21.ゆっくり語らい①
その後は特にMOBに襲われるような事態にはならず、緑消の洞穴付近までたどり着くことができた。
この前は気づかなかったけど、このダンジョンの周囲は安全エリアに設定されているようで、MOBが出現することはなかった。……それ以前に、たくさんのプレイヤーたちの姿があるから問題ないか。
そんなことを考えながら視界上部に視線を集中させる。【17:31】とそこには表示されていた。
「この時間でダンジョン、クリアできるかしら」
「う、うーん……ちょっと厳しいかもですね」
この前、俺が挑んだ時は、ひたすら走っていたのでそれほど時間はかからなかったけど、ハナビさんは素早く移動ができない。
「多分、短くても三十分以上は経っちゃうと思います。明日ってログインできますか?」
「ええ。夕方くらいからなら大丈夫」
「夕方……」
となると、午後の四時〜六時の間くらいかな?
イベントは八時からだから……うーん。
「え、ええと……厳しい?」
「あ。いや全然大丈夫ですよ。ただーー」
「ただ?」
目をぱちぱちと瞬かせるハナビさんに、俺は告げた。
「正直、このダンジョンは二人じゃ厳しいです。イベント開始時刻までにビルディックに到着するには、他のプレイヤーの力が必要になるかなって」
「それって……PTを組むってこと?」
「はい。……あ。だ、大丈夫です! 俺が声をかけてみますから!」
不安そうな顔をするハナビさんにそう言うと、
「……ごめんなさい。迷惑かけて」
俯きがちに、彼女は低い声で答えた。
「ぜーんぜんです! ……でも、そんなに自分から声をかけるのが苦手なんですか?」
「う、うん。変に緊張しちゃって……」
「……あれ? でも初めて会った時……」
あの時は確か、ハナビさんから声をかけてくれたんだよな。
明るい人だと、そう印象が伺えたんだけど……。
そう茶屋での出来事を思い返していると、ハナビさんは「うーん」と少し悩む素振りを見せて、
「ウサギさんは、ほら……ウサギさんだから?」
「え、ええと?」
「ふふ、何だか安心感があったの。この人は怖くない、大丈夫だって。実は初対面の相手にああやって自然に声をかけられたのは、今までで初めてなのよ? ……あなたは本当に優しい人なのね。心の優しい人は一目見て感じ取れるものだから」
そう言い、ハナビさんは微笑んだ。
……な、何だか凄く照れくさい。
「じ、じゃあ。時間もじ、かんですし……そ、そろそろ……」
「ふふ、可愛い。ウサギさん」
「くぅ……」
熱を持ち始めた顔を冷まそうと、手をうちわ代わりにして扇ぎながら、辺りを見渡す。
比較的プレイヤーが少なくて、エリアの中で、ある程度に広い場所……あそこだ!
俺はハナビさんを、初めてこの場所を訪れた位置……崖の側まで案内する。ヘマをして落ちないように保護されているし、ここをセーブポイントとしても問題ないはずだ。人も少ないし。
「あれ、ウサギさんは?」
足元に皮の寝袋を出現させたハナビさんは、ウィンドウを開かない俺に対して、そう尋ねてきた。
「あ、俺はもう少しここにいるつもりで……」
「そっか。それじゃお先に……あ、そうだ!」
ハナビさんはそこで言葉を止めると、下半身を寝袋に入れた状態で、ウィンドウを開いた。
やがて、彼女の手元に革袋が一つ出現する。
「それは?」
「コーヒー粉よ。いつもログアウトする前に作っているの。広大な景色を眺めながらの一杯。ずっと夢見ていた瞬間なの……」
「おおっ、分かります! 綺麗な景色を見ながらの一杯! 俺もずっとやってみたかったことなんです!」
あの旅番組のように!
「あら、そうだったのね。それじゃウサギさんもどう? 今から準備するから」
そう言うと、ハナビさんは初期調理キットを出現させる。そしてもう一つ……
「……鍋?」
そう、それは鍋だった。
確か初期調理キットには含まれていない道具だ。
……でも、何で鍋を?
「始まりの街で見かけたから、つい買っちゃったの。少し手間はかかるけど……これを使えばコーヒーを作ることができるわ」
「へえ〜……あ!」
そこで俺は、ある事を思い出した。
不思議そうに首を傾げるハナビさんに答えるため、俺は素早くウィンドウを開きアイテムポーチを開く。
「あっ……!」
ここで、俺はある事態に気づく。
ポーチをびっしりと埋め尽くすアイテムたちを確認して。
……そうだ、すっかり忘れていた。『バックパック』の存在を。
バックパックをアイテムポーチに収納すると、その際に入れていたアイテムがポーチの中に溢れてしまう、というシステムになっているんだった。バックパックを一番として入れた順に二番目三番目とアイテムポーチの中に表示される、といった感じで……。
不思議そうな表情を続けるハナビさんに早く答えるために、俺は必死に目を動かす。
そして、ようやく目当ての物を見つけた。
「こ、コレの出番!」
言いながら同時に、ぽん、と。
手元に出現させたのは、緑消の洞穴で入手した宝箱――の中身。
つまり、コーヒーメーカーだ。
「わ。もしかしてそれ、コーヒーメーカー? 凄い、そんな物まであるのね……」
「はい。これならすぐにできると思いますよ」
俺は革袋をハナビさんから受け取ると、袋の状態のままコーヒーメーカーに押し当てた。
【『マンデリン』を使用しますか?】
説明欄に書いてあったのだが、これは料理や調合のように細かい操作は必要ないらしい。ウィンドウによって飲み物を作り上げることができるとか。
……それにしても、まんでりん? って何だろう。
コーヒーはコーヒーじゃないのかな……。
疑問を覚えながらも、俺はウィンドウからの質問に答えていく。……ええと数は二人分で……。
やがて切り変わった画面に【スイッチをONにしますか?】と書かれていたので、YESを選ぶ。
すると、備えられていたマグカップに飲料が注がれ始めた。一定時間が経つと、活動は止まった。
コーヒーの入ったマグカップを手に取ると、新たなカップが出現し、再び注がれていく。
「はい。どうぞ」
マグカップの一つを、ハナビさんに渡す。
「ありがとう」
ハナビさんはまず香りを楽しんだ後、表情を綻ばせながら、コーヒーを口にした。
「……うん、美味しい」
その感想を聞いて、俺もまた飲もうと――おっと、そうだ。
俺は憧れの旅番組、その締めの光景を脳裏に浮かべると、崖の側に足を進めていく。
眼前には聳え立つ都市に、星々が瞬く夜空。現実にあれば、間違いなくこの場所で一杯を頂くだろう。
俺はその姿をしっかりと視界に収めながら、コーヒーを口に運んで、
「――んぐぐ、ぇふォッ!」
思い切り咳き込んだ。
そのまま地面に膝をつき、ぷるぷると震え出す。
「あがががッ……がががが……!」
俺が悶えている理由は、コーヒーの味だ。
――苦いッ!!
ほ、本当に苦ッ! こんな苦、にがいにがい!
……もう思考に『苦い』という言葉しか浮かんでこない。こ、コーヒーってこんな味なの!?
実は、口にするのはこれが初めてだったりする。多少苦いということは理解していたつもりだけど、こんなにも……!
「だ、大丈夫!?」
あたふたとこちらを心配するハナビさん。
「……そ、そうだわ!」
彼女はもうウィンドウを開き、すぐにまた別の革袋を手元に出現させた。
側に置かれたコーヒーメーカーを操作し、飲料をマグカップに注いでいく。その色は黒ではなく、茶といった方が正しかった。
「ウサギさん、おいで?」
手招きに従って、俺は地面を這い蹲りながらハナビさんの元に寄った。
「ほら、これ飲んでみて?」
そう言い、カップを手渡しされる。
でも俺は湯気立つそれに顔を寄せることができなかった。……だって苦いし! 凄く苦いし!
「大丈夫よ。ほらどうぞ?」
笑顔で促され、俺は覚悟を決めた。
コーヒーにしてはまろやかな色をしていることに、さらに嫌な予感を覚えながらも口に運ぶ。
そして俺は、またも暴れ出す――
「――甘い!」
ことはなく、瞳を輝かせていた。




