十三章~僕はただ、誰かを愛しただけなんだ~
『モノレールの事件は……、まぁ、ほんと凄かったよね。連日ニュースで持ち切りだったじゃん』
「そりゃぁ、そうでしょうよ。実際、多くの人が亡くなっていたわけですし……」
『あんたは生き残ったのにね』
「幸運にも」と僕は、電話相手にちょっと同調したようなことを口にしながらも、しかしながらと返す。
「けど、実際多くの人が亡くなった中で、なんで僕だけってのはありますよ。よりによって、どうして僕が生きているんだろうって……」
『選ばれたわけじゃないよ。偶然、たまたま』
「クジ運ですよね」と僕は、笑って言った。
『で? そんな大変な目に遭いながら、あんたはその後順調に恋愛をしていったと……多くの遺族が涙を流し、悲しみに明け暮れる中、我関せずとばかり、生き残った者同士の恋愛を謳歌していたのね。それが行き擦りにすぎない乗客たちに向ける、せめてもの鎮魂とばかり』
「……そんな言い方って、あんまりですよ」
僕だって、何もあんな大きな事件が起こったさなかに、まさかあんな出逢いがあったなんて、思いにもよらないことだったし……なによりそれが出逢いではなく、再会であったことには、どこかにまします何者かの配剤を疑わざるをえない。
現実に、物語的な手を加えてくれるな、と。
……僕は事故直後、手に大量の花を抱えて僕を見舞うために病室に入ってきたマミーを上から下までつくづく眺めた。
マミー。そう、無傷の患者がいたずらに占領している個室をおとなったのは、ミイラだった。
ミイラ姿の、女性。脚にも腕にも胴体にも、頭にさえ繃帯をぐるぐる巻き、自分自身も病院で着せられる検査服に身を包んだ、妙齢の女性だった。
「……このたびは、助けていただいて、ありがとうございました……」
僕は最初、彼女が何を言っているのかまったくわからなかった。数秒間、その気の毒なナリでかしこまってみせる彼女を呆然と見つめながら、激しく閃光のようにフラッシュバックする記憶があり、その意味に思い当たり、たまらなく自分を責め苛んでから、やっとのことで、
「ああ、いえ、べつに……」
と、自分自身に嫌気がさすあまり、まったく反応らしい反応を取り繕うことができなかった。
罪障感、というにはいささか足りないが、それでも僕はこの時に、事故直後の呆けた脳から段々と正常な状態に立ち返っていくあたりで、己のあさましい生き恥を痛烈に感じざるをえなかった。
傷どころか、痛みすらなかったが……胸のどこかに、自分自身を嘲るかのような鉄拳を打ちすえられたようで……僕はできることなら、事故で亡くなったという多くの乗客たちと今の立ち位置を代わりたいと思った。座席をゆずりたいと、切に思った。命を落としたあなた方全員のために僕一人が死んでしまったほうがよかったのだと、心底……。
『なんだかキリストみたいなこと言うじゃない。それはもちろんおためごかしとかじゃなく、本心からなんでしょ?』
と、電話の声が僕に尋ねる。からかうような、突き落とすような声で。
「……ええ、もちろんですよ。他の誰かに喋っているわけじゃないんですから、これは本心からそう思ってます……なれるものなら僕はこの身を人身御供にされたってかまわない。本当に、それで失った命が蘇るのなら」
『なんで?』と、彼女は面白いトークの続きをせがみでもするかのように、訊いてくる。『なんでそう思えるわけ? めっけものじゃない。たくさんの人が死んでいるのに、自分だけ生還できたなんて、拾いもんじゃないの。どうしてその命を、あたら粗末に扱うわけさ?』
「だって僕は……彼女を助けたわけじゃないんですよ」
『助けたわけじゃない』
「僕が彼女を抱いたのは……咄嗟に抱いてしまったのは、彼女を助けるためでも、恐怖で心細かったからでもない……ああ、せめて後者であったらどんなにかよかったろう……僕は、僕は、自分が助かるために、藁にも縋る思いで、見込みがないと知りながら、それでも彼女を当座しのぎの緩衝材にしてしまったんです……!」
『あっはは。バカだねぇ、人一人抱えたくらいで、助かるわけないじゃん。モノレールが落下したんだよ? 高さと重さから落下速度割り出して、衝撃の度合いを計算してごらんよ、なにを抱こうがなにしようが助かるわけがないんだよ』
「僕もそう思ってました……だから、ままよとばかりにそうしたんですよ。自棄っぱちになって、本当の意味で死ぬ気になって、そうやったんです……でも、それが……この有様で」
『無傷の生還ねぇ、ふぅん、いい具合にゴシップなるね。世間の注目集まっちゃうよ、有名人になれちゃうよ』
「……僕は彼女に、なんて応えたらいいのかわからなかった。正直に、あなたを救ったわけじゃない、僕自身が助かろうとして、僕はあなたの身を……なんて話、したところで下手な謙虚と受け取られるにきまっている! 白状しようにも、実際に、僕らが奇跡的に生還してしまった事実ばかりはぬぐえないんだから、本当のことを、証明できない……!」
『証明、ね……裁判で無実を勝ちとるみたいな話ならわからなくもないけど、この場合、自分から罪を背負おうとしてんだから始末におけないねぇ。ほんと聖人君子かなんかかよ、あんた。もっと俗にまみれなよ。和光同塵ってやつ。そうすりゃあたしにもあんたの気持ち、わかってきそうなもんだけどね。ま、それはいいとして……で、あんたがまともに口を利けないでいるうちに、向こうからトドメを刺してくる一言、ずどんと喰らったんでしょ?』
……僕は病院の個室に佇む、繃帯まみれの人間の……その奥から、懐かしい香りを嗅ぎ取った時の衝撃を思う。水に濡れそぼつ、窓辺とカウンターとの距離が再現された。
『「……崎村くん、だよね……?」』
電話の声の主が――なんたる咽喉仏をしていてか――黙り込んでいた僕を突き刺した強烈な一言を、ものの見事に再現していた。
「……カガミ、さん……?」
劇的とはこのことで、僕は高校時代の知り合いと再び巡り会い――、
――久闊、というほど間は空いてないけど、久しぶりと挨拶を返すことも忘れ果てて、ただただ呆けていた。ほんと、なんて物語的因果なんだろうか。ご都合主義にも程がある。
僕は再び、彼女の物語に登場してしまった……これ以上ないくらい、重い荷となって……。
彼女の眼を、僕は知っていた。眼帯までして、ガーゼだらけで顔はほとんど隠れていたが、その眼だけでも彼女だということが、僕にはわかる。はっきりと、伝わる。片腕に抱かれた見舞い用の花は、役割をわきまえた造花のように、死んだように押し黙ってぐったりしていた……。
『あっはは。助けられた相手はケガをして、助けた当人はけろりとしていて、あまつさえ見舞われる立場にあろうとは、滑稽これ極まれり、ね』
と、電話相手は楽しそうにけらけらいう。
「だから僕は、助けたわけじゃないんですよ……むしろ僕はそのことで、彼女に詫びる筋なんであって……」
『それなのに、彼女をモノにしちゃうわけでしょ? 高校時代の友人であったのと、助けた恩義を最大限利用して?』
「違います」僕はそれだけは強く、断固として否定する。本当に違うのだから。
「違います。僕は、胸が張り裂けそうになるくらい、何度告白しようとしたかしれません……本当は僕は、きみを助けたわけではないと……それに、きみとはもう、あの河の時に終わっていたんだと……!」
『終わってたの?』電話相手は、声に棘を含ませて言った。
『それはあんたが勝手に終わらせただけでしょう? 得手勝手に妄想をふくらませて、彼女の気持ちとは向き合わず、あんたなりの解釈をして、その後無理に彼女と距離をおいた……彼女、その後どんなにか淋しかったろうね……他の女と親しげに声を交わしているあんたを行く先々で覗くにつけ、どんなに腹立たしく思っていたろうね? あんたと違って、自分は本当に、ひょっとしたらあんたにとっての命の恩人かもしれないのに、他の女と同じ大学に行く約束まで相談もなく取り交わしちゃってさ……彼女の気持ち、あんた考えたことないでしょ?』
電話相手は、ずけずけと僕の中に立ち入ってきた。どうしてそんなことまで……なんで、知っているの?
『無意識だから』電話の声は、僕に告げた。無情の事実を、僕にまざまざと突き付けた。
『あたしはあんたの、無意識だからさ。わかってるんでしょ? あたしの声は、あんたの妄――』
「――‼」
僕はたまらず電話を切った。




