始まりの日
とある中世の時代。
色の名を与えられた王国があったという。
四季を問わず桜が咲きほこる【薄紅ノ国】。
伝統芸能を重んじる【黄ノ国】。
エメラルドを多く産出する【緑ノ国】。
一年を雪に覆われた【白ノ国】。
海に囲まれ、酪農の盛んな【青ノ国】。
大商人が多く集まる【赤ノ国】。
そんな赤ノ国のとあるお屋敷は、何だか騒がしかった。
【ガッシャーーーーン!!!!】
「お嬢様!!何をなさるのですか!?」
「うるさい!!何処の馬の骨かも分からないようなオッサンと結婚なんか出来るか!!!!」
「しかし、これは旦那様のお決めになられたことでございます!いくらお嬢様であっても、逆らうことは不可能です!」
「へぇ、不可能って思うんだ…?そう、それならば私にとってはむしろ好機!!こんなクソつまらない家、出ていってやるー!!!!」
風除けのマントを旅装束の上に羽織り、背には荷物を、腰にレイピアを携えて屋敷を飛び出す黒髪の少女。
馬を操りながら追手を軽々と躱し、得意げに振り返って笑う。
彼女の名は、ミリア・シーノ。
至って普通の、年頃の娘だ。
赤ノ国には、大規模な貿易商社が多く集結している。実は、ミリアは、それらを束ねる商業連合の総帥の娘なのだ。
何一つ不自由のない、快適な暮らし。「願えば全てが思い通りになる」というお姫様のような扱われ方。その辺りの街娘であれば、大喜びであろう。
だがしかし、ミリアは違っていた。
【「楽しむこと」と「楽をすること」は違う】
一族の異端でもあった鍛治職人の祖父にそう教えられて育ってきた彼女には、今までの彼女の暮らしは単調で、面白みのない物だった。勉強、楽器の習い事、舞踊の稽古、裁縫の手習い、料理の習得…と、詰め込めるだけの英才教育を詰め込まれたミリアにとって、生家はもはや地獄以外の何物でもなかった。
そんなつまらない日々の中で夢中になったのは、剣術と馬術の稽古だった。
祖父と、彼が可愛がっていた若執事に教わった剣術はメキメキと上達し、素性を隠して出場した闘技会で優勝を飾るほどまでになっていた。元々身体能力が高かった上に、センスが良かったのだろう。ちなみに彼女には弟がいるが、彼の剣術の腕前には触れないでおく。
……ともあれ、令嬢でありながら少年のように育ったミリアにとって、父や、自分を取り巻く環境、媚を売る存在は彼女を縛りつける枷に過ぎなかったである。「お飾り」、「人形」、「道具」……メイド達の手によって着飾らされて、「品位あるお嬢様」として父の隣に座る時間が何よりも苦痛でしかたがなかった。
そして、45も年の離れた男との縁談を持ち込まれた今回。
遂にミリアの不満が爆発したのだ。
ミリアの幼少期に剣術を教え、今回の家出を手引きした当時の若執事は、「むしろ、今までよく耐え抜いたと思います」と述べている。
屋敷から逃げ出し、愛馬を駆り立てる。早朝の街を2頭と2人が駆け抜ける。
「ミリア嬢!どこまで行かれるおつもりですか!?」
「全くもってノープラン!!」
「何ですと!?」
「まぁ何とかなるって!今は国境まで逃げ切るのが先!!」
「はぁ………御意」
ドカッドカッと蹄が地面を蹴る音が響く。少しずつ2人を追う追手の人数は減り、何とか全員撒いた頃には、隣国との境にある森の中に入っていた。
馬の息遣いと、木の上で鳴き交わす小鳥の鳴き声が混ざり、辺りの静けさを一層強調する。
ミリアと若執事は、顔を見合わせて笑った。
「ありがとね、ゼファ。付いてきてくれて」
「ミリア嬢に振り回されるのは、いつものことですから」
「またそんなこと言って…最近冷たくない!?(つД`)ノ」
「僕はずっとこんなんですよ…」
半ば呆れたように、それでもどこか楽しげにゼファと呼ばれた若執事が答えた。
「この森を真っ直ぐ進めば薄紅ノ国に入るでしょう。いつ嗅ぎ付けられるかも分かりません。今のうちにここを離れてください」
「…ゼファは来ないの?」
「まずは旦那様のお怒りを収めなければ。仮に免職されたら、ご隠居様の元にでも寄せていただきますので、ご安心を」
「……」
「不安、ですか?らしくもない」
「は、はぁ!?不安な訳ないじゃん!」
慌てて強がってみせるミリアの手をそっと握り、ゼファは言った。
「貴女なら大丈夫です。僕の自慢のお嬢様なんだから」
「…また、会えるよね?」
「もちろん」
その言葉に安心したミリアが微笑むと、ゼファも優しく微笑み返した。するりと手を離し、ミリアは前を向く。
執事でありながら、兄のような存在である彼との別れ。
心細さを誤魔化すように手綱を握り直すと、短く声を挙げ、森の奥……隣国の薄紅ノ国へと続く道を駆け出した。
ゼファは、見えなくなるまで、遠くなる背中を見つめていたのだった。
薄紅ノ国は、とにかく賑やかで広い。
流石に人通りの多い街中で馬に乗る訳にはいかないので、ミリアは愛馬から降りて手綱を引いている。
薄紅ノ国の人々は、白のような、クリーム色のような風除けを、シンプルなデザインの朱い旅装束の上に羽織る彼女を色眼鏡で見ることもなく、旅人として温かく迎え入れた。旅人に慣れているのだろう。尤も、ミリアはほとんど亡命者のようなものだが………。
街の人に勧められた食堂で料理を待つミリアのテーブルに、客らしき少年が相席を請うた。ミリアと同じくらいの年だろうか。もちろん、彼女は二つ返事で了承した。
「ありがとな。どのテーブルも満席でさ、困っていたんだ」
「いいって。食事は誰かと一緒の方が楽しいしね」
「俺はリキ。リキ・ザーイ。青ノ国から来たんだ」
「私はミリア・シーノ。赤ノ国の出身だよ」
「へー、シーノ……え?」
「?」
数秒、ポカンとした顔で固まるリキ。しかし突然立ち上がると、ミリアの顔を指差して叫んだ。
「シーノって…まさか【シーノ商業連合】の総帥の娘!?」
「え、何、何で知ってんの(白目)」
「商売やってる人間が知らんはずないだろ!!何で!御令嬢が!ここに!1人で!旅人の姿で!いるんだよ!?」
「だから、深い訳があるんだってば」
「早く国に帰れよ!!家族の人心配してんじゃねぇの!?」
「もうヤダこの人。全っ然話聞いてくれない」
まくし立てる少年と、顔色を悪くして頭を抱える少女。
何というか、シュールな光景だ。
そうこうしている内に料理が運ばれてきたため、論争は終結を迎えた。ミリアは取り分けたパエリアをリキに手渡しながら、ポツポツと亡命の理由を話した。その間、リキは言葉を挟まずに話を聞いていた。
「なるほど。そりゃ逃げたくもなるな」
「ご理解いただけて何よりだよ…疲れた…」
「悪かったって」
「こっちこそ」
「それで、これからどうするんだ」
もぐもぐと咀嚼していた物を飲み込んで、ミリアが考え込みながら答える。
「んー…旅を続けるか、仕事を探すかなんだよね…追手が来ないとも限らないから、下手に動けないし」
「もし居場所がバレたら?」
「やめてよ。想像したくない…」
「キャアッ!?」
小さくため息を吐くミリアの近くで、悲鳴が上がった。
薄桃色の服を着た(彼女も、ミリアと同い年くらいだろうか)18歳くらいの娘が、何やら抵抗をしていた。
「…チンピラに絡まれているのか」
「あーあー……年頃の女の子が、1人で行動しちゃダメだよ…」
「ミリア、お前は人のこと言えないからな」
「( 'ω')ふぁっ」
特にボリュームを下げることもせず、普通に食事と会話を続ける2人に、チンピラの矛先が向いた。
「おい、そこの赤い服の女ァ!!!!」
「…………あ、私?」
「その剣を寄越せ。そうすりゃ、この女は返してやるぜ?」
ミリアは、スプーンを置くこともなく言い放った。
「…え、普通にヤダ」
「「「「はぁ!?」」」」
「だってこれ、爺さんが打ってくれた大切な物だし。彼女には悪いけど、私には何の関係もないし」
「…ヘヘ…何だよ……結局、我が身可愛さに他人を犠牲にするのか…」
少女を後ろ手に拘束した男は、笑う。
「アハハハハハハハハハハハ!!!!傑作だ!そこの女が剣さえ寄越せば、お前は助かったのになぁ…?残念だったな、お嬢ちゃん。オレ達のアジトに来てもらうぜぇ」
「せいぜい楽しませてくれよなぁ、ハハハハハハ!!」
リーダーらしき男と、周りで囃し立てる仲間が笑い合う。
哀れな少女は、目を閉じて一筋の涙を流した。
恐怖、不安、諦めの混ざった表情で、彼女が静かに神に祈りを捧げようとした、
………………………………刹那。
「……ねぇ。誰も、【見捨てる】なんて言ってないじゃないか」
耳元で聞こえた女の声。
振り向く男の頬を、硬く重い拳が捉えた。
それは、間違いなくミリアが放った拳だった。
「………え…?」
「ほら、どうしたの?さっさと掛かっておいでよ。腰抜けさん達?」
「……ッ殺れ!!あの赤い服の女を殺せ!!!!」
戸惑う少女、笑顔で挑発するミリア、半狂乱の男。
リキは、ただ呆然と目の前の光景を眺めていた。
殴る蹴る殴る殴る蹴る殴る蹴る蹴る殴る蹴る蹴る蹴る殴る!!!!
ミリアは、休むことなく攻撃を繰り出す。
自分よりも小柄な彼女のどこに、あれほどのスタミナが秘められているのだろう。分からない。神様は理不尽だ、と思った。
そして、気付いた。
彼女の後ろで、ナイフを構える男の姿に。
「ミリア、伏せろ!!!!」
声に反応したミリアがその場に伏せると同時に、彼女の背後にいたの顔面に、石像がヒットした。
中々に重量のありそうなそれは、もちろんリキがぶん投げたもの。
「…やるじゃない」
「お前もな」
それからのコンビネーションは、まさに圧巻の一言に尽きる。あっという間にチンピラの群団を制圧し、縄で拘束してしまった。
やいのやいのと褒めそやされ、何となくくすぐったい気持ちの2人に、先程の少女が話しかけた。
「ねぇ、さっきは、助けてくれてありがとう」
「…ん?あぁ!気にしなくていいんだよ!大丈夫だった?」
「ええ!」
「少なくとも2人くらいで行動しろよ。いつでも助けてもらえる訳じゃない…」
「ご無事ですか、王女!!!!」
「あ、カイヤ!うん、大丈夫だよー。この人達が助けてくれた!」
リキの話を遮って叫んだのは、たった今しがた食堂に入ってきたであろう少年。全速力で走ってきたのか、肩で荒く呼吸をしている。彼のループ・タイの装飾を見て「(高品質のアベンチュリンを使っているな…)」と品定めしてしまうのは、商人血が流れているミリアにとって、しかたのないことだった。
「「(………え、ちょっと待て。今この男何て言った?)」」
「あの…」
「ッはい!?」
「俺はカイヤ・ギルオレード。彼女の使用人です。この度は、薄紅ノ国第一王女・カンナ・ヴェルクレイア様をお守り頂き、心より厚く御礼申し上げます」
「「( ゜д゜)オ、オウジョ?!」」
助けた少女が、実は一国の王女で。今その王女様の使用人?執事?に頭を下げられてて。
2人は思考を放棄した。
「ねぇカイヤ。女の子の方は、訳あって亡命して来ているんだって」
「……犯罪者…ですか?」
「まさか!家庭の事情みたい。王宮で匿えないかな?」
「…メイドは足りているし……」
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
ポンポンと進む話に、ミリアがストップをかけた。明らかに困惑した声音で、途切れ途切れに話す。
「あの…お気持ちは、めっちゃ嬉しいです。けど、たまたま居合わせたのが、私とリキ…この人で、何となく助けただけなんです!だから、……えっと……」
「……『そこまでしてもらう必要はない』、と言いたいようです」
リキが後を繋ぐ。
カンナは、腕を組んで考え込み始めた。何としてもお礼がしたい。どんな形であれば、彼女達を王宮に呼べるか………。
ミリアとリキの戦いっぷりが、脳裏に浮かんだ。
「戦い……騎士…………そう、騎士よ!!!!」
「王女?」
「騎士団に入ってもらおうよ!」
「「!?」」
「ベテランの騎士が4人も引退したばかりだし、即戦力になる新人を入れてもいいでしょ?2人の戦いっぷりが、本当に素敵だったの!!」
熱く当時の様子を語る、カンナの目は本気だ。
ここで辞退すれば、自分達の首が危ない。
カイヤに救いを求めて目を向けるが、諦めたように笑って首を振るばかり。
結局、2人は薄紅ノ国の王宮で騎士になることに決めたのだった。
家出して、リキに出会って、仕事が見つかって。
ミリアの新しい生活が、始まろうとしていた。