世紀末の夢
ぼくはSF映画が好きだが、とりわけ昔の映画が好きだ。昔、といっても五十年代、六十年代のものだが、あの頃のSF映画はプリミティブな魅力にあふれているように、思える。むろん、当時のころだから、CGなんてものはなく、ミニチュアなどを使った、特撮と呼ばれる手法だが。
あの頃の映画で、H・G・ウェルズや、ジュール・ヴェルヌ、コナン・ドイルなどの原作によるSF映画が多く作られている。作品としては「月世界探検」「悪魔の発明」「地底旅行」「タイム・マシン」「空飛ぶ戦闘艦」「気球旅行」「海底二万里」などがある。こういった作品が多く作られた理由は、その頃、SFの原作として、多くの人に知られていたというのがあるだろうが、もう一つ、無視できない理由として、物語の背景が十九世紀末というのが大きいと思う。
当時の観客は、遠い未来の物語より、ウェルズやヴェルヌが生きた十九世紀末の物語に共感をおぼえたのじゃないか、とは ぼくの推論だ。
ぼくはこの頃、多く作られた十九世紀末を舞台にしたSF映画を「ヴィクトリア朝SF」と勝手に総称している。
当時、アメリカの観客には、ヴィクトリア朝時代のヨーロッパに対する郷愁、のようなものがあったんじゃないか、と思う。周知のとおり、アメリカは移民の国だ。ヨーロッパはアメリカ人にとっては、親、祖父母の国である。当時のミュージカル映画に「パリのアメリカ人」というのがあるが、アメリカ人のヨーロッパに対する憧憬が、一本の映画になったようなできだった。
とはいえ、こういったヴィクトリア朝SF映画がたくさん作られた結果、アメリカ人にとって、SF映画は身近なものとなっていったのではないだろうか。先鋭的な未来を描いた映画より、懐かしさを感じる十九世紀末を舞台にしたため、観客にとってなじみ深い世界観で抵抗なく見られたのだろう。
そこでぼくは考えるのだが、日本でもSF映画を盛んにさせるため、明治時代を舞台にしたSF映画を制作したらどうか、と思うのだ。えっ?「るろうに剣心」がそうじゃないかって? しまった!