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対話劇の復活?

 久しぶりの投稿。

 で、何を書こうと思ったんだが、やはりいまやっているゆっくり動画について思いついたことを。

 ぼくだけでなく、ゆっくり動画を投稿している人は、画面両端にキャラを置いて、お互いの会話で動画を進めていくスタイルを取っている。それでちょっとした知識とか、蘊蓄を開陳しているのだが、この形式って、何かに似ているなあ、と考えていた。

 それで思い出したのだが、これって昔の哲学なんかでよくある対話形式じゃないのか?

 ギリシャの哲学者たちの残した書物は大抵、二人の対話で進められている。一人がある問題について問い掛け、もう一人がそれに答えるという形式だ。考えてみれば洋の東西を問わず、そういった問答集は古くからある。

 論語だって、孔子が弟子の問い掛けに答える形で出来ているし、近世でも仏教の問答集は沢山残っている。

 それが近代になるといつの間にか消え去り、論文という形で知識は広まっていく。

 ところがYou Tube、あるいはニコ動という舞台で、おそらく日本だけにこの形式が復活している。多分、ゆっくり動画を作っているのって、日本人だけだろう。

 それがなんだ、と言われそうだが、もしかしてこのゆっくり動画を作っている人の中で、天才的な頭脳を持っていて、革命的な思想を構築している人がいるかもしれない。

 その思想を、ゆっくり動画にして、いつの間にか、You Tubeか、ニコニコ動画で発表しているのかも……。

 妄想かな?

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