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 「……妹は、本気で綿貫さんに愛想を尽かせたわけじゃなかった」


 弘美の兄を名乗った男は悄然とした顔で打ち明けた。見たところ嘘を言ってはいないようだ。


 「むしろ弘美は最期まであなたのことを想っていた。それは確かです。信じてください」


 「いや、そうは言いますが……」


 「弘美はあなたの人生を奪ったのは自分だと酷く責めていた。一人のみならず二人もの人生をめちゃくちゃにしてしまったと」


 ぼくとしては素直に受け入れ難いところだが、とにかく今は男の――吾妻啓介の話を終わりまで聞くことにする。


 「自分に依存する綿貫さんを見て、弘美は自分がいるとあなたが駄目になると考えたようです。ただでさえ自分の問題にあなたを巻き込んでしまったということを悔いていましたから……それで自分の気持ちを殺し、あなたのために別れることを決意したのです」


 あれはわざと突き放すような態度を取ったと、そう言いたいのだろうか?


 「それでも綿貫さんが身を引かないために、弘美はぼくに彼氏の振りをするよう頼んできました。それで外出したあなたの後を尾けて、偶然鉢合わせしたように見せかけました」


 すべて、ぼくを諦めさせるための芝居だったと啓介さんは語る。


 「これでいいとは言っていましたが妹はかなり塞ぎこんでいました。もし、あのとき気付いていれば一人にすることなんてなかったのに……」


 啓介さんは肩を震わせ、唇を強く噛んだ。


 「あの夜、妹の様子を見にアパートの部屋に行きました。いくら声をかけても返事がなかったのであらかじめ受け取っていた合鍵を使って部屋にあがりました」


 「…………」


 「そしてぼくは寝室で、弘美が首を吊っているのを見つけました」


 このときぼくがどんな表情をしていたのか自分でも分からない。ただなぜだか啓介さんの声がやけに遠くに聞こえる気がした。


 「ベッドのサイドテーブルに遺書がありました。『自分は人を不幸にする。自分なんていない方がいい』と……ぼくは目を通すとすぐに破って懐に入れました。このことはあなたに……綿貫さんに知られるべきではないととっさに思ったんです。弘美の自殺の真相を知れば妹を想うあなたがどうするか察しがつきます。誤解しているのならそのままの方がよかった」


 これは本当なのか? これが事実なのか? むしろこれこそ虚言ではないのか――いっぺんに与えられた情報をぼくの頭はうまく纏められない。

 何が事実で何が嘘だというのか――分からない。


 「そこで思い出したのが、弘美とその旧友が狙われた二年前の殺人事件です。すべて似せるつもりはありませんでした。ただ弘美の自殺を偽装できれば……それでぼくは部屋にあった包丁で弘美の右手を切断して持ち去りました」


 「……弘美の右手は、どうしたんですか?」


 「まだぼくが持ってます……でも、まさか綿貫さんが弘美の死体を見つけるとは思いもしませんでした。彼女からあなたが警察に疑われていると聞かされて、やっと真相を打ち明けることに決めたのです」


 言って、岡島さんの方に目を向ける。二人はやはり面識があったのだろう。


 「ぼくはこれから警察署に行って、今あなたに話したことをすべて伝えます。綿貫さんにはご迷惑をおかけして、本当に申し訳なく思っています」


 「……あたしもてっきりあなたが犯人だと思っていたわ。ごめんなさい」


 啓介さんと岡島さんがそろって頭を下げる。ぼくはそれにたいした反応もできなかった。


 もう存在しないはずの右腕が、ずきりと痛んだ。

 



 二人と別れ、ぼくはアパートに帰った。

 そこでしばらくまんじりともしないで座り込んでいるうちに、やっと啓介さんの話が自分の中に浸透していった。


 自分の想い通りにいかない日々に何もかもを投げ出してしまっていた。そんなぼく自身こそ本当は責められるべきだったかも知れない。


 弘美を守って利き腕を失ったことに後悔はなかったはずなのに、その弘美を死に追いやったのは他ならないぼくだ。

 もっと早く周りに――弘美のことに気を配っていればこんなことにはならなかったはずだ。


 だが、もう遅い。過ぎたことは取り返しがつかない。


 「ごめん……弘美」


 ぼくは一人、ただ涙を流し続けた。



                (了)

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