Browin'The Wind
太宰の「彼は昔の彼ならず」の一節、He is not what he wasを繰り返し呟きながら彼は自分の過去に追憶を馳せていた。新宿、伊勢丹の屋上でスモッグと車塵で薄汚れた新宿の摩天楼を眺めながら。ゴールデンバットを口にくわえる。紙が唾で濡れる。フィルターがないため葉が唇に引っ付く。火をつけ煙を肺一杯に入れる。ほのかなラム酒の匂いとともに強い苦みが舌を刺す。ゴールデンバットを吸っているのは敬愛する太宰が愛飲していたからだ。
最初のうちはヤニクラを起こして、吐くほど酷かったが、徐々に濃厚な煙が心地よく感じられ、両切りにも慣れた。肺いっぱいまで煙を入れる。煙が肺胞を通じ、血に染まる。ニコチンが全身を駆け巡る。目が虚ろになるのを感じながら、それを愛おしく感じながら、孤独にふけながから。タバコを吸うという行為は、嫌ながらも自分の肉体と向け合わなければならない。ニコチンとタールが体を縛り付ける。人にはこれが見えない。人はタバコを吸うということは、ただ単に体がニコチンを欲している、つまりニコチンによる禁断症状として求めるものと決めつけている。しかしそれは違う。タバコを吸う行為は単純に孤独になりたいからだ。だから人と話すときは彼はいつもタバコを咥えていた。
伊勢丹から見下ろす景色の中には、都市生活に洗練された人々が、それが、彼を滅入らせる。
イヤホンを耳に入れRadioheadのLet downにチューンした。
Transport, motorways and tramlines
Starting and then stopping
Taking off and landing
The emptiest of feelings
Disappointed people clinging on to bottles
And when it comes it's so so disappointing
輸送船、高速道路、線路
動き出し、また止まる
離陸し、また地面に戻っていく
心の空虚さ
絶望した人々が瓶に群がって登っている
そうなった時は、本当に最悪なんだ
彼はまさに、心の空虚さに、瓶に群がって絶望していた。ニヒリズム。空虚さは彼の心を蝕んで打ちのめされていた。
Let down and hanging around
Crushed like a bug in the ground
Let down and hanging around
打ちのめされて、はいずりまわって
虫のように地面につぶされて
打ちのめされて、はいずりまわって
かつてはそうではなかったのに。かつてはそうではなかったのに。かつてはそうではなかったのに…
かつての彼。毎朝が希望に満ち満ち朝日が彼の顔に降り注いでいた、He was what he was.
今の彼にはこの掠れた新宿が似合いだ。ボヤけて灰色の新宿。仮面の街。誰が誰だか分からない他人の顔。
太宰が「彼は昔の彼ならず」で表現したことは、人間の多角性であった。しかし、今の彼は…
吸い殻を屋上から投げ捨てる。吸い殻は地面に届くまでに分散して風に運ばれていった。




