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屍の村

 金色の目を持つ《凶屍》の鈍重だが執拗な追跡――野菊と大久保正重はようやく振り切った。

 落ち葉が降り積もり、足元の悪い森を抜け、ようやく開けた場所にたどり着く。


 短い草の生えた小高い丘に二人は駆け昇った。

 そこから見下ろすと……森がぽっかりとなくなり、人里が一つ存在している。


「あれ……か?」


 息を切らし、指差した正重へ、野菊は首を横にふる。


「いや。あれは四姓しかばね村という小さな集落だ。咎人の社はもう少し行った森の中にある」


 冷徹に告げた野菊の言葉が少し陰った。


「……村が無事であってくれればよいのだが」

 

 少女の口調に懸念がにじむ。彼女がめずらしく見せた人間らしい感情だった。

 

 しかし――、

 

 少女の願いは届かなかった。


 ウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……。


 遠くから響くのは重く低く聞き覚えのある唸り声。

 なにより濃厚な血の匂いがあたりにただよっている。


「おい。このようすでは……」

「……言うな」


 不用意に告げた正重の言葉を少女が冷たく止めた。


「す、すまぬ」


 その剣幕に正重は思わず謝罪していた。

 だが野菊は応えない。

 沈黙の原因は彼女の視線の先にあった。


「……あそこだ。あそこに一人」

「あれは……子どもか?!」

 

 野菊が指差した先、正重もようやく人影を見出す。

 見下ろした丘の下に広がる村の中、月明かりに照らされながら必死に駆ける少年がいた。


 その背後――金色の目を光らせた集団が追っている!


 

 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆

 


「く、なんで? なんで……こんなことになるんだよぅ!」

 

 無我夢中で足を運びながら四姓村の少年、平太はわめいた。


「ひい……ひい……ふう」

 

 先ほどからの疾走で息は切れかけ。心臓は裂けてしまいそうなほど胸の中で暴れている。


「足が……痛え!」


 先ほどから何度、あきらめてしまおうと思ったことだろうか。


 しかし、それでも――。


「いやだ。おいら、あんな風にはなりたくねえや!」


 ふりかえると大柄な追っ手が視界に入った。先日までは村の鍛冶屋だった男だ。

 見開いた金色の目、こちらへ腕をのばし、あぶくを噴きながら歩んでくる。

 その姿を見て平太の顔に恐怖と嫌悪が浮かぶ。


  

 ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



 平太が暮らす四姓村は富士のふもと、森深き樹海の一部を切り開いてできた新しく小さな村である。

 この惨事が起こるまでは牧歌的で平凡で、まことに平穏な集落だった。

 

 天下分け目の関ヶ原の戦いも十余年も昔のこと、平太にとっては物心つく前の出来事である。

 はるか西の方、上方では豊臣と徳川の最後の決戦が幕を開けようとしていたが、それもここ甲州の山深い奥地ではかかわりのない話だ。

 唯一の心配ごとは戦で年貢が上がるのではないか――ということだけだった。


 だが数日前のこと。

 

 樹海へ狩りに分け入った男が返ってこなかった。

 周囲は森深い一帯であるし、狩りというのはそもそも水物である。一日、二日の遅れは常のことであったが、それが三日、四日と日を重ねれば、これはさすがに問題である。


「もしや山道で足を踏み外しなどして、動けなくなったのではないか?」

 

 翌日、足腰の達者な若者たち十数人が探索にむかった。

 しかし夕刻過ぎても、そのだれもが帰って来ない。さらに小雨まで降ってきた。


「おかしいのう。山での人探しは日のある内に終えるというのが鉄則。皆、こういったことは初めてでないから、分かっておるはずじゃが……」


 曇天を見上げた長老が見せた暗い表情に、平太も不安をかきたてられたものだった。

 

 そして翌日の昼。

 さらに人手を増やして探すべきか、村人たちが迷っていたところで、ようやく彼らは戻ってきた。


 だが――。


「おうい。連中がもどってきたぞう」


 その声を聴きつけ、平太を含む村人たちも出てきたが……どうにも様子がおかしい。


「お前ら、どこで道草を食っていた!?」

 

 平太の伯父、鍛冶屋の重兵衛が代表して声をかける。

 しかし、戻ってきた若者たちはだれも応じようとはしない。

 ただ村の入り口あたりを、おぼつかない足取りでふらつくばかりだ。


「おい、佐吉。心配させやがって!」

 

 探索に出た若者の中には弟子もいる。

 思わず近より、声をかけた重兵衛だったが……、



「ウガァアアアアアア!」



「おいっ! なにを……ッ!」

 

 なんと重兵衛は歯をむき出しにした佐吉に襲いかかられた。


「お前、どうしちま……!?」

 

 あわてて押さえこもうとするが、逆に押し返され、倒されてしまう。


 鍛冶という力仕事を日常的にこなしているだけに重兵衛は四十を越えてなお強健な体を誇っている。

 その彼がこうまであっさりと押し倒されるとは……。

 佐吉が見せたのは、それほどの剛力だった。


「アアアアアアアァァァァァ!」


 そこへ続けて数人の若者が襲いかかる。

 彼らの瞳は――なんということだろうか。すべて金色の光を放っていた。


「よせッ! よせぇっ!」


 あっという間に若者たちに囲まれた重兵衛は暴れ、もがくが、


「ギャッ――痛ェッ!」

 

 なんとその首筋へ若者の一人が食らいついた。

 噛み傷は深く、肉をえぐり、頸動脈までが一気に食い破られた。


「ギャアアアアアアアアアアアッ!」

 

 断末魔の悲鳴を放ったあと、重兵衛は動きを止めた。

 もがいていた太い腕が力を失うと巨体が崩れ落ち、大地には血の海が広がる。


「重兵衛伯父さんッ!」


 数年前、流行病で両親を亡くした平太を引き取ってくれたのは、この伯父重兵衛である。

 跡継ぎのいない重兵衛は平太を大事にしてくれた。

 その伯父の無残な死にざまを見せられ、平太が悲痛な叫びを上げかけた。


 だが、その瞬間、眼と口がしわだらけの手でふさがれる。


「う、うぅッ!」


 ふりほどこうとした平太の耳元、老人の言葉がささやく。


(平太、見てはいかん。声も出すな。あれはもはや佐吉ではない……あの金色の眼、あれは《凶屍》じゃ!)

(長老?)


 平太が目で問いかけると、長老はうなずく。

 もう大声を出そうとはしない。長老の口調に緊迫した状況を感じ取ったのだ。


(……わしがそなたくらいの年のころ、金山で人夫を勤めていた叔父に聞かされたことがある。なんでもあの化け物のせいで金山一つが壊滅したという話じゃ)

(そ、そんなことが? おいら、今までそんな話聞いたことないけれど……)

(御領主、武田さまに口止めされていたのじゃ。叔父もわし以外には口をつぐんでおった)


 と、村の長老、孫六が事情を語る間にも次々、村人たちが襲われている。


「なんてこった。皆へ伝えないと!」

「平太、そちらへ行くでない!」

 

 村のほうへ駆けだそうとした平太。彼を老人が止めようとした刹那、


「ウゥゥゥゥゥ」

 

 平太の足元、倒れていた重兵衛親方の体が巨体が震え、低いうなりとともにごろりと転がる。


「おじ……さん?」

 

 首筋に大きな噛み跡。そこから大量の血をしたたらせながら重兵衛はゆっくりと立ち上がる。

 開かれたその眼は彼を襲った者たちと同じく金色に光り、平太を見つめていた。

 


 ウウウウウウウウウウウウウウウゥゥ……


 うなりを上げ、重兵衛は平太と長老のほうへ一歩また一歩と近よってくる。 


「ひっ!」


 今までこうも濃厚な殺気を向けられたことはない。平太は足がすくんだ。


「いかん!」


 硬直した少年を突き飛ばすかのように長老は突進すると、そのまま重兵衛の体に飛びついた。

 身を挺して平太をかばったのだ。


「逃げよ、平太! あれは流行病のようなもの。金色の目をした亡者にかまれたものは、自らも人を襲うようになる!」


 全力で重兵衛にしがみつきながら、老人は必死に言った。


「よいか。村を出て隣村へ向かえ。これ以上、凶屍がひろがらぬよう、急ぎ伝えよ!」


 長老はふだんは温厚な人物である。こんな剣幕でどなりつけられたことはない。

 たった今、起きているこの事態がどれだけのことか、平太も実感した。


「でもッ!?」

「この足では逃げきれん。それにわしはもう十分生きた!」

「長老ッ!?」


 後ろ髪ひかれる思いであったが、すでに周囲は阿鼻叫喚の巷と化している。

 恐ろしくもあったし、長老の命にも従わなければならない。


「行けェ……」


 かつて重兵衛であった《凶屍》に襲われ、噛みつかれながら長老は最期の声を上げた。

 平太はそれを断腸の思いで耳にしながら、修羅場を後にしたのだった。



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