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屍の村~その参

 四姓村――凶屍に囲まれつつある野菊、正重、平太の三人はじりじりと後ずさりをする。 

 彼らが一歩下がるごと、凶屍は二歩迫る。

 まさしく危機一髪の事態である。


 ――と、そこで平太少年が声を上げた。


「あ、あれは……?!」

 

 かつて足が不自由であったとは思えぬ俊敏さで迫りくる、その影は――、


「長老?!」

「なん……じゃと?」


 野菊もまた迫りくる凶屍の生前の優しげなまなざしを覚えていた。


「……孫六」


 冷静な声にも沈痛な響きが混じる。

 だが老人の姿をした凶屍は二人の様子などおかまいなしだ。

 この村、最後の生き残りへ勢いよく向かってくる。


「長老! よしてくれよう!」

 

 平太の悲痛な声も凶屍と化した老人の耳には届かない。

 

 ウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥぅッ!


 威嚇するようなうなりが老いた凶屍の喉から漏れる。

 糸のように細く慈愛に満ちていた眼が見開かれ、まがまがしい金色に輝いていた。


「孫六、せめてこの手で……」


 断腸の思いだったが、それでも野菊は忍びだ。

 知り合いとはいえ命がかかっている状況で容赦はしない。

 旧知の老人へ声をかけ、野菊は刀をかまえなおした。


 そこへ――、


 キシャッ!


 凶屍と化した老人・孫六は奇声を上げ、山猿のごとき勢いで飛びかかる。


 ――いや、飛びかかろうとした刹那であった。



 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



 ズブッ!


 肉がえぐられ脂を貫く、嫌な音がした。

 矢が突き刺さるのとはちがう、しかし、まちがいなく人体が破壊される響きである。


 その音と共に――、


「あ、ぁぁぁ」


 凶屍は陸に上がった魚のように口を開閉し、苦しげな呼気をもらす。

 それが長老・孫六の絶命の吐息であった。

 数歩、あがくように足を進めたが生ける死骸は力尽きた。野菊や平太の目の前、のばされた手が力を失い、地面に落ちる。


「……長……老」


 悲しげに平太は声を漏らした。


「……これは?」


 一方、野菊は遺体の首筋に視線を注ぐ。

 そこには深々とえぐられた傷跡が一つ――確認した野菊の表情にけわしさが増す。


「おい。まだ次が来るぞ!」


 と、せっぱつまった声がかけられた。

 野菊が手を止めたせいで戦線は大久保正重一人の肩にかかっている。

 さすがに手に余るようで、同行者に助勢を求めたのだ。


 だが野菊は静かに刀を下ろした。


「姫さま、……おいらたち、もう駄目なのかい?」

 

 このしぐさをあきらめととらえた平太は絶望的な声で問う。

 だが野菊は首を左右に振り、少年の誤解を解いた。


「いや……ちがう。我らが戦う必要がなくなっただけだ」


 疾走――野菊の言葉も終わらぬうち、銀色の光が闇の中を駆け抜けた。

 さらに二体の凶屍が倒れ伏す。


「なんだ?!」

 

 驚いた正重の目に止まったのは大地に転がる凶屍の首筋。なにかが直立している。

 先端にはどくろの飾り――異様な造形だが、正重には見覚えがあった。


「これは小夜の小太刀………?!」

 

 なんと、飛来した銀光の正体は小太刀であった。

 小ぶりな日本刀といってもいい鋭利な凶器が延髄、脳幹――急所を正確に直撃し、深く貫いている。

 その腕前も大したものだが、さらに驚くべきことがあった。

 正重の眼前、首筋に深く突き立っていた小太刀は独りでに抜け、いずこかへ飛び去ったではないか。


「なんと面妖な……妖術か!?」


 正重が驚愕した次の瞬間、またしても銀の光が二つ、屍に襲いかかった。

 心の臓、眼球の中心――今度も凶屍の生命を確実に奪う一点を貫いている。

 そして先ほどと同じく、突き立った小太刀は意志を持ったかのように勝手に屍から飛び立っていく。

 正確に飛来し、肉を突き破り、無慈悲に命を止め、狩りを終えた猛禽のように飛び去る。

 かくして、あっという間に四つ――今度は《動かぬ》死体ができあがる。

 

 さらに驚くべきは続く光景だった。

 飛来した小太刀が数体の凶屍の周囲をくるくると旋回し、ぴたりと動きを止めた。

 小太刀が作り出した銀円の中心へ、凶屍たちは吸い寄せられ、のりで固められたように一つにまとめられていく。

 まるで見えざる大蛇に絞め上げられているようだ。


「今度はいったいなにごとか!?」

 

 凝視した正重の目に凶屍たちの回りで生じた瞬きが飛びんでくる。

 凶屍たちに極細のなにかに絡みついていた。


「あれは紐か……?」

「いや。鋼線(こうせん)じゃ。あるいは鋼糸(こうし)ともいう」


 いぶかしんだ正重に、野菊が応える。


「鋼線?」

「乙女の髪と絹の糸、極細の鋼をより合せ、金剛石の粉をまぶしたものじゃ。使うものが使えば、おぬしのそのたいそうな得物とて軽々と両断するぞ」

「なんと!?」

 

 野菊がぶっそうな説明をしている中、鋼線に絞め上げられた凶屍たちの体がついに限界を越え、嫌な音を立てた。


 ぶぢッ!


 見事なまでに輪切りにされた数体の凶屍が周囲にはじけ飛ぶ。


「わッ!」


 転がってきた凶屍の頭部に正重が驚愕する。


「ちっ、子どもの前で!」

 

 一方、野菊はすばやく平太の視界をふさいでいた。

 同時に、この摩訶不思議な惨劇を冷静に観察してもいる。


「……小夜め、腕を上げたようじゃな?」

「姫……さま?」


 視界を急に覆われ、いぶかしむ平太に野菊は優しく言い聞かせる。


「少し目をつむっておれ、子どもには酷な光景じゃ」

「あ、あの、おいら……」

 

 もう子どもでは――と、言いかけたが。野菊の手の感触が抵抗をやめさせた。

 甘い体臭に気恥ずかしさを覚えながら、野菊の口にした名を平太は耳に留める。


(小夜? いったいだれだろう?)


 と、平太が疑問に思ったそのとき――、

 

 轟ッ!


 思考をさえぎるように腹の底に響く大きな音がした。


「うわッ」

 

 飛来する小太刀の奇妙な挙動、目を丸くしていた正重が轟音に仰天する。


「こ、これは……?!」


 ふりかえった正重の目に転がっている凶屍が一つ飛び込んでくる。

 彼の背後、忍び寄っていた凶屍の胴に大穴があき、大人一人の体が軽々と吹き飛ばされていたのだ。


 轟ッ! 剛ッ!


 さらに続けて二度、夜空に轟音が響き渡る。

 今度は野菊と平太のそば、二体の凶屍の頭部が同時にはじけて飛んだ。

 熟れた果実が割れたような音と共に、灰色の脳漿、桃色の肉片、紅の血液が周囲に飛散した。


「ひっ!」


 平太はかろうじて悲鳴を飲みこむ。

 視界が覆われていたため、惨状は目にしなかったものの、聴覚と嗅覚で情景を把握してしまったのだ。


 一方、血肉を最小限の動きでかわした野菊は苦々しげにつぶやく。


「……胡蝶め、あいかわらず無茶な真似をする!」

「胡蝶?」


 おびえつつ問うた平太に野菊は冷静に応えてやる。


「我らの仲間の一人、火縄銃の使い手じゃ」

「火縄銃……じゃあ、今の音は鉄砲かい?」

「ああ、だが、やつが使うのは、それだけでは――ッ!」


 と、言いかけた野菊がなにかに気づき、とっさに平太を抱え込んだ。

 それとほぼ同時、先ほどより大きな音が発生した。

 雷鳴を数倍したような轟きとともに嵐のような猛風が吹き荒れる。


「こ、今度はなんだい! 姫さまッ!」

 

 身の回りに次々起こる異常事態。正気をつなぎとめるように平太は大声を上げた。

 すでに野菊の手は視界をふさいでいない。平太は周囲を見回す。

 そこは先ほどまでと別の場所のようだった。ようやくおさまった土煙のむこう、民家がまるごと一軒吹き飛び、先ほどまで群れていた凶屍の姿は跡形もなく消えている。


「――爆雷という何もかもを吹き飛ばす兵器じゃ。それより、あまりそこらを見るでないぞ?」

 

 だが野菊の声も耳に入らない。平太の視線は周囲の惨状に向けられる。

 そして、あちらこちらに転がる物体――その正体に気付いて平太は身震いした。


(これ、全部が……人の……体?)


 なんということか。たしかにこの爆雷――威力は抜群である。

 凶屍たちを原型もとどめないほどの肉塊へ変えてしまった。


「あははははははははははははッ!」


 そして爆音のはるか遠くから高笑いが二人の耳に届く。

 その笑い声を聞いた瞬間。冷静に説明していた野菊の顔から急に血が引く。


「……まずい。胡蝶め、調子に乗りおった!」


 野菊は平太を抱えたまま、あわてて大きく飛び退く。


「おい、いったいどうしたというのだ!」


 正重も反射的に、その後を追った。

 次の瞬間、野菊に抱えられていた平太は目撃した。

 放物線をえがいて小さな樽のようなものが飛来する光景を……。

 

 その樽は野菊が少し前まで立っていた場所に着地し、数回転がり――、


 そして爆裂した。


 怒ッ……轟ッ!


「っ!」


 先ほどとは比べ物にならないほど強烈な轟音が至近距離で発生した。

 真昼のように明々と爆炎が広がり、閃光が暗闇に慣れた目を焼く。

 強烈な光と音の挟撃は平太に恐怖することもかなわぬほどの混乱を与えた。


「う、うぅ……」


 永遠にも感じられた数秒のあと、平太はようやく目を開く。

 白煙、黒煙、閃光の残像が抜けるのにさらに数秒が必要だった。


「けほっ!」


 強烈な刺激が目とのどを刺し、平太は思わずせきこんでしまう。

 それでも涙で潤む目をこすり、周囲を観察した。

 やがて耳鳴り、土煙がおさまったとき。

 平太は信じがたい光景を目にすることになる。


「あ、あんだけいっぱいいたのに……!」


 そのしわがれた声、平太は自分ののどから漏れたと気づかなかった。

 先ほどまで凶屍に埋め尽くされていた周囲は、ぽっかりと広がる無人の空間へ変貌していたのである。

 そこに、もはや凶屍の姿はない。



 ――立っていたのは今や平太たち生者たちだけであった。



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