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屍の村~その肆


 四姓村、庄屋屋敷の前――、

 

 円形に焼け焦げた空間がぽっかりと広がり、死屍が累々と転がっている。

 周囲に漂うのは硝煙の刺激臭と大量の血肉と臓物が放つ生臭いにおい。


(現世に地獄が顕現したならば、おそらくこうであるにちがいない)


 正重にそう思わせたほど凄惨な光景の中、屍の合間を踏み分け、悠々と歩み寄ってくる二つの人影があった。



「……ずいぶんと遅かったな?」

 

 二人のうち背の高いほうに野菊が声をかけた。


(妙にきれいなお侍だな)


 平太は思ったが、すぐにまちがいと気づいた。

 高めで結った髪、小袖と袴を身にまとい、腰には刀――どれも若侍の(なり)ではある。

 だが、すべらかな肌、ほっそりとした肢体、桃色の頬はあきらかに若い娘のもの。


(姫さまは『小夜』って言った。あいつはもしかして女なのか)


 しかし、その外見は異様だった。

 腰に二本、刀を差している。

 だが妙なことに双方とも長さが等しく短い。小太刀の二刀持ちである。

 そして、その柄頭にはこぶし大の飾りがつけられていた。


(あのどくろ!? さっき飛んできた小太刀じゃないか!?)

 

 丸みを帯びた頭骨に、ぽっかり空いた二つの眼窩。まがまがしい造形に平太の背筋が震えた。


(あの人も姫さまと同じ忍びなんだろうか? ずいぶんと背が高いな。目つきも男みたいだし……)


 平太が観察していると、小夜がようやく口を開く。


「……しかたなかろう。森に入って早々、案内人が役目を放棄していったのだからな」


 凛とした声には男でも出せぬほどの迫力がある。


「争いの物音と血のにおいでここを突き止め、急ぎ命を助けに来てやったというのに、それを遅いと言われては……なあ?」


 視線に明確な敵意をこめ、小夜は野菊をにらんでいた。


「ふん。少し足を早めただけじゃ。まさか一人前の忍びが迷子になるとは思わなかったからのう」


 皮肉で応える野菊の言葉にも、はっきりした悪意があった。


「なに!?」


 挑発を返され、小夜の目がぎらりと光った。そのまま腰の小太刀にそろりと掌を乗せる。 

 対する野菊のほうも腰の忍び刀の柄に手をかけた。


 臨戦態勢――二人の美少女の間に隠しきれない殺気の応酬が始まる。


 と、そこへ――、


「そうか! 小夜、胡蝶、おぬしたちの仕業であったか!」


 美少女の間の険悪なやりとり、大久保正重が無理やり割って入った。


「助かった。街道から森に入ってすぐ敵に襲われるとは思っていなかった。はぐれて以降、そなたらの安否を気遣っていたのだが、まったくの杞憂だったようだな。いや、にしても投げ小太刀に銃撃、どちらも恐るべき腕前、見事なり!」


 正重は雰囲気を和らげようと、ことさら大げさに賞賛してみせる。

 唐突な乱入に殺気を乱され、小夜も野菊も腰の得物から手を離す。



「――まあ、お武家さまにほめていただるなんて、恐縮ですわぁ」


 そんな正重の配慮に応えたのは、もう一人の娘だった。


(この人がさっき姫さまが言ってた胡蝶……かな?)


 平太が視線を送った少女は萌黄色の小袖をまとっていた。

 きわめて女性的な体つきが平面的な和服に優美な曲線をえがかせている。色っぽく着崩した襟元から量感豊かなふくらみが顔をのぞかせていた。


 顔立ちのほうも野菊や小夜と同じく美しい。

 だが二人と比べ、胡蝶はもっと蠱惑的な表情を浮かべていた。たれ目がちな大きくうるんだ瞳、桃色に艶めく唇は淡く開かれ、見る者すべてを魅了しようとしているようだ。


 この胡蝶という少女――三人の中で外見は、もっとも女性的と言えよう。

 だが手弱女(たおやめ)ぶりは外見だけのもの。白くすべらかな手に持った短めの火縄銃、そこから漂う硝煙のにおいが言いようもなく物騒(ぶっそう)だ。

 

 そして――なにより、その笑顔である。凶器を手にしてなお満面の笑みを浮かべている。振るった暴力の余韻をいまだ楽しんでいるようだ。

 見た目が他の二人より常識的である分、かえってその異常さが際立つ。かもし出された狂気と紙一重のなまめかしさ。正重と平太、二人の男の内臓に冷え冷えした感覚が走った。


「ふん」


 小夜は男二人のふやけた様子を鼻で笑う。


「あの……姫さま。こちらは?」


 どうにも落ちつかない平太は話の糸口を探ろうと、野菊に問いかける。


「……小夜じゃ。風魔……小夜」


 しかし、平太は野菊の言葉にかえって仰天させられてしまったようだ。


「風魔?! まさか、あの風魔かい?」


 

  ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



『あの風魔』といった平太少年の声には恐れが満ち満ちている。それも当然といえよう。


『風魔衆』あるいは『風魔一族』といえば北条家の忍びとして高名――関東に覇を唱えた北条家五代を支えた忍びとして、天下に響き渡るほどの名声、あるいは悪名を得ていた。

 そして、ここ四姓村を含む甲州一帯を治めていた武田家にとって、北条家は最も身近な敵であった。

 徳川の治世に入って長く、武田も北条もとうに滅びたとはいえ、風魔という単語は四姓村の住人にとって、おだやかならぬ意味を持っている。

 まして武田家の忍び『透破衆』と関係の深いこの里では、なおさらのこと。

 平太もかつて長老から風魔にまつわる噂話を聞かされたことがある。幼いころから育まれた恐怖心は今でも残っていた。


「風魔の……」


 だから平太は風魔を名乗る小夜に対して警戒心を持った。


「ああ、そのとおりだよ、坊や――わたしはその風魔の人間さ」

 

 少年から向けられた疑惑と恐れの視線、小夜は危険な微笑で応じる。


「……ごくり」


 平太はかたずを飲む。

 背筋に寒気が走ったが、それでも魅入られたかのように小夜の微笑みから目が離せない。

 

 と、そのとき――、

 野菊が平太をかばうように間に入った。


「……助勢について礼は言わぬぞ。お互い任務じゃからな」


 野菊の言葉に平太から目を離すと、小夜は再び憎悪を目に宿らせる。


「当たり前だ。あのような化け物どもに大事な仇を奪われてはかなわぬ。お前を殺すのはわたし。そうでなくては祖父の――風魔小太郎の仇を晴らしたことにはならぬ!」


 まなじりを釣り上げた小夜を、野菊もにらみ返す。

 美少女の間、険のある言葉と敵意が再び飛び交った。

 

 ――と、そこで胡蝶がのんびりと口をはさむ。


「まあまあ、お二人とも。この状況で仇討など始めないでくださいねぇ」


 なだめるような口調だったが、彼女の言いようは火に油を注ぐ。


「まあまあ……ではないぞ、胡蝶!」

「そうじゃ! こちらにも爆雷を投げるとは何たる所業!? お前はわたしまで吹き飛ばすつもりだったか!?」


「それはもう……お二方とも当然よけると思いましてねえ」


 胡蝶は、なにがおかしいのか、くすくすと忍び笑う。


「まさか、あの程度もよけられぬ人が『風魔』や『高坂』を名乗ったりしないでしょう?」


 そう言って胡蝶は挑発するような笑みを満面に浮かべた。


「ほう、けんかを売られておるようじゃの」

「ならば……まず貴様から血祭りにしてくれよう」


 野菊が納めていた腰の刀に再び手をかけ、小夜もまた小太刀の柄に触れる。


「ええい。やめんか、おぬしら! それこそ状況を考えよ!」

 

 殺気をまき散らしはじめた三人娘、正重があわてて間に入る。


「よいのか? 一族の再興はそなたらの働きに関わっておるのだろう?」

 

 正重の言葉が届いたのか、少女三人は殺気を抑え、武器から手を離す。

 それでも不機嫌はおさまらぬようで、野菊と小夜はぷいとよそを向いてしまう。

 

 一方、胡蝶はなにごともなかったかのように、へらへらと笑っている。


「……やれやれ」


 ため息をついたあと、正重は気を取り直して野菊に問うた。


「――で、野菊、ここから先はどうすすむのだ?」

 

 正重の問いに野菊に視線があつまる。


「……あちらじゃ」


 彼女は村の先、木々の影が深くなっている一帯へ、その白魚のような指を向けた。


 

 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



 野菊が指してみせたのは鎮守の森だった。

 天を摩すような木々が周囲から抜きんでて存在している。大人数人がかりでも囲めないような巨木が覆う暗がりの中、ひっそりたたずむように『咎人の社』は隠れていた。

 あたりを支配するのは重さすら感じさせるような完全な暗闇だ。

 正重の手にした松明の炎が、なんとか抵抗を続けている。


「たしか、あそこに……おお、あった」


 踏みこんだ社の裏手、野菊が示した方へ正重が松明を向ける。


 と、そこには古井戸があった。


「この板をどけ……」

 

 野菊が井戸の上、かぶせられた板を外し、正重が明かりを近づける。

 そこには、ふつうでは気付かぬほど小さな手がかりがあった。


「おお! 抜け道か?!」

「このお社には何度か来たけど……まさか、こんな場所があったなんて!?」


 正重にとってはめずらしいようだ。素直に感嘆の声を漏らし、村の住人であった平太も驚いている。


「ああ。例の隠し金山へ向かう途中、今は代官所となっておる野伏砦(のぶせりとりで)という小さな砦につながっておる。ここを抜けていけば安全であろう。本来は砦のほうからの逃げ道で一族の者にだけ伝えられる秘密なのじゃが……」


 忍びらしく、野菊は秘密を他者に教えることに抵抗があるようだ。苦い口調で言う。


「……まあ、よい。今となってはな。みな、わたしのあとに続け」


 野菊はひらりと井筒を乗り越え、ぽっかりと口を空けた暗がりへ臆せず身を投じていくのだった。




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