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不吉なる巫言

 その一室は代官所の中でも奥まった一角にあった。


「おばばさまはこちらです。では……わたしめはここで……」


 仁兵衛は一礼すると、そそくさとその場を後にする。

 野菊には、そんな庄屋のようすが少し気にかかった。


(やましいことでもあるようなそぶりじゃの?)


 しかし、今はそれより重要なことがある。 

 詮索は止め、野菊は室内に意識を移した。

 

「……失礼する」


 一声かけてから、障子を開く。


 のぞきこんだ部屋の中心――小柄な老婆がちんまりと鎮座していた。

 老婆はまぶたを閉じたまま、それでも野菊のほうへと向き直る。


「……お待ちいたしておりもうした。野菊さま」


(こやつ、やはり……)


 名乗らずとも野菊の名を察し、深々、頭を下げた老婆。

 野菊は自分の予感が当たったと確信する。


「……そうか。やはりそなたは『歩き巫女』であったか?」

「はい。巫女であった時分はあおいと名乗っておりました」


 老婆は頭を上げ、光を失った目を野菊へ向ける。



 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



 野菊が口にした『歩き巫女』とはその名の通り、自らの足で各地を歩いて回り、祈祷をなりわいとしていた流浪の巫女のこと。

 恵まれた容姿の娘が多く、ときには祈祷だけではなく売春を行うこともあったという。

 各地を旅し、祈祷や売春など他者の秘密に触れることも多い彼女たちは情報収集にうってつけ。

 それゆえ『歩き巫女』は戦国時代の諜報員たる『忍び』とは縁が深い。


 葵と名乗った老婆は、その歩き巫女であったという。 

 そして――、 


「……あなたさまも、わたしと同じ血を引かれておりますな?」


 老婆の言葉に野菊も無言でうなずく。

 たしかに野菊の母もまた歩き巫女の一人であった。

 当時、武田家に仕えていた高坂甚内と配下であった母が結ばれ、生まれたのが野菊だったのだ。


 さて、この歩き巫女のなかには、ときおり異能の力をもったものがいる。

 野菊の母もそう……そして野菊も、わずかながらその能力を受け継いでいた。

 老婆はその力を同族のにおいとして嗅ぎ取っていたのだ。


 ちなみに野菊の持つ力は『未来視』である。

 標的が移動する位置を予測し、狙い打つことで百発百中の結果を得ているのだ。

 野菊がここまで見せた神業の源は、この異能の力であった。

 もちろん、標的にあやまたず矢を当てる技量と、強弓を弾く力は鍛錬の成果ではあったが――、

 

(もっとも……自分の力は、わずか数秒先を見通せるだけ。歩き巫女の中には、さらにはるか先の未来を読める者がいたという)

 

 野菊はかつて父から聞かされた話を思い出す。


 ――それが、いわゆる『予言』あるいは『先読み』と呼ばれる力であった。


 野菊が老婆の正体を歩き巫女と察したのも、予言の力があるときいたからだった。

 そして老婆が野菊の名を知ったのもこの力のたまものであろう。

 


 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



「……光を失う前のわたしめに大した力はなく、ただの連絡役でございました」


 老婆――葵が語るには彼女は『抜け忍』であったという。

 

 武田家滅亡後、透破衆はちりぢりになった。

 その後、緊急時の集合場所へ、生き残りが三々五々集まったのだが――、

 しかし、葵は透破衆のもとへはもどらなかった。


 ……いや、もどれなかった。


「武田滅亡のおり、敗残の雑兵(ぞうひょう)に襲われまして……その際に頭を打ち付け、目覚めたときに、この目は光を失っていたのでございます」


 さいわいなことに野山をさまよっていたところを地元の豪農にひろわれ、その家で働くうち、いつしか跡取り息子に気に入られ、嫁として迎えられたのだという。


「幸か不幸か、物が見えぬようになって以降、予言の力が強まりまして、夢の中で未来のことを見るようになったのでございます。野菊さま。あなたさまの顔も声も、お名前も……あの化け物の夢と同時に出てまいりましたので……」


「……そうか」

 

 ここまでの話をだまって聞いていた野菊はうなずく。


「姫さま、なにとぞ、お許しを……」


 老婆は手をつき、慙愧ざんきに耐えぬ声で罪をわびる。

『抜け忍』とは結束を重んじる忍びにしてみれば死活問題である。ゆえに、ただ死なせるだけでなく家族知人すらも拷問のはてに殺す極刑をもって対処するのが忍びの習わしであった。

 老婆は、その罪と罰の重さを知るゆえに、こうもへりくだった態度を見せたのだが――、


 もっとも野菊に、今さら老婆を罰する気持ちなどない。

  

「その目なれば合流できなんだこともやむをえぬ。見えぬようになってから十二分に苦労したであろう。ぬしの償いは済んでおる。……いや償うような罪すらそもそも無いのじゃ」


 いたわるように告げた野菊に、老婆は声を震わせる。


「……もったいないお言葉にございます。ですが主人のおかげで苦労などなく、子にも恵まれ、平穏で幸せな日々をおくらせていただきました。あのとき無残に殺されていった仲間にもうしわけないとわびつつ、ここまであさましく生を重ねてまいったのです」


 老婆はふたたび深々、頭を下げる。

 

「なに。生き残ったおぬしが冥福を祈ったおかげで、成仏できた仲間もおろう」

「……これまた、ありがたきお言葉にてござりまする」


 なぐさめる野菊に平伏する老婆であった。


 しかし、その後――、

 葵はそわそわと見えぬはずの視線を野菊の左右に送る。

 野菊とともにいる正重や小夜が気になっているらしい。


「どうしたのじゃ?」

「それで、その……姫さま、少々内密のお話が……」


 どうやら野菊にだけ言いたいことがあるようだ。 

 それは正重や周りの者たちにも察せられたようで――、


「おお。つもる話もあろう。我らはここで失礼いたそう」

「ふん。負け犬同士、好きなだけ傷のなめあいをしておるがいい」

 

 気をきかせた正重は他の者たちを連れて、その場を離れようとする。

 小夜もまた、ののしりながらも再会を邪魔しようとはしない。

 

「ええ。短筒の整備などもいたさねばなりませんね」

 

 と、続けた胡蝶へ、左門が口をはさむ。

 

「ならば、あちらに武具庫がある。元が砦ゆえ武器はあれこれそろえているが、なにぶん使えるものがおらんのでな。だから好きなものを好きなだけ取っていくといい」

「それは助かる。野菊の矢も切れておったようだしな。この状況では替えの剣が必要になるかもしれん」


 と、礼を言う正重。

 一方、胡蝶は上目づかいでさらなる催促をする。


「あとは玉薬(火薬)があればいうことはないのですけど。少々手持ちが心細くなっております」

「――おい、胡蝶。さすがにずうずうしすぎるぞ」


 注意する正重だったが、左門は鷹揚に笑った。


「なに。玉薬も矢も十分すぎるほどにある。ここのところ妙に獣が増えてな。『田畑が荒らされた、なんとかしてくれ』と民から陳情が上がっていたのだ。あるいは……あれが化け物どもの予兆だったかも知れんが……ともかく狩りのために備えは十分してあるということだ」


「まあ。ならばまた爆雷を作ることができましょう。ありがたいお話です!」


 胡蝶は嬉々として言う。

 正重も、それならば……と、頼みを告げることにした。


「すまぬ。武具のついでと言ってなんだが――糧食などを用立てていただきたい。貴重な物資を横取りするようで心苦しいが、我らには必要なのだ」


 正重の願いに左門は首をかしげた。   


「はて? それはかまわんが。どのような御用で使われるのか?」

「あの化け物、『凶屍』がどこから来ているのか、なにゆえ湧いたのか……調べねばならぬ。ここを切り抜けたのち、我らだけでさらなる奥地へむかう必要があるのだ」


 答えた正重の目には己が責務を果たさんとする意志があった。

 左門は深くうなずく。 

 

「ふむ。大変なお役目ですな。ならば用立てさせていただこう。庄屋どのが運びこんだ物資の中には乾飯(ほしいい)などがあったはずだ。案内いたしましょう」

「おお、かたじけない」 


 ――などと口にしながら、正重たちは部屋を去っていく。



 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



 去りゆく正重らの背中を見送り、野菊は老婆に告げる。 



「さあ、望み通り人払いしたぞ。話をきかせてもらおうか?」

「……ええ。これで邪魔者は消えましたな」


 老婆は先ほどまでと、がらり口調を変えていった。

 その冷たい口調に背筋の冷える思いをしながら、野菊は問う。 


「どういう意味じゃ? 葵」 

「わたくしは(さむらい)どもを憎んでおります。戦のせいで仲間が大勢死に、わたしの目も奪われた。すべては武家のせい。そして今また、侍が欲得のため化け物を掘り返したせいで……せがれとその家族が殺されてしまいました」

 

 淡々としていながら情念のこもった老婆の言葉に、野菊は肩を落とす。


「……そうか。すまぬことをした」


 今は自分も徳川家のため働く身。

 ならば老婆の恨みつらみを受け止めるべきかと思ったのだ。 


 ――だが老婆は首を横に振る。


「いえ。姫さまが謝ることではござりませぬ。それに実は恨みなど、もうどうでもよいのです。どうせ、すぐにわたしはせがれたちのところへ逝けるのですから……」


 恨みなど、どうでもいい――その言葉に嘘はないらしい。

 光を失って久しい目に恍惚の涙を一滴浮かべ、悟りきった表情で老婆は言う。

 だが、口にしたのは穏やかならぬ発言である。それを世迷言(よまいごと)と斬って捨てられぬのは予言の力を知るせいだ。


 ――老婆の淡々とした口調が、野菊の心に不安をもたらす。


「せがれのもとへ逝けるとは……どういうことじゃ?!」


 問いただすが、老婆はその先、一言も話そうとしない。

 さすがに業を煮やした野菊は声を荒らげる。


「……はよう申せ」


 つめよる野菊へ、老婆は淡々と告げた。


「――我が身の行く末など、もはやどうでもよいこと。それよりも姫さま。あなたさまの身近に裏切り者がおりますぞ。そのせいであなたさまが苦境に陥る姿を夢に見たのです」



 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



「……なに?」


 老婆が発した言葉――信じられずに野菊はうめく。


「同族としてのよしみゆえ、こればかりは伝えたく、生きながらえてきたしだいにございます。ああ……肩の荷がおりました。これで心置きなくせがれのもとへ逝ける」


 そこまで告げると老女はほっとしたように深く息を吐く。

 一方、野菊は戦慄していた。


「裏切り者じゃと? 身近ということは、まさか我ら一行の中に? そのものはいったいだれじゃ?」

 

 老いた巫女が告げたのは尋常ならざる言葉である。

 野菊は血相を変え、矢つぎばやに問うが――、 


 しかし、老婆は首を横に振る。


「……いえ。だれかは分かりませぬ。ただ姫さまのお怒りになる顏。そして『裏切り者』とさけぶ姿を夢に見たのでございます。嗚呼(ああ)、わたくしにもっと力があれば……。それならば息子たちも救えたのですが……」

 

 と、老婆の悔やむ声は弱り切っていた。

 ここまで見せてきた気力が嘘のように、おとろえた姿を見せる。


「ならば、その夢の内容――覚えていることを一つでも聞かせてくれ。このとおりじゃ」


 老婆の姿は哀れだったが、事はもはや一族の再興だけでなく、天下の安否がかかわる一大事だ。

 野菊はすがるように問う。


「覚えていること? そういえば……黄金の……」


 と、首をかしげた老女がなにかを思い出しかけるが――。


 しかし、そこで――、


「わああああああああッ!」



 ――絶叫が上がり、野菊たちのいる座敷まで響いてきた。



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