1.初ログイン
空気に、匂いがある。
周囲から耳に入り込んでくるノイズはやがて鮮明に聞き取れるようになり、それらが人の声だと判断することができた。
反射的に、俺ことゼンは閉じていた瞼を開く。
「わぁ……!」
そして、自然と口から歓声がこぼれ出した。
眼前に広がる景色に驚愕しつつ見惚れてしまったからだ。
連なるレンガ造りの建物たち。石畳の地面。四方に設けられている巨大な通路には露店が置かれ、その間を鎧に身を包んだ大男やローブを着込んだ女性、荷台を運ぶ馬車の姿などがあった。
それらはどう見ても、俺の住む日本の風景とは遥かに異なっていた。
やはりサービス開始初日だということもあって、俺のように周囲の景色に見惚れているプレイヤーたちの姿がよく見られた。
次に、視線を落として服装を確認する。
身につけている衣服は先ほどまで着込んでいた高等学校の制服から一変し、いかにも初心者用の装備である皮の衣服とパンツだった。
「ついに来たんだなぁ……」
ワクワクといった興奮よりも、感動を強く覚えてしまう。
誰もが望んでいた、実際にゲームの世界に入り込む技術を実際に体験して。この時代に生まれてきて良かった、そう染み染みと。
「……ん?」
不意に、こめかみ辺りに違和感を覚えた。
何だか地味にくすぐったい……。
触れてみると、それは雪原を連想させる銀色の髪だった。……けど可笑しい。髪の色は合っているけど長さが違う。こんなに伸ばしてはいないはずだ。
慌てて俺は辺りを見渡し――後方に噴水を見つけたので、急いで覗き込んでみた。
「……うっ……」
そして、表情を怪訝に作り変えた。
だってそこに映る自分の姿は……自分じゃなかったからだ。
肩の辺りまで垂れる銀色の髪に、深紅の瞳。ここまでなら髪の長さ以外は現実と大差ないが……。
水面に映るのは妖艶さを醸し出す長い睫毛、顔立ちは柔らかく変化し……女顔になっている。加えて百六十センチ手前と男子高校生の身にしては低い身長から、男とは言えない姿に見えてしまう。
……確かに知人や家族から『女の子みたい』とよく言われるけど、幼い頃はよく女の子と勘違いされて生きてきたけど!
これは……自分の姿を意識していなかった自分でも分かる。うん、少女だ。水面からこちらを見つめているのは紛れもない少女だ。
それに、肌がさらに白くなっている。髪、瞳、肌の色合いからまるで『ウサギ』のようだ。
「……参ったなぁ」
そう呟き、ため息を吐くしかなかった。
このゲームはキャラメイク設定が存在しない。事前に登録した自身の写真を元に作成される。まだシステムは正確とは言えないそうで、容姿に多少誤差が出てしまうことがあると取り扱い説明書に記載されていたけど、これはどう見ても多少じゃないよなぁ。……ないよね?
……でも、俺の現実での容姿を理解している人から見たら、多少の誤差なのかもしれないし……。
「ま、いっか」
だから、うん。気にしないでおこう。
見た目はアレだけど、身体はちゃんと男だ。胸元に膨らみなんてないしお尻もさほど丸くない。
それに、女性プレイヤーの装備はパンツじゃなくスカートだ。どうやら性別に誤差はないらしい。あったらそれこそ困るけど。
「よし……行くか」
頬を叩き(痛覚は存在しない。代わりに微弱な衝撃が発生する。これは実際にダメージを負った時にも適用される)気を取り直すと、俺は街の中の探検を始めた。