リアルとリアリティ
先日「アサシンクリード」という映画を観た。
で、見終わった後、思ったことがある。
それは
「なんでもリアルにすればいいってもんじゃないなあ」
というものだ。
そーなのだ。
この映画、かなりリアルな描写にこだわっている。
主な舞台は現代と15世紀末のイタリア。
日本語吹き替え版で鑑賞した。
映画の半分くらいは15世紀末のイタリアになる。
たぶん時代考証とか、衣装もリアルなものになっているんだろうけど、ちょっと待った~!
あのね、イタリアの場面では出演者がイタリア語で会話するんだ。
そりゃ15世紀末のイタリアが舞台だし、登場人物もイタリア人という設定だからイタリア語で会話するのは当たり前だ。
でも日本語吹き替えでも良かったんじゃね?
せっかく吹き替え版で観たのに、映画の半分くらいは字幕を読む羽目になって「なんだこりゃ?」と思ったのも確か。
それと現代と過去で、同じ俳優が出演している。つまり先祖とその子孫という関係。それはいいんだけど過去の人物がつねにフードを被っていて顔がほとんど見えない。そのためせっかく同じ俳優が二役やっているのだが、全然別の役者に見えてしまう。もうちょっと同じ俳優がやっていることを主張してもよかったんじゃないか?
それもリアリズムなんだろうけど、ぼくには「くそ」リアリズムに見えて仕方がなかった。
昔「タイムトンネル」というSFテレビ・シリーズがあった。
政府の「チクタク計画」という研究で、タイムトンネルという装置で過去の世界へ現代の人間が旅立つ。
しかしタイムトンネルは未完成で、現代に戻れなくなる。
以後、様々な時代にスリップして、主人公が冒険するという内容だ。
ところが主人公が様々な時代にスリップするのだが、古代ローマだろうがフランスだろうが平気で英語で会話するのだ。
シーザーやナポレオンが英語をしゃべるんかい!
と思ったが、いちいちその時代の言葉を再現していたらシリーズが続かなかったろう。
余計なことだが、このシリーズ、男二人が主人公だ。この二人が過去、未来をさまようというお話なんだが、腐女子のみなさん。ヨダレものじゃないですか?
やっぱり「リアル」と「リアリティ」とは違うんだな。とくにSF映画では。




