三章~フィクションが与えるものとは過程です~
予知夢、というものがある。正夢と言い換えてもいい。
つまり、夢の中で神のお告げを受けたみたいなファンタジックな体験が、リアルな人生においても既視感のようにふっと現れ、眼を覆い、そうしてこれはいつぞやの夢の内容だぞと感じられてしまうことだ。
そう、デジャヴ。予知夢にしろ正夢にしろ、本当にたまたまこれから起こるべきことを百パーセントの形で夢中に幻視するなんてことはありっこない。だからこそ天啓だなどと先人はまことしやかに嘯いて各地で支持者を増やしていったのだろうが、蓋を開けてみればそのメカニズムは起こった結果とその直前に見た夢とを短絡しただけの、いうなればおっちょこちょいの勘違いがそれの正体だ。人は誰しも夢の内容を逐一覚えていられるものではない。いま起こった経験に近いような体験が既に夢枕にのぼっていただけのことを、人は後でことさら直結させて、因果づけて因縁めかせて大仰に語るだけなのである。まぁそんな野暮な説明はせずともこれくらいのことは誰もが分かっていることではあろうけれども、わかりきったことでもあるが、それでも迷信といったものが未だに口の端にのぼったり、あるいは占い産業がビジネスとして成立している背景があったりするのは、それを嘘として承知しながらも、言葉による説諭、はっきりわかる形で示されるテラピーをこそ人が需要しているからなのだろう。予知夢や、正夢といった錯覚も、そうであってほしいといういわば願望ありきで発生する特殊な現象といえそうだ。要するに嘘とは、ただに方便としてあるのみならず、予期した以上に僕らの人生を居心地よくさせているのだろう。それが夢で視た光景だと心底で思うことができた時、どんなにか愉快になれるかしれない。
明け方に見た夢を現実だとおめでたくも思えてしまうようなおバカさん達がいたからこそ、僕らは予知夢だとか正夢だとか――今風に言ってしまえばフラグだとかいったものを発見するにつけて面白おかしい気持ちになれるのだ。
――この朝のことだ。
何か気がかりな夢でも見ていたのだろう、僕は何かの音を聞きつけて、それを掴もうとして、寝台からズテンと無様に転げ落ちた。落下の際、藁にもすがる思いで、浮遊の恐怖が睡眠中とはいえ僕に生物的防衛を強いたものか、僕はベッドサイドから何かを手にしていた。それは通知のあったことをしらせるため、眼に柔らかな明滅を繰り返す僕の携帯だった。
僕は不思議でならなかった。それが落ち行く僕の身体を支える何かの用をなすとも思えなかったし、
接地の衝撃を殺すにたる実用的なクッションに代わるとも、思えなかったからだ。嘘でも思い難い。
なのに僕は、結果として彼女からの別れの言葉が入力されただけの、きわめて寒々しい、空々無とした寂寞の言葉だけを宿したそれを手にすることに一瞬かぎりの情熱を燃やした。
むろんそれは一瞬のことであるから、掴んだものが何かの便益にかなうだとかの計算がはたらくとは到底思い難い。しかし、思えらく瞬間の情熱は不変の誓いよりも重いものだろう。たとえば浮遊の中で、無味乾燥としたメールを運んでくる携帯を手にした刹那。それが果たして、一時の熱情、一時に湧き上がる人間の常には圧し殺されていた力を解放してまで得る価値のあったものなのか、
それほどまでに僕がそれを欲していたのか、まったくわからない無意識が求めた産物としての別れの言辞……。
僕は、僕の今後の命運をめぐって収奪を繰り返す因果というものを考えた時に、それがまったく理にかなわないものであるようにも、また道義上よろしくない事柄に関してやたら軍配を上げようとしたがる身勝手な煙たい存在のようにも、それを感じてしまうことがある。確信はない。ただ、レム睡眠中にもとめて伸ばした腕が、別れのメールを掴んでしまったという事実には、いくばくかの反省のようなものを感じないわけでもない。無意識とはいっても、それはもしかすると、僕の本能だったのではないかと、因果がそう告げてもいるようで……。
つまり僕は、どこか非常に微妙な点において、彼女と別れたいと痛切に――真から痛切に――そう思っていたのではないだろうか。心ならずも、そう思ってしまう。思いたくなってしまう。父親の死に際にまで居合わせてくれた、何かと世話を焼かせっきりだった彼女との間に、僕の方から一直線に、一方通行に、罅を生じさせていたのではなかったか。吹き付ける強風は今でも窓をうち叩き、内と外との静動の差を如実に物語っている。そうだ、そうに違いない……僕は自分でも気づかないくらい巧妙に、きっと自分自身をたぶらかしてもいたのだ……そうでも思わないことには……。
僕は極端な静けさが不気味なほど周囲を凝固させてしまっている部屋の中で、僕自身に因果を含めるように、別れを、すなわち終わりというものに対する人の取りうべき最上の、ほとんど理想といってもいい態度というものを考えてみた。
僕は今後、彼女とはもう会うまい。ソリが合わない。相性が悪い。そもそも、なぜ付き合った?
擦れ違い続ける相手と、人は付き合い続けられるものなのか。答えは、否だ。
……その決意を固めた途端、気のせいか風は一段と強まったようで、割れんばかりに窓がしなったように見えた。




