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屍の砦

「……ふう」

 

 井戸の淵から正重の頭がのぞいた。

 腰の引けた情けない姿勢ながらも最後の数段をなんとか上りきる。

 ようやく安どのため息をつき、正重は周囲を見回す。


(ここが抜け穴の先にあるという砦か?)


 三人娘、そして平太の背中が見える。井戸のまわりに他に人はいない。

 しかし、正重が視線をさらに遠方にめぐらすと、


「おや?」


 気づいた正重の真っ青な顔に喜色が浮かんだ。

 向こうでは夜空を焦がして松明が燃えている。


「どうやら生きのびたものがおるらしいの?」


 と、喜び勇んで野菊に声をかける正重だったが、


「…………」


 三人娘はみな無言のまま。張りつめた態度から緊張が伝わってくる。


 その理由はすぐにわかった。

 彼女たちは鋭敏な聴覚で近よる足音と人の気配に気づいていたのだ。


「いたぞ!」


 ばたばたといくつかの足音、殺気だった声が響いた。


「どこから入った!」

「分かりませぬ。見回りに出ましたところ、人影が目に入りましたもので!」


 言葉を交わしながら走り寄ってきた人影が、野菊たち一行を包囲した。

 現れたのは農民に武士、さまざまであったが、槍に刀に弓といった武器を手にしていた。

 月光の下、こちらに向けられた刃がぎらぎらと光る。あきらかに歓迎などされていない雰囲気である。


「よせ、おぬしたち! われらは――」


 正重があわてて声をかけるが、向けられた武器と殺気は収まるようすがない。

 頭に血が上っているようで、目の前にいる野菊たちを凶屍と決めつけているようだ。


 そして、さらに――


「早く! やってしまえ!」


 けしかける声が響くと、ビョウッ、警告もなく矢が放たれた。


「ハッ!」


 身構えていた小夜が一歩前に出た。すでに小太刀が抜刀されている。


 バシッ!


 なんと小夜はその小太刀で矢をたたき落としていた。

 暗がりの中、飛来する矢を短い小太刀でとらえるとは――その眼力も技量もただごとではない。


 一方、野菊も負けてはいない。身をひるがえすと小夜によって叩き落された矢をひろう。

 背負っていた弓をかまえ、引き絞るやいなや弓を放った。


 ビョウッ!


 野菊の射返した矢は空間を切り裂き、あやまたず敵のかまえた弓に襲いかかる。


「ぎゃっ!」


 矢が直撃した男が弓を取り落とし、うずくまる。

 この暗がりの中、武器だけを狙って当てるとは――、

 野菊が見せたのも、まさしく平凡ならざる力量と言える。


「おのれェ!」


 野菊と小夜の神業を目にして、襲撃者たちに恐れの色が広がった。

 そして、ようやく自分たちが相手しているものが、生ける死体『凶屍』ではないと気づく。


「おい、どうやら人間のようだぞ?」

「いや、だが、しかし……」


 高ぶった殺意はなかなか収まりがつくものではなかった。

 年端もいかぬ少女たちが見せた得体のしれない力量も警戒心を生む。

 かくして一触即発の雰囲気が流れ、不毛なにらみあいは長々続くように思われた。


 だが――、



 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



「おぬしたち、よさぬかッ!」


 夜の闇を裂き、朗々たる声がひびく。


「そやつらは生きている人間のようじゃ! 手を出すでない!」


 不毛なにらみあいを止めたのは走ってきた侍だった。

 赤々と灯る松明に照らされて、大柄な体と男臭い顔が闇に浮かぶ。


「左門さまッ」

「新庄どの」


 この人物の登場だけで、野菊たちと対峙していた男たちから緊張が抜けた。


「すまぬ。おぬしらもまわりの状況は理解しておろう? この修羅場に、みなが殺気立っておるのだ」


 どうやらこの男が首領らしい。

 彼はその魁偉な体を張って野菊、小夜と男たちの間に入り、暴発をおさえていた。


 まずは頭を下げてみせる、その真摯な姿に人柄を感じ取り、野菊と小夜も緊張を解く。



「……ようやく話の分かる男が出てきたようじゃの」



 かまえていた弓を下ろし、野菊は言う。

 かくして、場から殺意が抜けたところで互いに名乗り合うことになった。



「それがしは新庄左門しんじょう さもんと申す。さ、こちらへ」

「……それがしは大久保正重です」

「ささ、立ち話もなんですから」


 お互いの持つ情報を交わすことにして、正重たち一行は砦の中、一室に案内された。



 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆


 

 代官所内部、正重たちは小ぎれいな座敷に通された。

 そこで正重が代表して一行の素性を語る。

 


「……というわけで我らは本多佐渡守さまの命を受け、ここ甲斐の国へ参ったのです」


「さようでしたか。先ほどは失礼いたしました。江戸からの御使いとはいざ知らず。そして、お連れの娘たちは女忍びだったと……道理でお強いわけだ」


 左門は驚き、非礼をわびたあと、ここまでの事情を語る。

 周辺の村も凶屍に襲われており、かつて『野伏砦(のぶせりとりで)』と呼ばれたこの代官所に生き残りの民が逃げ込んだのだという。

 それから数日、立てこもって外からの助けを待ち続けていたそうだ。


 だからこそ正重たちの来訪が大きな希望になったらしい。


「――抜け穴ですと!? そこから脱出できるやもしれませんな?! あとは手に持てるだけの食糧と武器、それに松明(たいまつ)か」


 話を聞かされるなり、左門は目を輝かせ、脱出の算段を練り始める。


「いや、いけませぬ。井戸の上り下りは老人や女子どもにはむずかしい」


 隠し通路の実情を知る正重があわてて止める。


「そうじゃな。隠し通路を抜け、四姓村に着いたところで安全とも言い切れぬ」


 めずらしいことに野菊も言葉を合わせて止めに入った。


「さようか……なかなかままなりませぬ、な」


 左門は肩を落とした。


「備蓄の食料も水も残っている。だが、みなこの状況に疲れ果てております」

 

 深いため息とともに、左門は砦の門扉へと視線を向けた。

 がんじょうな門が打ちつけられた板でさらに補強されている。今すぐに破られる危険はない。


 だが門扉の向こうから遠く低く、凶屍のうめく声が聞こえてくる。

 化け物に完全に包囲されているという事実を常に意識させられているのだ。


「閉じこめられて袋の鼠。この変事を上役に報告することもままならない。我ながら、まったく情けないことです」


 落胆し、自嘲した左門の言葉を、正重は否定する。


「あのような化け物に急に襲われながら、命を保たれた。そればかりか村人を助け、この代官所に逃げこませた。実に大したものではありませんか?」


 と、なぐさめた正重。

 だが左門は首を横にふった。


「なに、ほとんどは庄屋どののおかげです。村人を迅速に避難させ、食料や水の準備を整えていたのも彼なのです」


 左門の言葉に正重は疑問を感じた。


(なぜ一介の庄屋が、このような異常事態に備えることができた?)


「おかしな話じゃのう?」

 

 野菊も首をかしげている。

 そんな二人の疑問に、左門はこう答えた。


「さ、それがしにはなんとも。……では仁兵衛じんべえどの本人を呼んでまいりましょう」



 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



「こちらが仁兵衛どの。彼のおかげで村人みなが救われました」


 と、左門は伴ってきた人物を紹介するが――、

 その初老の男、仁兵衛という名の庄屋は暗い顔で首を横にふる。


「……いえ、わしの手柄などではない。おばばさまの力があればこそです」

「おばばさま……とは?」


 次々に出てくる人名に正重が目を白黒させて問う。

 

「はい。だいぶ老いておりますが予言を行う巫女が、この村にはおりまして……我ら村人は『おばばさま』と呼んでおります」


 と、仁兵衛は疲れきった声で答えた。


「予言の巫女?」

 

 聞かされた単語に、正重はあきれたような声を出す。


(……生ける死者だけでも不可解な事態。そこへさらに予言だと? 頭がおかしくなりそうだ)


 内心そう思いながらも、正重は庄屋仁兵衛の話を聞き進めていく。


「――そのおばばさまが今日の危難を予言していたのです。しかし急に『化け物に襲われる』と言われましても、なにが起きるやらはっきりしません」

「それは……たしかに」


 当然と言えば当然であった。いや、ふつうならば年寄りの世迷言と切って捨てるはずだが……。

 けげんに思った正重の顔色を読み、仁兵衛はうなずいてみせる。


「お疑いはごもっとも。しかしおばばさまの予言が外れたことは昔から一度もないのです。それゆえ水と日持ちする食料だけは代官所に運びこんでおいたのです」

「ほう、それで皆、生きながらえたのか?」

「ええ。ですが……まさか、こんなことになるとは。もっと気をつけておれば……」


 深い後悔を浮かべて仁兵衛は言った。

 よく見れば紅く充血した目の下、黒々とくまが浮いている。


「いやいや。一人の力ではどうにもなりますまい」


 と、なぐさめながら正重は庄屋のようすを疑問に思った。


(村の長としての責任感ばかりではなく、なにか別の理由がありそうだが……)


 なにがあったか、正重は仁兵衛に訊こうとした。



 ――しかし、その寸前で野菊が口をはさむ。



「庄屋どの。その巫女とやらはどちらにおられます?」

「……む、貴女(あなた)さまは?」


 ここまで野菊は正重の後ろで見事に気配を消していた。

 それがふいに話しかけてきたのだ。庄屋はけげんな表情を浮かべた。


 だが野菊はかまわず、さらに前に出ると一礼する。


「お初にお目にかかります。庄屋どの。……わたしの名は高坂野菊と申します」


 野菊が告げた名に庄屋は覚えがあったようだ。


「こうさか……高坂?! ではもしや、高坂甚内さまのお身内か?」

「ええ、甚内は父です」


 その野菊の声と表情だけで、すべてを理解したように庄屋・仁兵衛は深くうなずく。



「……なるほど、わかりました。おばばさまのところへ案内いたしましょう」



 


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