失われた未来
今回は「トゥモロー・ランド」について一文をものしたい。
というのは、これを書いている数日前がマーティがデロリアンで過去から、未来へやってきた日時だからだ。
いうまでもなく「バック・トゥ・ザ・フューチャー」である。あの映画で、主人公のマーティは、ドク・ブラウンのタイムマシンで、1985年から、2015年にタイム・トラベルしたのだった。
つまり今年だ。
映画の中で描かれた2015年と、現実の2015年。
反重力で浮かぶ車、ボード、ホログラムで登場するジョーズ、様々な未来の技術は、いまだに実現できていない。
未来を予言するのはリスクがともなう。
どんなに精密に予測したところで、たいていそれは外れるものだ。
外れた未来は、どこにあるのだろう?
「トゥモロー・ランド」を観たあと、そんなこと考えた。
以下、少々のネタバレあるので、未見のかたはご注意を!
映画で、トゥモロー・ランドという理想の世界は、異次元のようなところに存在するらしい。
主人公のケイシーは、触れたバッジを通じ、トゥモロー・ランドを体験する。
この場面が素晴らしい。多分、この映画のハイライトだ。
それとアテナという少女。
ノーマン・ロックウェルが描く、1950年代の絵画から飛び出してきたような雰囲気を持っている。アテナという名前は、あきらかにギリシャ神話の、女神アテナからとられていると思う。女神アテナは知恵と、戦いの神で、映画の中の彼女の活躍は、まさにそのふたつを象徴している.
ケイシーはアンドロイドに襲われ、アテナに尋ねる。
「あれはロボット?」
「いいえ、AAよ」
「AA?」
「オーディオ・アニマトロニクス」と、アテナは答える。
これはディズニー・ランドのアトラクションのひとつで、歴史上の人物が、観客に向かっていろいろ、自分のことなどを語りかけるという趣向だ。登場するのは、ロボットで、ディズニー・ランドではこのシステムをオーディオ・アニマトロニクスと主張している。ロボットではない、というわけだ。なぜアニマトロニクスというのか。それはアニメーションの一種だからという。
トゥモロー・ランドのデザインは、昔懐かしい曲線と、立ち並ぶ尖塔で、小松崎茂の描く未来都市そのものだ。いや、むしろ大阪万博のパビリオンか?]
映画にはディズニー・ランド、万博のシンボルが、いくつも登場する。映画冒頭の場面が、ニューヨーク万博だし(あれ、シカゴだった?)後半にはパリ万博のシンボルである、エッフェル塔が出てくる。
映画全体を通じ、通低音としてかつて想像された未来の残景がいくつも出てくる。
ケイシーがバッジの謎を探るため、レトロ・ショップに立ち寄るが、その内部は無数の、SF映画のブロップであふれている。
映画のテーマとして「未来に希望をもとう!」というメッセージがあるのだが、ぼくには失われた未来に対する鎮魂歌のように思えた。
ぼくらの夢見た二十一世紀は、どこへいったのだろう?
2001年には木星へ有人飛行が、鉄腕アトムが誕生し、月面にはすでに都市が築かれ、小学生の卒業旅行先になっているはずだった。
ぼくはいま花沢健吾の処女作「ルサンチマン」に描かれたような、仮想現実装置が普及することを熱望している。現実には不可能なことも、仮想現実なら達成できる。あのマンガで描かれたような仮想現実装置なら、いまのテクノロジーでもじゅうぶん、可能だ。スマホをヘッド・マウント・ディスプレイにするアプリなど、希望もある。
未来はもしかしたら、そういうところにあるのかもしれないな。