コミュニケーションは大切だ
近頃気になっているのは自動翻訳だ。
いろいろ機械だったり、アプリだったり、出ているようだが、どうなんだろう?
翻訳装置そのものは、昔から想像されていたし、SF小説でも定番のアイテムだ。
有名なものとしてはドラえもんの〝ほんやくコンニャク〟があるよな。
二、三十年まえくらいまでは、人間の言葉をそのままコンピューターが処理するなんて、夢のまた夢とされていたんだが、近頃ではCMでもよく見るようになった。
しかし、どうにも使いづらそうな印象だ。
スマホのアプリで使うところを見たが、まずスマホに話し掛け、翻訳音声を相手に聞かせる。相手の話はスマホを相手に向け、あるいは渡して話し掛けて貰うというやりとりが必要らしい。
やっぱり手放しの状態で、普通に会話したいよなあ。
たいていのSF小説では、翻訳装置は、相手の言葉を一瞬で同時通訳してくれる。
さらに未知の言葉を次々と記憶し、翻訳の精度を向上させてくれたりする。その描写から、たぶん小説に登場する翻訳装置には、カメラ機能が備わっているらしい。
自動翻訳でネックになるのは、カクテルパーティ効果ってやつだ。
つまり同時に何人もの人間が、いっぺんに話し始めると、翻訳装置の機能がうまく働かなくなるという。
誰が誰に話し掛けているのか、どの会話を翻訳するのか、それが判別できなくなるからだ。
やっぱりスターウオーズのC-3POみたいなロボット……あっ、ドロイドか……あんなやつがいればいいんだが。
なんでこんなこと長々と述べて来たかというと、ほら、今年オリンピックがあるでしょう?
そうなると外国人が沢山、日本にくることが予想されるから、こういうアイテム必要だよ。
今でも国内のいろんな観光地には、外国人がやたら来ているしね。
あっ、でも、いくら理想的な翻訳装置があっても、基本的にコミュニケーション能力が必要か……。
この稿を書いているぼくは、まったくその能力がないしなあ。
ということは、自分には必要のないものか!




