コンストラクションの世界
前回で「ティル・ナ・ノーグ」のことを書いたが、コンストラクションというゲームのジャンルが存在する。ざっくり説明すると「ゲームを作るゲーム」というジャンルだ。
「ツクール」シリーズがその代表的なもので、RPGだけでなく、アクション、シューティング、アドベンチャー・ゲームなどをユーザーが作ることができる。
近頃ではマリオのゲームを作れる、ソフトが出た。
変わったところで落ちものパズルや、双六ゲームを作ることのできる、コンストラクションがあった。
ユーザ-一人、一人が自分のゲームを自作することができるのだから、正真正銘、無限のバリエーションが存在しえる。
あえてぼくは「存在しえる」と記した。
実際、ゲームを作り上げるのは素人には大変だ。たいていのコンストラクション・ゲームは、メニューを選ぶだけなので、プログラムを組む、という作業はないが(ごく少数だが、ユーザーがプログラムの知識を必要とするコンストラクションもある)、それでもフラグ管理とか、細かな調整とか、やることはいくらでもある。これでグラフィックまでやろうとすると、気が遠くなるほどの労苦が待っている。
ぼくは三本ほど、自作で簡単なRPGを制作した。その経験から、こう書いている。
コンストラクションにはパソコン、ゲーム専用機の双方にいくつかソフトがある。先述した「ツクール」系のソフトは、パソコン、専用機どちらにもシリーズが展開されている。
コンストラクションで作成したら、他人に遊んでもらいたいのが人情だ。
専用機ではソフトごと、貸し出さないと遊んでもらえない。パソコンでは、データを渡せば、相手のパソコンで遊んでもらえるが、そもそもパソコンでゲームをする知り合いは少ない。
まあ「小説家になろう」のような、コンストラクション・ゲームの公開サイトがあるから、そこに公開する手はあるが。
ぼくは想像するのだが、こういったコンストラクションが進化して、究極には、世界そのものを構築するようなソフトになったら……と考える。
ぼくの「電脳ロスト・ワールド」に描いたような、仮想現実構築ソフトだ。
「マイン・クラフト」が一番、近いかもしれない。
石川英輔という作家が「天国製造株式会社」という小説を書いているが、仮想現実世界を、各々が構築するようになったら、ある意味、文明の終焉かもしれない。同時に現実では、あらゆる犯罪や、テロが消滅するのかもしれない。
仮想現実は、人類から犯罪、テロの恐怖を取り去ると同時に、様々な未来を奪う最終兵器かも。
どっちかいいと思う?




