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映像化不可能?

 最近のCGの発達は凄まじい。

 この分ではいずれ近いうち、本物の俳優と、CGで造形したモデルが違和感なく共演して、観客に「どっちがCG?」と思わせることも、可能なんじゃないか。

 アラン・チューリングという数学者は、人間と人工知能の違いを判定するテストを考案した。

 被験者に人間と、人工知能を相手に会話をおこなわせ(会話にはキーボードを介する)、どちらが人間か判定できない場合、それは人工知能が人間と同じレベルに達したと結論できるとされた。これが有名なチューリング・テストだが、あいにく、単なる応答プログラムに対し、人間側が本物の人間だと思い込まされる、という結果が出て、信頼性について疑念が出ている。

 CGのキャラと、本物の人間の演者による共演で、どちらがCGが判別できない場合、映像のチューリング・テストといえる。

 で、こんなにCG等が発達して、なんでも映像化できるようになって、それでも「これは映像化できなだろう!」という原作がある。


 それは「カエアンの聖衣」というSF小説だ。

 作者はバリントン・J・ベイリー。

 銀河系全域に人類が移住し、様々な星系に無数の国家が出現している超未来。

 カエアン星系では、独特の文化が花開いていた。

 それは「衣服は人なり」という衣装哲学だった。

 カエアンでは、人間は衣服をまとうことにより、完全な人格を手に入れる。

 これがトンデモない小説で、宇宙の日露戦争、知性の反物質、インフラ・サウンドの惑星、地表を覆いつくすハエの惑星、と次から次へあふれるイメージに読み手をクラクラさせる物語が疾走する。

 でも映像化できないというのは、そんな膨大なイメージゆえではない。

 この小説の最大のキモともいえるのが「フラショナル・スーツ」というアイテムだ。

 見かけは普通の綾織の、三つ揃いだ。

 地味なデザインで、仕立ては高級だが、ごくあたりまえのスーツにしか見えない。

 が、このスーツ、カエアン文明の精華で、着用者の人格を支配し、他者をも支配してしまう。

 小説には、ありとあらゆる衣服が登場する。

 ことにカエアン文明にシーンが移ると、様々な衣服が、ありとあらゆる場面で登場し、物語をけん引する。

 こんな場面、どうやって映像化できるっていうんだ?

 もし映像化するとして、衣装デザイナーは、頭を抱えるに違いない。

 特に物語の主役ともいえるフラショナル・スーツのデザインには、苦労させられるだろう。なにしろ見かけは平凡、しかし眼力のある鑑賞者には、デザインの深奥が明らかだというのだから。


 でも、いつか誰かが、この原作を映像化しようという、無謀な挑戦を期待しているけどね。

 ほかに映像化不可能なSF原作って、何かないか?

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