隠れ道
「……凶屍とやらをくわしく調べねばならん」
依頼を告げた正信の目には老人とは思えぬ力がある。
強烈な眼光は為政者としての使命感がもたらすものだった。
「いかなる生態をしておるのか? どれほど生命力があり、どれほど凶暴なのか? そしてどのように戦えばやつらを殺せるか? どれだけ兵がいればやつらを殲滅するに足りるか? 知るためには……そなたらの力がいりようなのだ」
と、強い口調で言う。
「そして、さらに言えば……な」
そこで老人は徳川家の忠臣としての顔も見せる。
「……佐渡ものう、石見ものう、江戸からはちと遠い」
謎かけのような言葉だったが、野菊たちはそれだけで理解した。
北陸の佐渡金山、山陰の石見銀山、どちらも幕府の重要な財源だが、江戸から距離がありすぎる。有事の際、守りきるのは難しい。
その点、江戸から一日、二日の距離の甲府にある金山――それも膨大な埋蔵量があるとなれば、軍事的にも政治的にも大きな価値がある。
「凶屍だけでなく、埋蔵量に金の純度、隠し金山がどれほどのものか見極めてもらいたい」
そこまで聞かされ、野菊たちは老策士の思惑を理解した。
軍勢を送っては衆目に触れる。隠し金山と凶屍、どちらも秘したい事実であるから、これはよろしいことではない。
それでいて化け物が跋扈する一帯の調査は徹底的に行わねばならぬ。
少数精鋭にして万全な調査能力がいるならば?
……もはや忍びを使うしかないではないか。
(なにより、ここまで深く事情を知らされれば断るわけにもいかぬ)
野菊は内心で思う。
しかし、もともと野菊は一族の復興のため、どんな難題も受けるつもりでいた。
それは小夜や胡蝶にとっても同じこと。
徳川家によって天下が統一に向かうにつれ、戦乱は遠くなりつつある。
それは忍びという存在が不要になる時代ということでもあった。
実際、収入の道を断たれた忍びは窮乏していた。
一族を養うためには悪行と非道を働かなければならぬほどに……。
たとえば小夜の祖父――風魔衆の頭領・風魔小太郎も北条氏の滅亡後、江戸で盗賊を働くようになるまで身をやつし、最後には捕縛され、刑死している。
幕府もまた小夜にとって恨むべき祖父の仇。
だが背に腹は代えられぬ。
だからこそ小夜は野菊を恨む心をよけいに強くしていたのかもしれない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
そして小夜から恨みを受ける野菊のほうも幕府に対する複雑な思いをいだいていた。
(わたしの父、高坂甚内もまた幕府に好いように使われたあげく、切り捨てられているのだがな)
徳川家は膝元を荒らしまわる盗賊、かつての『風魔一族』を持て余していた。
だが移封されてからまだ日の浅い徳川家とちがい、風魔一族は関東に根を張って久しい。
年季が大きく違う。そして彼らを指揮するのは稀代の忍びである小太郎である。並みの武士の歯が立つ相手ではない。
本来、徳川家の忍びは『伊賀衆』である。
だが当時、彼らは徳川家最大の敵、豊臣家への工作に全力を注いでおり、人員は関西に集中していた。
――となれば関東に割く人手はない。
(そこで選ばれたのが武田家に仕えていた忍び『透破衆』。その頭目だったのが、わが父――高坂甚内)
甲州における隠れ里での穏やかな日々の終わり――関東での死闘の始まりの日を野菊は鮮明に思い返す。
武田家滅亡後、甲州の隠れ里に潜んでいた甚内を呼び出し、幕府はこの任につけた。
勇躍し、江戸に駆けつけた甚内は、苦闘のはてに風魔小太郎を捕まえた。
かくして甚内は首尾よく任務を果たし、その功でもって関東における裏社会の抑え役となった。
風魔衆の残党を取りこみ、一時は威勢を誇ったのだ。
――しかし十年後、病に倒れた甚内は突然、罪に問われることになる。
(幕府の命を受けて遂行した汚れ仕事の罪を父上は押しつけられたのだ)
当時のくやしさを思い返し、野菊はぎりりと唇をかむ。
「……どうやら、わしは用済みにされたようだな」
と、自嘲した父の表情が幼かった野菊の胸にも深く刻まれている。
(父上は病に苦しんでいたところを捕縛され……処刑されてしまった)
だが、かくも酷な仕打ちを受けようと幕府の命に従わねばならない。
父の跡を継ぎ、透破衆の頭目となった野菊には一族の生活を守る必要があったのだから。
「これよりそなたが一族の長じゃ……皆を頼む」
捕まる前日、甚内が遺言したそのときから、一族を守ることは野菊にとって何より優先すべき責務になっていた。
そんな野菊の内心を知ってか知らずか、試すような表情で本多正信はいう。
「頼むぞ……首尾よく終わらせたなら、そなたたちを悪いようにはせん」
「……ありがたき幸せ」
胸のうち、抑えがたい憤怒を無理やり抑圧し、野菊は頭を下げる。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ところは変わって甲州――樹海深くの地下道にて。
野菊も小夜も顔をそむけたまま、一言も話そうとしない。
照らすものは頼りない松明の明かりだけ、暗く湿った横穴に重苦しい雰囲気が漂う。
かような緊張、常人にとって神経が持つものでない。
沈黙に耐えかねた平太が話しかけ、正重が応える形で会話が始まっていた。
「……というわけでな、我らは馬を飛ばし、甲州へやってきたのだ」
「へえ」
「もっとも土地の役人と落ちあって話を聞くつもりが街道から森に入ったとたん、いきなり凶屍に襲われてな。このざまというわけだ」
「そうか。大久保さまも大変だったんだね?」
「まったく、えらい目にあったぞ」
正重は大げさにうなずく。
そのしぐさがこっけいで、不穏な状況にも関わらず平太はくすりと笑った。
「そういえば大久保さま。なんで姫さまと一緒に来たんだい?」
「うむ、それよ。三人の目付役として任じられたのが、この大久保正重なのだ」
と、胸を張った正重だったが、背後から冷たい言葉がかけられる。
「……ふん。目付というより、ただの足手まといじゃ」
「その言いようは……なかろう」
正重は口ごもる。
森に入ってすぐ凶屍に襲われ、それから二日間というもの、何度、彼女の腕前に救われたことか。武人としてまったくいばれた状況ではない。
「そもそも、おぬしは口が軽すぎる。先ほどからぺらぺらとしゃべりすぎじゃ」
「この子にも事情を知らせてやらねば……知り合いすべてを失くしたのだし」
正重は弁明するが立場の弱さを感じているのか、どうも語調が弱い。
(だいたい初顔合わせのときから、どうもこの娘たちは苦手だ)
出会った日のことを思い返し、正重は表情をくもらせる。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
野菊たちが任務を申しつけられてすぐ、正重は彼女たちに引き合わされた。
「このものが、そなたらに目付として同行することになる」
「大久保正重だ。よろしく頼む」
本多正信に紹介されるやいなや正重は名乗り、勢い込んで抱負まで述べる。
「そなたらと一族の窮状は聞き知っておる。目付として同行し、良い報告をするつもりであるから、そなたらも励むがよ――」
まったく善意から発した言葉だったが、正重は途中で口をつぐむ。
「ッ!」
いつの間にか小夜の端正な顔が触れそうなほどそばにあったからだ。
いや、間近にあったのはそれだけではない。
麗しい少女の玉の肌を間近に見て、なお戦慄させられたその理由は――、
(これは……小太刀か?!)
首筋に冷ややかな刃の感触を覚え、正重は硬直した。
「……同情など不要。我は自身の力で評価を勝ち取る」
小夜は突きつけた刃に負けず劣らず、冷たく硬質な声で恫喝する。
「お前は、ただ目付としての役目を果たしておればよい。今後、哀れみめいたことなど口にするな」
淡々とした口調。
しかし、こめられていたのは確かな殺意。
(逆らえば……殺される!)
正重の血の気が一瞬で引いた。
「あ、ああ、分かった!」
あわてて返事をすると、ようやく刃が喉元から離れる。
正重が冷や汗をかく姿を野菊は無言で、胡蝶は微笑して、見つめていた。
本多正信もその蛮行をとめもしない。
むしろ心意気を賞し、正重の醜態を責めているような風情だった。
(……どうもあれ以来、この娘たちは苦手だ)
内心でぼやく正重。
と、そんな彼に平太が問う。
「――ところで、お名前からすると正重さま、大久保長安さまの親戚かい?」
すっかり自分に慣れた少年に正重はうなずいてみせる。
「うむ。遠い縁戚じゃ。浪々の身からその伝手をたどって、ようやく徳川家に仕官がかなったのだが……すぐに長安どのが失脚なされてな」
正重がついたため息は底抜けに深い。
「手柄で同族の罪をつぐなえということらしい。今回の任務が首尾よくいかなければ仕官は取りやめ。どうにも参ったものだ」
「あら。大変ですねえ」
胡蝶が他人事のようにのんきに同情する。
「おいおい。そなたも一族の命運を背負って、この修羅場に出て来ておるのだろう?」
正重はあきれた。
しかし、胡蝶の顔に義務感などかけらも浮かんでいない。
「まあ、そうですけど――本当はあたし、火薬と銃を試せる環境があればよいのですよ」
その言葉に嘘はなさそうだ。
短い火縄銃――短筒というらしい武器へ幸せそうにほおずりしている。
そんな胡蝶へ、正重と平太は複雑な視線を送る。
「……ありがとう、正重さま。おいらに色々教えてくれて」
気を取り直した平太がぴょこりと頭を下げる。
「よい。お前にはその資格がある。ただし他言は無用だぞ」
正重はうなずき、優しく言い聞かせる。
「わかってるよ。おいら絶対に言わない」
と、平太が力強くうなずいたところで
「ッ!」
正重が声を上げた。
暗闇の中、立ち止っていた野菊の背にぶつかったのだ。
「なんだ? どうした?! 異常でもあったか!?」
と、泡を食った正重に、野菊は横穴の終点を指差した。
「……目的地じゃ」
「……ふむ。なるほどここか」
低かった天井が、その部分だけ高く上へ伸びている。
暗闇で分かりづらいが、手がかり、足がかりとできるような段が壁面に刻まれていた。
「はしごは……無いのか?」
段差は摩耗し、湿気のせいもあってよく滑りそうだ。
体重を預けるには頼りない。
さらに目指す先は見上げるような高さの場所だ。落ちればけがでは済まない。
正重はいやな顔を浮かべた。
だが、冷ややかな声が正重の願望を打ち砕く。
「ここは隠し通路じゃ。長年放置するのが当たり前、はしごなど朽ちてしまう」
そう言いすてると野菊は段を上って行ってしまう。
「さあ、さっさと登るぞ」
小夜がさっそうと、そのあとに続き、
「あきらめなさいませ」
「大丈夫だよ、大久保さま」
あげく胡蝶と平太まで、すいすいと暗がりの壁面を登っていくではないか。
(ええい。武門の男子たるおれがおびえているわけにはいかない!)
――正重は覚悟を決め、石段に手をかけるのだった。