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五章~非現実的なロマンチック~

『熊のストラップ? ゲーセンの賞品にしては、えらく不景気な当たりだね』

「ええ、たまたまあの時に限ってくだらないのが陳列されてて、僕ら二人ともずっと笑ってましたよ」

『ゲーセンデートと言やぁ、UFOキャッチャーで男を見せてやんのが定番なんだろうけどさ、最近はそういうオーソドックスなのもどんどんなくなっていってるよね』

「え、そうなんですか。その時僕らが行ったゲームセンターには、なにかしら時期的な要因で景品が不足していただけだと思うんですけど」

『うーん、なんてのかなぁ……たとえばUFOキャッチャーみたいなのも、コインを投入してクレーンを操作し、ぬいぐるみみたいな景品を取る、ってのからだいぶ形が変わってきてるみたいなのよねぇ。あたしが見た中じゃ、押し出したりして薄っぺらな写真サンプルだとかを落とすやつ。たいていは大型のゲーム機だとかで、筐体に実物が入りきらないからそういう処置になってんだろうけどもさ……』

「ああ、それならたしかに見たことあります。店員に頼んで、景品をもらうんですよね、たぶん」

『そうそう、それそれ。そういうやつよ。あたしそれってどうなのかなって常々思うわけだわさ。だってね、昔ながらのUFOキャッチャーって、愛らしいぬいぐるみが相場じゃない? んで、それをその場でとってみせて、隣にいる彼女にほいと手渡せてこその面白さ、みたいなところない?』

「たしかに」僕はよくわからないながらも、電話相手一流の美学にとりあえずうべなった。「一理あるかもしれませんね」

『でしょー』気をよくしたのか、彼女は声にはっきりと喜色を匂わせて続けた。『それがどうよ、最近のゲーセン事情。景品を手に入れても、そいつは偽物。それを一旦店員のいるところに持って行って、見も知らないそいつと喜びを共有しなきゃならない。あたしは出てきたぬいぐるみをすぐに抱きあげたいだけだってのに、どうしてそんなまどろっこしい行程挟むんだろうね? この際UFOキャッチャー的なるものはすべからくぬいぐるみにすべきだとあたしは思うわけよ。ゲーム機だとかそんな即物的な高級景品はいいからさ、欲しくもないような、それでいて捕るのに苦労するぬいぐるみを寄越せってんだ! あたしは彼氏が悪戦苦闘している様子をはしゃぎながら横でみていたいだけだし、見事落としてのけたぬいぐるみの唇でマウス・トゥー・マウスのキッスをしてやって、喜びをスポンジケーキの生地みたく何倍にも膨らませたいだけなのさ』

「シンプルなぬいぐるみのUFOキャッチャーはもうありませんか?」

『んー、全然見なくなったってわけじゃないんだけどねぇ……』彼女はそこで言いよどむと、少し間をあけてから、『……けど、つまんなくはなったかな。それもかなり。もうどいつもこいつも可愛いお人形さんばかりになっちゃって、みーんな洗練されてて、ぶさいくなのが一つもなくて……はっきりいって、そんなぬいぐるみを必死こいて取ろうとする彼氏をあたしは見ていたくない』

「綺麗で可愛いぬいぐるみは嫌いなんですか?」

電話の声は、迷いなく応答した。

『綺麗なだけで、可愛いだけで、見目よいだけでご満悦なお人形ちゃんは鼻持ちならないのよ。でもね――』彼女は言いかけて、察したように話題を変えた。

『――と、そんなことより、あたしの趣味趣向については脇に置いといて、あんたの話聞かせてよ。その元カノさんのために取ってやったっていう、件の熊のストラップ』

「クレーンが特殊だったから、なかなか苦労しましたよ。けれど彼女がどうしてもっていうから、都合二十回トライしてやっと一個手に入れた苦節の証みたいなもんです」

『うわぁ、二千円もつぎこんじゃったんだ、たかがゲーセンのストラップに』

「ええ、それも割とブサイクな感じの」

 僕らは笑いあった。

『いいよね、それ』

「いいですよね、なんだか。思えばそれがきっかけで、僕らは付き合いだしたんですよ」

『へぇ、そういえば二人の馴れ初めについてを、あたし全然知らないな』

「そういえばそうですね、なんだか当たり前な気がして、すっかり言いそびれてましたね」

『聞かせてよ、いま』

 僕はちょっとだけためらいの間をあける。

「そんなたいそうな話じゃないんですけどね……そもそもその日二人でゲームセンターに行くことになったのも、ほんとにたまたまの偶然だったんです。大学の授業のレポートをどうするかみんなで相談してたんですけど、用事ができたとかで一人ずつどんどん抜けていっちゃったんですよ」

『それで二人きりになったっての? あらあら、なんだか陳腐な青春マンガを読んでいるみたい』

「ファミレスで鳩首凝議してたんですけど、その内人数が少なくなってから気晴らしにゲーセン行こうって流れになって……気づいたらそこで彼女と二人きりになってましたね。そんなみんな、なんで図ったみたいなタイミングで用事ができるんだよと僕は訝ったもんですよ。あれはやっぱり、みんなが仕向けたことだったのかな?」

『あはは。考えすぎだって』

「そうかなぁ。レポートについて話し合おうってことは事前に伝えてるはずだから、その日に予定がかぶるなんてそうそうないと思いますけど……いたとしても、せいぜいが一人か二人でしょう。僕らは全部で十人きっかりだったんだから、八人も急用で抜けるなんて異常です。やっぱり誰かがセッティングして、高校時代からの腐れ縁である僕と彼女を――」

 電話の声は遮るように口を容れた。

『だから考えすぎなんだってば。陰謀だとかなんとか、考えすぎることは全部妄想に行き着くよ?』

「妄想、ですか」

『そう』彼女は妙に響く声でがえんじた。『ほとんど妄想の域。誰かが自分のために背中を押してくれたりだとか、何かしてくれたなんてのは期待というより妄想の所産以外の何物でもないわね』

「……むしろこの場合、してくれたというよりされたという負の向きが強いと思われるんですけど。結果として僕ら、別れてしまうわけですし」

『あら、あなたは彼女と付き合ってる間中、そんなネガティヴなことを思っていたのかしら。もしそうだったとしたら、そりゃ彼女に愛想つかされたりもするわよ。でもね、そうじゃないでしょ? あなたは最初から、彼女といずれは破綻するなとわかっていながら付き合いだしたのかしら? 少なくとも付き合いはじめのころは楽しくやっていけてたんじゃないのかな』

「……まぁ、それを否定してしまえば嘘にもなりますかね」

『そうでしょう。妄想がいけないのよ。畢竟すれば妄想というものが、あなたにそういうひねくれた物の見方を提供してしまっている』

「……ともかく僕は、その日の午後を半日かけて、その寂れたゲームセンター内にあるほとんどのクレーンゲームをやらされる羽目になりました。彼女が何かくれと執拗にせがむもんですから。そうして手に入れたのが、例の熊のストラップというわけです」

『それもブサイクな感じの?』

「かなりブサイクなやつです」

 僕らはまた吹きだした。

「その熊なんですが、眼窩に細工もののガラスがすっぽり嵌ってるんですよ」

『なにそれ、目玉がガラスってこと?』

「ダイヤ形になってるんですよ。おかしいでしょ、眼がダイヤなんですよ」

 通話相手は腹を抱えて笑いこけているようで、咽喉の奥をくつくつと鳴らすような声で『眼がダイヤ……! なにそれ現金すぎる……!』

 僕はさる午後の黄色く染め抜かれた西陽の風景を思い出す。そこはうら寂れたバスターミナルの手前、帰宅のためにバスを待つ面々が、人形のように立ち止まって列をなす場所。そこに話題にのぼったゲームセンターはあった。誰でも入りやすいように、その入り口は横に引き伸ばされた口唇みたいに拡げられており、人波に押し出されたはぐれ球を回収せんと待ち構えているピンボールホールのようでさえあった。

雑踏は絶え間なく流れ続け、彼らの行進によって掃かれるものは倦怠、疲労、鬱屈の礫……。僕らは人波をかいくぐるようにして、そこを泳ぐように歩いていたのだ。かすかな夕映えが人々の跫音とともにアスファルトにたたきつけられていたが、僕は泳ぐのに必死で、たとえ何かを落としていたとしてもその何かをいちいち自分で拾うことはできないのかもしれないと考えていた。落とす物といえば、相場はコンタクトレンズとかだろうか。といって僕はさして視力が悪いわけでもないし、そんなものは常備してなどいないからもちろん取り落とす心配もなかったのだが、それでもなにか繊細な、コンタクトレンズみたいにフラジャイルな何かを失ってしまうような先立つ危惧がなくもなかったから、首を下げて何もない地面を、せいぜいが痰とかガムとか吸殻とかぐらいしかない路上を注意深く見やりながら通行していた。

そんな危なっかしい歩き方をしていれば、自然と誰かに身体がぶつかる。ぶつかれば、自然と謝罪の言葉が口を衝いて出る。街中を吹く風はいつでも冬のように冷たく、夜のように身を切る……。

僕はふと、隣に連れた彼女を覗き見た。柄にもないことだし、恥ずかしくもあったが、たまらなく彼女の手を握ってみたくなったのだった。それによって周囲からバカップルのように見られたってかまわない熱意でもって僕は彼女の方を向いたのだ。ばくばくばくばくと、僕の胸は不規則なビートを刻んでいた。

彼女は全然こっちの視線に気づいていやしなかった……いや、ひょっとしたら気づいていたのかもしれないけれど気づいていない素振りを貫きとおしていたのかもしれない。わざと髪をかきあげてみたりなんかしたりして、僕を挑発していたのだ。その時僕は、彼女さえ人形であるかのように見てしまった。実際に彼女が僕の手の代わりに握っていたのは、熊の人形だった。双眸が出来の悪いキュービックジルコニアのようなうるさいだけの黄色い光を放つ、熊の人形。斜めに突き刺してくるように感じられる夕日が僕を、彼女を、人形を街を、幻想的な色合いの中に呑み込んでいた。

僕はたまらなく幻滅を感じた。あらゆるものに対する幻滅だ。顔を上げれば眼につくネオンやイルミネーションの一切が、この世界の幻想性をあからさまにうたっているのに、その透徹された声に聞き入る誰もが冷めた表情で万物に接していた。新作映画のポスターの虎が、黄色い縞模様を躍らせんばかりにこちらを睥睨する。牙を剥いて、あわや僕の身を喰らわんと躍りかかる……路傍にちょこなんと建つ宝クジ売り場の店員が仏頂面をしているのは、「あなたに幸せ売ります!」とでかでかと書かれたキャッチコピーの真下だった。幸せとは、即席で手に入る億万長者の肩書のことなのだろうか。たとえばスクラッチのクジで当てた千円とかは、幸せと呼んでしまっていいのだろうか……。そう思いながら、僕はそういったあらゆるものに対して侮蔑のこもった眼をくれてやるにつけ、こっちが何かアクションを起こすのを待つばかりで自分からは積極的に何も言ってこない彼女なんかと誰が手をつないでやるものかと意固地になってきた。と同時に、なぜかそわそわと落ち着かなげに、僕は夕映えに染められ訳もなくかじかんできた手をどうしようもなくもてあますのだ。虎が一声、月夜に独りで在ることを嘆くかのように、哮りを聞かせた。

誰かの手を握っていたい。結局は即物的なその一念が、僕の中からコンタクトレンズなんかよりも大切にしていた何かを奪い去ろうとしていた。それだけは落としてはならないという操を立てたほどの、失くしてしまわないよういつもそばに置いていたはずのあるモノを――。

――僕はなぜか隙だらけだった彼女の手を取ることによって、すっかりうち捨ててしまったのかもしれないし……。

あるいは虎が、裂き喰ろうたのやもしれない。冷え性の彼女の手は、僕の体温とはずいぶん差があるようで、まるで肉感をともなわないように感じられた。

『ふぅん、そうやって付き合いだしたんだ』

 と、僕の脳内に直接語り掛けてくるような声で、電話の主はそう言った。

「ええ、僕の方から交際を申し込んだんでした」

『……あんたの方から?』

「ええ」

 電話の奥の方から、なぜかしら河の音が……轟々とうなる、腹を空かせた濁流のような声が、電話回線に運ばれてやってきた。電車の通りかかった音が、音割れのためにそう聞こえたものだろう。僕は特段気にせず、声の続きを待った。

『……彼女、なんて応えたの?』

「即答でしたよ。いいよって。嬉しそうに、鼻唄うたってたっけ」

『なんの歌?』

「夜明け前」僕は正直に答えた。「T.M.revolutionの」

『るろ剣の?』

「るろ剣の」

『いいよね、あの歌』

 電話相手が同意を求めてきたから、

「いいですよね、あの歌」

 と、僕もうなずくことにした。


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