あなたの恋はなんて哀れ
フリーワンライ参加作品です
使用お題:「伸ばした手」「思わせぶりな態度」「ミゼーリア」
私の恋はかなわない。正しくは私の恋すべて(・・・)がかなわない。どういうことだってみんな口をそろえて言うけれど、これは事実なのだ、仕方がない。それでもあきらめてくれない親切な人の為に、ちょびっとだけ解説しよう。
私が今までに恋をした人は三人。幼馴染のTと中学の同級生だったR、それから今もなお交流のあるアルバイト先の同僚だったYだ。まずはT。彼は気づけば好きになっていた、という典型的な初恋だ。離れるということが知らないように私たちは自然と寄り添っていて、まるで告白を逃したおしどり夫婦のようだった。しかしある日、彼は番のはずの私を捨てた。恥じらいながら、私の妹が好きなのだと告白してくれた。なんてこと! 妹は呆れかえってばっさりと彼のことを振っていたが、それで私の傷心は返らない。以来、彼とはすっかり疎遠となっている。この時の反省は、気持ちはきちんと告白することだった。
二人目のRはTの呪縛から逃れた私が中学で想いをひそやかに実らせた相手だ。Tとは全く関係のない人で、私個人を扱ってくれた、特別な人だった。私が反省を生かして告白したのは卒業式のこと。別の高校に進学することはわかっていたが、どうしても伝えたかった。Rは私の好きな笑顔で私の気持ちに応えてくれた。しかしその後、Rは熱心な部活に入ってしまい全然会うことがかなわない状況に。遠慮をして連絡も控えていた内に、自然消滅となっていた。そのあと、Rとも連絡を取っていない。この時の反省は、少しわがままでもきちんと連絡をすること。それから私に遠距離恋愛はハードルが高いと思い知った。
三人目のYは思い出すのが少し恥ずかしい。なんせ少しいいな、程度の気持ちだったのがバイト先で開かれた忘年会で飲みすぎた私がぺらぺらと喋ってしまったがゆえ、なし崩し的に始まった付き合いだったからだ。そんな二人が長く続くはずもなく、あえなく破局。Yとは何もなかったから、二人とも数か月の気の迷いという風にふるまっている。この時の反省はもちろん、告白は素面で行うこと。なんとも情けない結果だ。
彼らへの想いはすべて完了形で、今はもうない。しかし学ぶことは多かったということで後悔はしていない。それでも私が新しい恋に片足を突っ込んでいるのに何もアクションを起こさないのは、そろそろ二十台もいいところに差し掛かって、容易に行動を気持ちになってきたからだろうか。理由は全てありきたりだった。それでも私の恋はかなっていない。それもあって、恐らく私は足踏みをしたままなのだろう。
***
お腹、空いたな。そんな思いが乗った溜息は秒針のリズムの中に消えていく。ひたりと微かな気配を感じて、私は隣のブースの方に目を向けた。
「お疲れさまです」
「…お疲れさま」
こちらを覗いたのは営業部でかつては期待の新人と噂されていた、同期の彼だった。今ではその期待に十分に応え、営業部の星として活躍している。しかし今の姿は星と称するには程遠い、くたびれたスーツにやつれた目元のただのサラリーマンだ。
「まだ残ってたんですか」
「後輩がね、ちょっとやらかして。俺の担当の引継ぎ分だったから、俺がフォロー入れなくちゃいけなくてね」
「それは…大変ですね」
「ようやくケリつきそうなんだよな。そっちは? こんな時間まで珍しいね」
話を振られるのは想定していた、だからすんなりと答えてみせた。
「今回の会議で私の企画が通りそうで。次のプレゼンの準備です」
「わお」
すごいじゃん、と彼は口笛を吹いた。日ごろでは見かけないそんな姿は少し幼くて、同期の前だと見せるんだなとちょっとだけ嬉しくなってしまった。
「部長直々に手直しをしていただいて、声もかかってるので気合も入ってます」
「すっげー…プレゼン、いつ?」
「明後日です」
「あと少しか、がんばれ」
「ありがとうございます。そちらも頑張ってください」
「おうよ」
短い応酬の後、彼は自分のブースに頭をひっこめた。そのことを少し惜しみながらもパソコンに向き直る。あと少しで今日の分は終わりだ。あとは明日、上司に見せてチェックしてもらって…。
時刻はもうまもなく九時半を回る。うちの会社は残業をあまりさせないので、自分がこんな時間まで残ることも非常に珍しかった。だから、ちょっとした軽食なんてものもなく、空きっ腹を抱えてパソコンを閉じた。
「おーわり」
リズムをつけた口調はむなしく時計の音に紛れてしまう。座りっぱなしで固まった筋肉を解して荷物を片づける。一人暮らしだから夕飯は帰っても出てこない。帰りの電車はまだ余裕があるから、ちょっとだけ食べて帰ろうか。そんなことを考えていたら隣からまたも頭が飛び出てきた。
「おつかれ、終わった?」
「はい、ちょうど今しがた」
「そうなんか。よかったら一緒に帰らない?」
「え?」
気軽に誘われたそれに一瞬動揺してしまう。ああでも、そんな、ただ同僚と帰りが被ったから付き合いだよね。夕飯は自宅の最寄りの居酒屋で間に合うだろう。そう計算して頷いた。
「喜んで」
それがご飯付きの誘いだということに至らなかったのは、私の頭が疲れていたからだろう。
「これ美味しくない?」
「はい、とても」
連れていかれたのは洒落たバーだった。行きつけなのだろう、その店はひっそりと物静かな雰囲気で、失礼だが日ごろの彼からは想像ができない店のチョイスだった。
「今、俺に似合わないって思ったでしょ」
「…はい」
「正直に答えちゃうんだ」
あははって元気いっぱいに笑った目元には疲れが残っている。しかし少しアルコールが入ったからだろう、先ほどよりも彼の口調は明るかった。
「俺だってね、年相応に落ち着いた店に入るんだよ」
「そうみたいですね」
「けっこうここ気にいってるんだ。同僚にも紹介していないくらい」
え、――流しかけた言葉には大きな爆弾が混ざっていたような気が、した。目の前のカルパッチョに舌鼓を打っていたから聞き流してしまった。
「でもね、あんたなら一緒に行きたいって、自慢したいって思ったんだ」
なんでだろうね。本当に不思議がっている言葉に私は何も言えない。だって、そんな、期待するような、思わせぶりな態度は。
正直に言うとこの同僚とは広い川が渡っているぐらいに交流が乏しかった。もともと誰に対しても敬語で、飲み会にもなかなか顔を出さない、出しても二次会にはいかない私と、付き合い上手で営業成績もいい、目立つ彼。こうして対面して呑んでいることすらも不思議なのだ。
「正直に言うとさ」
彼のことばが私の思考に重なる。甘いカクテルから思わず彼に視線を動かしてしまう。
「あんたのこと、よくわからないんだよ。今まで付き合いもないし。でもさ、今日なんか急に喋りたくなって。そんなに目立つ見た目なわけでもないのに残業中ずっと気になって。帰りが一緒なんだって思ったら思わず声かけちゃった」
「なんででしょう」
「なんでだろう、ほんと」
煙に巻こうとする私を引き留めるかのように彼は身を乗り出した。そして手にしたグラスを置いて、私の目の前で、すらりとした指先を組んだ。
「不思議だけどね。今だって不思議。でもこうしてるのがとても居心地いいんだ」
「そんな、」
「あんたに彼氏いないなら付き合ってって言いたいぐらい。どう?」
「どうって、そんな…」
「彼氏はいるの?」
「それ以前に、今まで交流なかったのにそんなこと言われるのにびっくりしてます」
「だろうね。でもそれは今から交流していけばいい。で、彼氏は?」
「……いません」
そう。呟いて彼は自分のお酒を一気に煽った。強い方なのだろう、顔色一つ変えずに杯を置いた。私もわずかな残りを口にする。そこで彼が伝票を取った・
「あ、お金…」
「いーの。今回はおごらせて。でも次はあんたのおすすめの店で割り勘ね」
次。彼ははっきりとそう言った。
「あ、ありがとうございます」
「お礼言うくらいなら、次行こうね」
「…はい」
そう答えると、彼は今日一番笑った。送るよ、という言葉にはさすがに辞退したが、駅まで見送られることになれてなくて、彼が歩く右側がどうしてもこそばかった。
お酒の席のことばは信じない。でも彼は残業中も気になっていた、と言っていた。ああ、これはもしかして期待してもいいのだろうか。臆病な心は足踏みのまま、ぐるぐるとステップを踏んでいる。帰り際に交換したアドレスを呼び出しては、心臓の震えがそれを押し戻していた。
何も始まっていない、だからこそこの気持ちが何なのかもわかっていない。しかしそれを持て余しているいまがとても心地いいことに私は気づいてしまった。嗚呼、なんて哀れなのでしょう。みじめで情けない、それでも笑えてしまうから、恋はすごいのね。
とりあえず。とりあえず今日のお礼と次のお誘いを。その前に次のプレゼンで結果を出して、彼に報告できるようにしよう。そうして彼を誘う、口実を作るのだ。一緒に飲む「私のおすすめ」にはもうあたりをつけている。それはきっと彼も気にいるだろう。
怒涛の感情の流れは、どうやら私を疲れさせる。しかしそれはけだるいものではなく、もっと心地いいものだ。ぐるぐるの思考を抱えたまま、今日の私に別れを告げる。願わくば、浮かれ心地が明日も続きますように、と夢を見ながら。
あなたの愛はなんて哀れ
今度こそ、伸ばした手は――