表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/36

屍の村~その弐


 おそるべき凶屍の襲撃から二日後――、

 しかし、平太はいまだ村を抜け出せずにいた。


「……そんな!」

 

 凶屍は村の反対側からも現れたのだ。

 挟み撃ちにされ、逃げ場を失った村人に食らいつき、凶屍は数を増やしている。


 平太は小さな祠へ逃げこまざるをえなかった。

 そして二日、あたりに凶屍の数が増えてきている。漂い出した平太の臭気を嗅ぎつけてきたようだ。


(あれはおさとさん? それに庄屋の茂兵衛さん?)


 生き残りは自分しかいないらしい。平太はほとんどの村人の顔を祠の中から確認していた。

 格子のすき間からのぞくと隣人たち――いや、かつてそうだったものが金色の血走った目で自分を探している。


(おみよちゃんまで?!)


 淡く想いを寄せた年上の少女の姿まである。平太はもう限界だった。


「……だめだ、このままじゃあ」

 

 暗闇の中、平太は祠を抜け出した。

 闇に隠れようとしたのでなく、白昼、凶屍たちを見るのに耐えられなかっただけだ。

 物影から物影へ身を隠し、平太は移動していく。


(速く、早く!)


 激しい動悸、心の臓が外に聞こえそうなほど音を立てる。

 

(よし、あと少し!)

 

 それでも少しづつ、平太は移動していき、五十歩ほどで森というところにまでたどり着いた。


(森の中なら隠れる場所はある。湧水も食べられる果物もある)


 と、食物のことを考えた瞬間、


 グウウウウウウウゥ


 長々と腹が鳴ってしまった。


(止まれ! 止まれ!)

 

 必死で腹を押さえるが、腹の音がおさまるはずもなく――


(気づかれた!)


 ウウウウウウウウウウ……


 背後から凶屍の声が響いた。


「ひっ……!」


 漏れそうになる悲鳴を自らの手でふさぎ、平太は振り返る。

 だが、足音は確実に容赦なくこちらへ近づいてくるではないか。

 一歩、また一歩と近寄ってくる足音――平太はたまらずふりかえる。


 と――、よく見知った顔がそこにあった。


「お、伯父さん!」


 二日間、ひもじさと寒さに苦しめられ、心細さが頂点に達していた平太は、ついに声を上げてしまう。


 うううううううううぅ!

 

 その声に反応し、重兵衛の凶屍は祠へと目を向けた。

 甥の声が心に届いたゆえではない。

 金色の目と低いうなり声には獲物を狙う猛獣の殺意がこめられている。

 くわえて今の物音で凶屍が数体、こちらに寄ってくるではないか!


「ひ、ひぃっ!」


 居場所が露見してしまった。もはや隠れてはいられない。

 平太は一散に駆け出す。


(とにかく、だれもいないほうへ!)


 それだけを考え、平太は足を運ぶ。

 だが祠の中で三日、口にしたのは供物の団子とわずかの雨水だけ――平太の体力は限界をむかえていた。


「あっ!」


 ぬかるんだ地面に足を取られ、平太は転んでしまった。

 起き上がろうとする……が、一度もつれた足は言うことを聞かない。


 ウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥ!


 そこへ真っ先に追いついた凶屍――かつての重兵衛が手をのばしてくる。

 乱れた着物は血まみれで食い破られた歯型を全身に残していた。

 口から、全身から――漂う生臭さが吐き気を誘う。


 ……そして何より、見知った顔に浮かぶ凶悪な表情。



「やめてくれよッ! 伯父さん!」



 恐怖のあまり、平太は絶叫した。


 

 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



「いやだ、いやだよ、おいら、あんなものにはなりたくない!」

 

 尻を着いたまま、平太は必死に後ずさりする。

 だが、かつて重兵衛であった凶屍は、それより速い。

 恐怖が一線を越えると、すべての時間がゆっくり流れるように思えた。


(これが死ぬってこと……?)


 平太が頭の片隅に考えた、そのとき……、


 ビョウッ。


 怪鳥の鳴くような甲高い音が長く響いた。

 同時に飛来した銀光――矢尻が重兵衛の眉間に吸い込まれ、突き立つ。

 

 ぐしゃ!


 骨が砕け、脳をえぐり、にぶい音、湿った何とも言えぬ音が響く。

 衝撃に重兵衛の頭部が勢いよくのけぞり、重い響きを立て、巨体は大地にあおむけに倒れる。


 びくり、ぴくり。


 大きく、小さく、けいれんが走ったあと。重兵衛は動きを止める。

 二度目の死を迎えた重兵衛――その額では矢羽がいまだ小刻みに震えていた。


 そのさまを放心したようにながめたあと、平太はようやく我に返った。


「い、いったい、なにが……?」


 声は枯れていた。まだ呼吸が荒い。


「おい、小僧、だいじょうぶか?」


 そこへ若い侍が駆けよってくる。

 後に続くのは油断なく弓を構えた巫女が一人。

 平太は少女の顔に覚えがあった。


「あ、ありがとうございます、お侍さま。それに……あなたはもしや高坂の姫さまでは?」

「そのとおりじゃ。おぬしは平太か……しばらく見ないうちに大きくなった」


 地獄のような状況で耳にしたなつかしい声。

 平太の視界が歪み、まぶたが熱くなる。

 恐怖のあまり、封じられていた涙が解放され、こぼれてきたのだ。


「姫さま、伯父さんと長老が……」


 少年の目のはしで光る涙、疲弊した顔。それだけで何があったのか分かる。


「……そうか、これは重兵衛じゃったか……」


 短い言葉に同情をにじませ、野菊はうなずく。


「なんじゃ、野菊。そなたの知り合いか?」

「我らの隠し里が近くにあってな。武田の滅亡以降も交流があった」


 震える平太の背をなで、若侍・大久保正重と言葉を交わしつつ、野菊は周囲に抜かりなく目を配る。

 彼女の視線がとらえたのは凶屍たち。

 案の定、新たな獲物に気付いた彼らは、こちらへよってくる。


「おい。野菊!」

「わかっておる。斬り開かねば道はできぬようじゃの」


 応えた野菊はすでに弓を引き絞っている。

 一射、二射――野菊は見事な腕前を披露し、一体、また一体と打ち抜いていた。

 だが先ほど森の中での戦闘ですでに矢は大半を使い果たしていた。

 十体にも及ぶ凶屍を射抜いたところで、矢筒に手をのばした。だが慣れた感触が帰ってこない。


「ちっ、わたしとしたことが……」


 得意の武器を失い、美少女は舌打ちをもらす。

 しかし凶屍のほうはいまだ多勢。着々と距離をつめてくる。


「ひ、姫さま!」


 おびえる平太の声。だが野菊の闘志は衰えようとはしない。


「案ずるな!」


 少年を背後にかばうと、野菊は腰の刀をすらり抜いた。

 短く反りの浅い――実践的な忍び刀は使い手の眼のように危険な光を放っている。


 一方、その隣では――。


「これは……覚悟を決めねばならぬか?」

 

 ここまで戦いは野菊に任せきりだった大久保正重も抜刀する。

 今までの醜態に似ず、見事なしぐさであった。

 抜きはらった刀は長く、太い。大太刀と呼ばれるような代物だ。

 今まで使う様子も見せなかったので見かけ倒しだと思っていたが……


「ほう?」


 そのさまを横目に見て、野菊は感嘆する。


(あの大物を振りかぶって姿勢にゆるぎがないとは……)


 見直す思いだった。今のような場ではありがたいことこの上ない。

 その大太刀を正重は危うげなく上段にかまえた。

 

 そして――、


「鋭ッ!」


 迫ってきた凶屍を袈裟懸けに、一刀のもと両断してのけた。

 ななめに分かたれた上半身、下半身が月明かりの下で震えていた。


「当ッ!」


 続けて返す一太刀。

 もう一体の凶屍の首を横にすり抜け、頭部がまりのように宙を舞う。

 これまた見事な腕前である。


 だが、敵の数が数であった。

 いかに腕が立とうと凶屍と化した村人すべてを相手にできるはずもない。

 一太刀、二太刀、一刀ごとに一体を切り払うものの、敵の圧力は二人が切り裂く数を上回っていた。

 二人はじりじり押されだし、村でもっとも大きな屋敷、庄屋の邸宅の土塀まで追いつめられていく。


(く、われ一人ならば逃げようもあるが……)


 野菊は内心でうめいた。

 背後には平太少年がいる。触れあった背中に彼の震えとおびえが伝わってくる。

 必死に悲鳴をこらえている彼を見捨てられようはずがない。


 と、野菊が懊悩している間に凶屍たちが村中から集まってきた。

 三人は凶屍によって包囲されようとしている。



 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



「恐れも痛みもない敵が、これほどやっかいなものとは!」


 神速の一太刀、返す飛燕の二太刀。

 野菊は凶屍が伸ばしてきた腕を切り飛ばした。

 だが、凶屍はひるまず、歩みも止めない。

 

「く、なんというしぶとさじゃ!」

 

 野菊は頸部を横なぎに払う。

 ほぼ両断された首が垂れさがり、そこで凶屍はようやく斃れた。


「鋭ッ!」

 

 隣では正重が凶屍の頭部を割っていた。

 眉間にまで食いこんだ太刀を強引に引き抜き、息を荒くしている。


「く……まずいぞ。野菊!」

「言われなくても分かっておる。口を開く間があれば剣をふるっておれ!」


 正重にも、野菊にも余裕がない。

 二人は少年を背後にかばう形で凶屍たちと対峙している。

 切り払い、薙ぎ払い、追い返す。奮迅と言える働きだ。

 それでも包囲の輪を切り抜けるどころか押し返すことさえかなわない。


 おまけに手にした刀はぼろぼろだ。

 脂が浮き、骨を切ったせいで反りが伸び、刃こぼれもできている。

 こうなってしまえば刃物として使えぬ、ただの鉄の棒でしかない。

 

 状況は、まさに絶体絶命。

 三人の命も風前の灯火に思えた。

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ