っていたのだ。
それとコーヒーにも『もか』とか『まんでりん』とか様々な種類があって、俺が先ほど口にしたのは中でも苦味が強いものらしいとか。
甘いココアをぐびぐび飲みながら聞いていると、あっという間に別れの時間となった。
「じゃあまたねウサギさん。明日も迷惑かけちゃうかもだけど……ごめんなさい」
「いえいえ全然ですよ。むしろ今日はハナビさんのお陰で助かりましたし、こちらこそ迷惑かけます。……それじゃ、また明日!」
すっぽりと寝袋で身体を覆ったハナビさんにそう言うと、俺は立ち上がった。
続いて、アイテムポーチからバックパックを取り出して身につける。そしてこの場から離れようと、
「……ね、ウサギさん」
そこで小さな声が耳に届いた。
見れば、まだハナビさんはログアウトをしていなかった。それどころか再び上体を起こし始める。
「一つ聞いてもいい?」
そう尋ねてきた彼女の表情に、笑顔はなかった。
「は、はい。どうぞ」
思わず吃りながら答えると、ハナビさんは「ありがとう」といつもの笑みを見せた。
そして、静かにこう告げてきた。
「……迷惑って言葉は、不愉快かしら……」
「え……?」
質問の意味が分からず、俺は目を瞬かせるしかなかった。
ハナビさんは何気なく手元のマグカップを横に回しながら、言葉を続ける。
「わたし、昔から人の手を煩わせて生きてきたから申し訳なくて、申し訳なくて……気がつけば助けてもらう度に『迷惑だよね』って言葉を返すようになってたの。今はそれがすっかり定着しちゃって……相手の気持ちも考えずにね」
考えてみれば、俺も何度か言われた気がする。
理由は、そのためだったのか……。
「多分……多分ね。そう言っちゃうのは、相手の気持ちを知りたいからだと思うの。嫌々わたしの世話をしてくれているんじゃないかって。……そんなことを知ったところで何にもならないのにね。『そうだよ!』って本心をぶつけられたらショックを受けるだけなのに……この身体じゃ、無理をなさらないでください、とも言えないのに……」
そこまで言って、ハナビさんはハッとした。
焦った様子で、ブンブンと両手を振って、
「ご、ごめんなさい! わたしったら何言ってるのかしら本当に……い、今のは気にしないで?」
「……ありがとうって」
「え?」
「ありがとう、って返すのはどうでしょうか」
「あり、がとう……?」
首を傾げるハナビさんに、俺は言葉を続けた。
「俺も人に迷惑をかけることが多いんです。……情けないけど、リアルでも背が小さくて。高いところに手が届かなかったり、加えて力もなくて。重い荷物を一緒に運んでもらったりするんです。そんな時、俺は相手に『ありがとう』って感謝すると、そう思います」
「感謝……そうね。でも、相手の気持ちが気にはならない? もしかしたら心の中では怒っていたり、恨んでいるかもしれない。そんな時に『ありがとう』と伝えても、心に響くことなんて……」
「――響きますよ」
自然に、そう返答がこぼれ出してしまう。
よ、よく即答できたものだ! 確信もないのに!
「あっ。え、ええと……」
と、とにかく理由を答えないと。
「そ、その……俺の家、両親の帰りが遅くて。ほぼ毎日、家事は俺がやっているんです。……こう言える立場じゃないことは分かっているんですけど……自由な時間が限られちゃうので、迷惑だな、ってそう思ったことがたくさんあって。……でも、帰ってきた両親に『いつもありがとう』って、そう言われると……嬉しいんです。嫌な気持ちなんか全部吹き飛んじゃって。だから、感謝の言葉って心に響くと思うんです。……もし仮にその時、『迷惑だよね』なんて確認を取られたら、俺だったらカッとなって怒っちゃうかも……」
「…………」
「あ! 別にハナビさんが悪いと言いたいわけじゃないんです! これは俺の考えであって……ハナビさんに関わりのある人はそう考えてはないかもしれないし! むしろ感謝の言葉が逆に相手を怒らせてしまう可能性だってあるし! ご、ごめんなさい! 生意気なこと言って……」
「……ううん、そっかぁ。そうなのね」
慌てふためく俺と対照的に、ハナビさんは微笑んだ。
「ごめんなさい。急に変な話を始めちゃって」
「い、いえ! 俺もベラベラ好き放題に言っちゃったし……」
「ううん、あなたは何も悪くないわ。……わたしったら気を遣わせちゃって、迷惑を――」
そこでハナビさんは、言葉を止めた。
深く深呼吸を繰り返し、暗い表情を元に戻す。
そして、
「いえ……お陰で元気が出ました。ありがとう」
こちらに、優しく微笑みかけてきた。
だから俺も、笑顔で答えた。
「どういたしまして」
「ふふ、明日もよろしくね。ウサギさん」
「任せてください! 絶対、一緒に花火を見ましょう!」
「ええ。……楽しみだなぁ……ふふっ」
最後にハナビさんは、嬉しそうに笑った。
▽
ここは、ビルディックの側にある山の中腹。
特に木々の数が多いこの場所で、複数のプレイヤーがその陰に身を隠していた。
「……ん〜、四十点、だぁーねえ……」
その中で一人、木の上に登っていた短い緑色の髪の男が、つまらなそうにそう呟いた。
彼の手には双眼鏡が握られており、覗き込んだ先には女性プレイヤーの姿があった。
「こっちは五十二……おっ。アレは……いや、五十五が妥当かにゃぁ〜」
退屈そうな男が見る先は、崖を隔てた先。
緑消の洞穴と呼ばれるダンジョン、その周囲だ。
「ゲイルさん、どうですかー?」
下からの問いに、ゲイルと呼ばれた緑髪の男は首を横に振った。
「はっずれー。この前の強気そーな女の子みたいなの、またいないかしらん」
「あれ可愛かったですねぇ。男連れでしたけど」
「ひゃはっ、その方が美味しいっしょ〜」
ゲイルはそう言うと、下劣な笑みを浮かべた。
『おおっ! めっちゃ可愛い子がいる!』
直後、だった。下が盛り上がり始めたのは。
『崖の側だ! ほら見てみろよ!』
『……うほっ、マジだ! 二人もいるじゃん!』
『何かウサギみてぇだな……あの嬢ちゃん』
「……ウサギ?」
額に眉を寄せ、ゲイルは再び双眼鏡を構える。
崖の側を見ると、確かにそこには銀髪と赤い瞳の可愛らしい顔立ちの少女が立っていた。……だが、ゲイルはその人物の正体を知っていた。
「お前らにざーんねぇんなお知らせ。……あの子、男だぜ〜」
その言葉に、下から笑い声が起こる。
酷いジョークだ、そんなわけがない、など。
だが、双眼鏡を覗くゲイルの表情を見て、それらはすぐに収まった。
ツマラナイ、そう言いたげな顔を。
「だから可愛いけど例外、0点。興味な――」
そこでゲイルの言葉は止まった。
見て、しまったからだ。
それはウサギではなく、彼の目の前にある寝袋に身体を入れたポニーテールの美女。
その、優しい笑顔を見てしまったからだ。
「……ひゃ、は」
ゲイルの口元が、大きく緩む。
「はは、は……」
そこからこぼれ出した微かな笑みは、やがて勢いよく開かれた口によって、
「ヒャハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
不気味な爆笑に変化した。
「いた! 見つけたッハァ! 見つけちったァ!」
身の毛がよだつような笑顔を作り、ゲイルはその場で飛び上がるようにして立ち上がる。
身に纏っていたマントを乱暴に振り上げ、出現させていた二本の長剣を露わにさせた。
片方、右手の剣を獲物がいる崖の側に向け、
「ひゃぁああァァくてえぇんまんてぇぇん!!」
唾液を撒き散らしながら、そう言い放つ。
月光に照らされた剣先が、ゲイルの表情を真似するかのように、不気味に光り輝いていた。




