竜と軍刀と神サマのXXX
古今東西、英雄というものは、たいてい一度は竜と戦う。
無辜の民のため。
立身出世のため。
財宝のため。
あるいは――愛のため。
無論、ただの人の身では竜に抗し得ない。
彼らには、なのめならぬ神の御加護があった。
万が一にも負けることのない、神による絶対の守護があった。
彼らは竜を討ち果たし、己が本懐を成し、英雄となった。
それらは神話となり、また英雄譚となった。
しかし、そこには語られない物語もあったろう。
つまり、英雄よりも以前に、竜へと挑み、そして敗れた者たちがいた。
なのめならぬ神の加護を得られなかった者たちがいた。
彼らもまた、戦った。
己が望む何かのために。戦ったはずだ。
けれど、彼らの物語が語り継がれることはない。
今も、昔も。
そしておそらく、これからも。
・・・
――ただの一爪でも、受けたら死ぬ。
なけなしの技術と経験を総動員して、一本一本が斧よりも分厚く、刀よりも鋭い鉤爪を必死に躱す。
右、左。右、左。
巨木のような腕から繰り出される致死の攻撃を避け続ける。
虚実の無いお陰で、なんとかやり過ごせている。
間合いの内側をひらりひらりと跳び回る虫ケラが気に障ったのだろう。
ごう、と風が吹き荒れた。
山と見まごう巨体が、宙を翔ける。
独楽のようにぐるりと回る。
壁が迫ってくる。
身の丈ほどもある太い尾には、西洋騎士の突撃槍に似た棘が無数にあった。
鋭い鱗と超大な質量を、遠心力でもって、凶器となす。
長大な間合いと速度に、退く術はない。
ならばと、一歩、前に踏み出した。
回転軸にほど近い付け根のあたりに、体当たり同然に張り付く。
そのまま、力に押し出されるままに流れた。
衝撃は緩和されたが、それでも急激な加速度に、意識が遠退く。
・・・
無謀にも竜に挑んだ有象無象の食わせ役たち。
彼らは、一体、何のために戦ったのか。
竜の守る秘宝に目が眩んだか。
竜殺しの名誉にあてられたか。
あるいは、失くしたくない誰かのためか。家族のため。友や、恋人や、近しい誰かのためか。
だとしたら、理不尽だ。
彼らと、かの英雄たちと、一体、何が違ったというのか。
本懐を胸に、彼らは戦った。
そして死んだ。
欲したものは得られず、大切な誰かを守れず、神の加護もなく。ただ無力に、ただただ、死んだ。
何が違ったというのか。
彼らと、英雄と。一体、どれほど違ったというのか。
なぜ。
どうして、こんなにも。この世界は。
・・・
飛びかけた意識の手綱を、死ぬ気で手繰り寄せた。
逆説的だが、そうしなければ、死ぬのだ。
突き放されそうになるのを遮二無二しがみついた。
回転が終わる。
同時に、地を蹴って、跳び上がった。
尾を踏み、その鱗を足掛かりに、一目散に翔け上がる。
宙に躍り出た。
手にした軍刀を脇に構える。
目指すは其の首、ただひとつのみ。
この一振りで、今度こそ、仕留める。
不退転の覚悟を決めた。
首の内側、鱗の最も少ない急所を狙う。
武と雷の御神に乞い願う。
神をも殺す布津の御業、布都御霊の加護を祈る。
刀身が紫電を纏った。
疾と刃が白磁の蛇腹を目掛けて走った。
刹那。
世界を震わせる雄叫びが、頭上で鳴り響く。
渾身の一撃が、すんでのところで身を躱される。
鱗一枚を切り裂いて、勢いが鈍る。
そのまま振り抜く。
嫌な感触が手元に走る。
刀は、半ばから絶ち折れた。
交差。そして行き違う。
無防備な背中を晒さぬように、振るった刀の勢いのまま、虚空で身をひるがえす。
目の前に大きく開かれた顎門が迫る。
居並ぶ鋸の歯の奥で、この世ならざる力が揺らめいた。
折れた軍刀の鍔を向け、本来刀には存在しないはずの、鍔から延びた引鉄を、引く。
柄の内に仕込まれた、帝国魔術の粋を結集した魔導回路が疾く走る。
竜のそれとは威力で比べるべくもないが、拳ほどの火球がいち早く生じ、顎門の内を目掛けて翔けた。
着弾。暴発。
凝縮された炎が一気に燃え上がって、喉の奥で渦巻いていた神気を巻き込んで燃え上がる。
仰け反った竜の狂ったような怒号が、黒い森に響き渡った。
ここが乾坤一擲の機会。
着地と同時に、折れた刀を胸の前に掲げる。
武と雷の御神に、乞い願い奉る。
その御名が司る、森羅万象を灼く神の鉄鎚を。
神の奇跡を。
この身に宿る霊気の全てを捧げて、畏み畏み、申す。
――招雷、武御雷
黒夜を切り裂いて、稲妻が落ちた。
天地はあまねく弾け飛んだ。
震わす雷鳴と共に、森が白く染まる。
雷電の子が、空を、地を、縦横無尽に駆け巡っていく。
本来、この術は余波を避けて、なるべく遠くから放つ。
あるいは、洋の東西を問わず原初から残る魔法――防護によって、風と礫から身を守る。
しかし、今はそれすらも全て祈祷に回したため、無防備に晒された。
爆心地ほどではないが、それでも身を砕くような衝撃と、爆風によって、矮小な人の身は紙切れのように吹き飛んだ。
目をつむり、体を丸め、頭を守る。
天地も分からず、ひたすら地面を転がされていく。
ふいに背中を強打した。一瞬、呼吸が止まる。
無我夢中で、それにしがみつく。
神々の猛威を、やり過ごす。
やがて、暴風が収まった。
恐る恐る顔を上げる。
森の広場の端の方、木々の間に自分の姿を見つけた。
遠く、広場の中央は、白煙に閉ざされていた。
あたりには木材やら石材やらの破片が散逸していた。
広場の中央で仮初の祭壇を作り上げていた粗末な建材は粉々に散ったのだろう。
白く閉ざされた煙の向こうに、黒く巨大な影を見出した。
焼き尽くされ黒炭となって横たわる、其の姿を幻視した。
幻想は、しかしながら、烈風とともに打ち砕かれた。
羽ばたく双翼は皮膜が焼けただれ、少なくない穴が開いている。
龍鱗は焼け焦げ、体から煙を上げ、それでもなお、其れは、屹然として大地に立っていた。
翼持つ蛇にも似た、身の丈六尺余りの、竜だ。
双眸の紅玉を爛と輝かせて、こちらを睨んでいた。
神気渦巻く顎門が、今、目の前で、ゆっくりと開かれた。
無論、分かっていた。
俺は、英雄などではない。
そんなことくらい、分かっている。
有象無象の取るに足りない、食わせ役でしかない。
なのめならぬ神のご加護など、期待するだけ無駄だ。
だから、これはただの八つ当たりだ。
英雄とか、神様のご加護とか、そんなものは関係ない。
ただ、足りなかった。
求めるモノに対して、力が足りなかった。
ただ、それだけ。
それが全てだ。
分かっている。
だが、それでも、やはり。
思わずには、いられない。
呪わずにはいられない。
この世界ってやつは。
神様ってやつは。
血走った竜の瞳が、顎門が、終わりを告げる。
絶対的な、死を。
有象無象の、取るに足りない終わりを。
告げてくる。一方的に。無慈悲に。
ああ。もう。本当に。
クソッタレめ。
読んでいただき、ありがとうございます。
今後もよろしくお願い致します。




